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ポートワインに似た何か


喜ぶべきか悲しむべきか、コンビニに寄ってからは彼の住むマンションまであっと言う間だった。駐車場から脱出してエレベーターの中。車の中だって2人きりの密室空間ということに変わりはなかったけれど、エレベーターという箱の中は車とはまた違う。だって距離が近いのだ。いつでも容易に離れることができるにもかかわらず私と彼は手が触れ合うかどうかの位置に立っていて、私の緊張は止まることを知らない。
そんな柄にもない私の緊張は、車の中から引き続き彼に伝わっているだろうか。ちらりと隣の様子を窺えば、彼はコンビニ袋を片手にぶらさげ、もう片方の手に握られている携帯に視線を注いでいて、まるで、あなたのことなんて全然意識してませんよ、と言われているようだった。非常に癪である。
そんなちぐはぐした空気を吐き出すように、静かに止まったエレベーターの扉が開いた。彼が出て、その後を追って私も出て、遂に辿り着いてしまった彼の城。どーぞ、と言われて招かれるままおずおずと中に入り靴を脱ぐ。勿論、ここに来て緊張はMAXだ。彼の後ろを付いてリビングに到着。そこらへんテキトーに座って良いよ、と言われたところで、テキトーな場所など分からないダメな大人代表の私は立ち尽くすことしかできない。


「何か飲む?」
「もうたっぷり飲んだのでお構いなく」
「そ?…緊張ほぐすのに飲むかと思ったんだけど」


ニヤリ、カウンターキッチンの向こうからこちらに笑みを向けてくる彼を見て、私は再確認した。この人、ほんとに性格悪いわ、って。なんだか自分だけが緊張しまくって浮ついた気持ちでいることがバカらしくなってきて、じゃあ緊張ほぐれそうな飲み物ください、とヤケクソで言い放つと、待ってましたとばかりに持ってこられたのはワインボトルとそれにお似合いのグラス2つ。
乾杯しよっか、などと言いながらリビングのテーブルとソファの上の荷物をささっと片付けて、空いたばかりのソファのスペースに座った彼が日常的動作でつけたテレビは深夜特有のネットショッピングを映し出していて、微塵も買おうと思ったことがない高圧洗浄機を熱心に売り込んでいる。他に気を紛らわすものがないからという理由で、全く興味はないけれど喧しいテレビに視線を送っていると、座んないの?と。突っ立ったままテレビをぼーっと眺めていた私にかけられた声。当たり前のように自分の隣をポンポンと叩きながら言われたから平気なフリをして座ってやったけれど、内心はその距離にまたどくどくと心臓がお祭り騒ぎだ。
ボトルを開けてグラスに注がれるワインは綺麗なルビーの色。自宅にこういうお酒を常備しているのを見ると、バーテンダーとして家でも色々勉強してるのかな、なんてちょっぴり尊敬する。はいどーぞ、と勧められたグラスを片手に乾杯して一口。実はワインはそこまで好きではないのだけれど、彼と一緒に飲むのなら何だって良かった。


「チョコあるけど食べる?」
「黒尾さん」
「ん?何?」
「ほんとに私と付き合ってくれるの?」
「まだそれきいちゃう?」
「だって現実味ないっていうか…」
「そういう関係じゃなかったら家に連れて来ないでしょ」


それはご尤もな回答だった。けれども何度確認したって、いまだに信じきれないのだ。私は自分にとって都合の良い夢を見ているだけなんじゃないかって、そうじゃなければ騙されているか遊ばれているか、兎に角彼は本気じゃないのかもしれないって、そう思ってしまっている。私は自分に自信がない。振り向いてもらえなくて当然だと開き直って必死になっている時は恥ずかしくもなんともなかったのに、いざ望み通りになると、ウザったくなるぐらい彼に付き纏っていた自分を呪いたくなるほど羞恥心に苛まれるなんて、我ながら情緒不安定すぎて反吐が出る。


「これ飲んだらどうしよっか」
「…どう、とは?」
「もうちょい飲みながらうちにあるDVDでも観るか、風呂入って寝るか」


俺もう飲んじゃったしすぐには家まで送ってあげらんないから、って。私はここに来ることが分かった時から帰ろうなんて思っちゃいないし、彼だってそんなことは十分すぎるほど分かっているはずだ。それなのにわざと意地悪な選択肢を与えてくるなんて、まるで私の覚悟を試されているみたいで悔しい。


「飲み終わったら寝たい」
「時間も時間だもんね」
「そうじゃなくて」
「…そうじゃなくて?」
「分かってるくせに」
「分かんないよ。俺バカだもん」
「そういう無意味な嘘吐くのやめてよ」
「嘘じゃないって。男はみんなバカだから」


折角つけたばかりのテレビが、ぽちりと消された。途端、無音で支配される空間に、思い出したように緊張感が高まる。


「これ、ポートワインって言うんだけど」
「ふーん」
「男から女に飲ませるのには意味があんの」
「…さすがバーテンダーさん、物知り」
「意味、知りたがってくれないんだ?」


そんなの知りたいに決まってる。なんなら今すぐにでも携帯を取り出して検索したいぐらい。けれども店にいる時から今に至るまで、ずっと彼の掌の上で踊らされているみたいで悔しいという気持ちもあったから、ここはひとつ、なけなしの大人の女の余裕を見せてみようと思ったのだ。しかし私が必死に去勢を張ったところで彼の余裕はひとつも奪えなかったようで、まあ別に良いんだけど、なんて言いながらチョコレートをひとつ口に放り込んでいる姿に、私はこっそり肩を落とした。
テレビを消されてしまったので会話を続けなければ静かすぎる室内。そりゃあもう居た堪れなくて、このまま2人きりでいたいと思う反面、今すぐにでも逃げ出してしまいたいとも思う。私はいつも矛盾だらけだ。
くいくい、左側に座っている彼の右腕の服の裾を引っ張ってみる。今私にできる精一杯の甘え方だ。けれども彼はその意図を汲み取ってくれないのか、汲み取った上で気付かないフリをしているのか。彼の性格的に言うとほぼ確実に後者だろう。ワインを一口飲んで、なくなりかけた私のグラスに視線を向けて、まだいる?じゃないでしょ。この雰囲気、どうにかしてよ。


「眠たい」
「風呂ためよっか?」
「…いい」
「何その不満そうな顔」
「シャワー借りても良いですか」
「こういう時こそ素直になれば良いのに」
「黒尾さんの方こそ、たまにはストレートに言いたいこと言ってくれたら良いのに」


なんとも言えない煮え切らない状態にとうとうイラッとしてしまった私は、吐き出すように本音をぶち撒けて立ち上がる。すると、手を掴まれて引き戻されたかと思ったらソファにお尻が沈んで、そのままの勢いで後ろに倒れ込んでしまった。勿論、そこにあるのは彼の身体である。反射的に慌てて身体を起こそうとしたものの、彼の腕が私を引き寄せたまま力を緩めてくれないので離れることはできない。こういうところがいちいちズルいんだ、この男は。
黒尾さん、と呼べば耳のすぐ近くで、何?といつもよりも幾分か低い声が聞こえてきてぞくぞくさせられる。これもきっと彼の思う壺なのだろう。それならばもういっそ、どこまでも彼の思う通りになってやろうではないか。どうせ最初から、彼より優位に立つことなんて不可能だったのだ。


「お酒の意味、教えてよ」
「……今日帰す気ないけど良いですか、的な?」
「キザ」
「俺もそう思う」
「…それで、私はどうやって答えたら良いの?」
「もし了承していただけるなら全部飲んでくださると嬉しいんですが」
「……飲ませて?」
「わーお。大胆」
「できない?」
「煽るねぇ」


私の腰に回していた手を離し、ワインが少し残っているグラスを掲げた彼の視線は熱い。いつも冷たい、というか、冷静というか。今みたいに熱っぽい視線を向けてきたことなんてないくせに。ほんとにやっちゃうよ?という軽い口調とは裏腹に、その瞳は真剣そのもの。どうぞ、なんて言ってしまったけれど、私の心臓はもはや爆発寸前だ。
あっそ、と。彼がゆるりと笑みを向けてワインを口に含んだ。顎を捉えられたかと思ったら上向かされて、視線が交わって、目蓋を閉じたら唇が触れ合う。ほんの少し口を開ければ生温かくなったワインが注がれて、飲み込みきれなかった分が口の端から流れ落ちていくのが気持ち悪くて心地いい。あーあ、この服お気に入りだったのにシミがついちゃったなあ、なんて。まあこれが蕩ける口付けの代償だとしたら安いもんだから、文句は言わずに落ちるところまで落ちてしまおう。

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