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はじめまして、
恋ですか?


05じゃあ、そういうことでよろしく。







家まであともう少しというところで、俺は漸く携帯を忘れたことに気付いた。元々、携帯はそこまで必要としていない。連絡が来る相手も決まっているし、シーズンオフ中の今は球団側からの連絡も入ることはないだろう。となれば、わざわざ今日取りに行かなくても困りはしないか、と思ったけれど、そこでふと頭を過ぎる名前ちゃんの顔。
今から取りに行けば、まだあの店で手伝いをしている彼女に会えるだろうか。会えたからといってどうするわけでもないのだけれど、そんなことを考えてしまっているあたり、俺は本当に恋愛ってものに振り回されているなと頭を抱える。それでも来た道を引き返しているのだから、俺の心の中に芽生えた気持ちは本物らしい。
そうして暫く来た道を引き返していると、目の前から走って来る人影が見えた。暗くてよく見えなかったけれど、その人物が誰なのか分かった瞬間に驚く。会えるだろうか。会えたら、まあ、嬉しい。そう思っていた相手が、ここにいたからだ。俺は思わず立ち止まる。それに向こうも気が付いたらしく、俺に近付いてくるなり、良かった、と言葉を落とした。息が切れているけれど、そんなに全力で走ってきたのだろうか。


「これ、忘れ物…、気付くの、遅くなってしまって…」
「俺んち知らねぇのに走って来たのかよ…」
「おじさんに、こっちの方面だったと思うって、教えてもらって…走ったら、追い付くんじゃないかなって…思って、」


はあはあと息を切らしながら話す名前ちゃんは、手に握り締めていた俺の携帯を差し出してきた。わざわざそこまでするか?と思う反面、追いかけてきてくれたことに嬉しさが込み上げてくる。俺がお礼を言って携帯を受け取ると、名前ちゃんはすぐさま、じゃあ私はこれで…と退散しようとした。そりゃあ確かに要件は済んだかもしれねぇけど、そんなにすぐに帰んなよって思うのは俺の我儘なのだろうか。


「今日の手伝い、もう終わり?」
「え?はい…このまま帰る予定ですけど…」
「じゃあ送る」
「えっ!いやいや!大丈夫ですよ!」
「どうせ迷惑かけたら悪いとか思ってんだろ。迷惑じゃねぇから」
「でも…」
「俺がそうしたいって言ってんの。それでもまだ断る?」


かなり強引だとは思った。俺にこんな言い方をされたら名前ちゃんが断れないことを分かっていて、わざと言った。我ながら卑怯だと思う。でも、卑怯な手段を使ってでも一緒にいたいと思ってしまった。この気持ちはどうやら、1度走り出したら止まらないものらしい。俺の予想通り、名前ちゃんはとても申し訳なさそうに、じゃあお願いします、と返事をしてくれたので、俺達は2人してゆっくりと歩き出す。
ここからどれぐらい?10分もかからないと思います。そっか。はい。家ってあっちの商店街の方?いえ、それとは逆の大きな公園がある方です。へぇ。
会話はそれで終了。よくよく考えてみたら(考えなくても分かることではあるけれど)、俺には女の子とテンポよく話すスキルなんて微塵もないのだった。基本的に聞き役。へぇ、とか、ふーん、とか、今までそういう相槌を打つ役回りばかりしてきたツケが今回ってきたようだ。俺が話せることといったら野球のことぐらいしかない。というか、それ以外何も知らないと言っても過言ではなかった。ああ、料理の話だったら少しぐらいならできるかな。
自分から送ると言っておいて微妙な沈黙を作ってしまったことに少しばかり焦りを感じつつ、何と話かけようかと考えている時だった。あの、と。名前ちゃんの方から話かけてくれたのは。何?と尋ねれば、名前ちゃんは躊躇いがちに口を開く。


「どうして送ってくださってるんでしょうか…?」
「さっきも言ったろ。俺がそうしたいと思ったからだって」
「それは…どうして?」


どうしてだろうな、と。当たり障りのない曖昧な言葉を返した。暗いから危ねぇだろ、とか、携帯を届けてくれたお礼、とか、理由なんて幾らでも作れただろう。けれども咄嗟に思い浮かばなかった。俺が一緒にいたかったから。それしか思い浮かばなかったのだ。もしも俺がそう言ったら、名前ちゃんはどう思うだろうか。どんな反応を見せるだろうか。きっと驚いて固まるんだろうな。
俺がそれ以上何も言わなかったせいで、また沈黙が訪れた。それに耐えられなかったのか、ごめんなさい変なことききましたね、って早口で謝ってくる名前ちゃんに、また罪悪感が募る。これ以上この子に謝らせるわけにはいかねぇよなあ、と、漠然と思った。俺に気を遣ってばっかりで、何も悪いことをしていないのにいつも謝ってくるこの子から、ごめんなさいとかすみませんとか、そういうネガティブな言葉ではなく、もっと違う言葉をもらいたいと思った。それを叶えるためにはどうしたらいい?
恋愛音痴な俺にだってそれぐらい分かる。このタイミングで、この場所で伝えるのは間違っているかもしれない。でもこういうのは勢いが大事だと思う。だってこの先、こうして2人きりで話せる機会がいつ訪れるのか分からないじゃないか。すぅっと息を吸い込む。そして、あのさ、と。声を発した。自分が思っているよりも随分と情けない声だった。


「俺、たぶん…いや、たぶんじゃなくて、名前ちゃんのこと好きだわ」
「…………はい?」


まあそういう反応がくるだろうなということは分かっていた。驚きのあまり立ち止まった名前ちゃんに倣って俺も足を止める。その場に立ち尽くしたまま俺を穴が開くほど見つめてくる名前ちゃんは、なんだか泣きそうだ。初めて会った時は緊張しすぎて俺のことをちゃんと見てくれなかったから、それを思えば俺達の関係は少しずつ進展しているのかもしれない。こんな時なのに、俺はやけに冷静な頭でそんなことをぼんやり思う。


「ちゃんと聞こえた?」
「はい……」
「大丈夫か?」
「全然大丈夫じゃないですけど…御幸さんこそ大丈夫ですか?」
「何が?」
「あの、失礼を承知で言うんですけど、頭大丈夫ですか?」


名前ちゃんの方からしてみれば大真面目だったんだろう。けれども俺からしてみれば面白い以外の何ものでもなかった。思わず、はっはっは!と笑ってしまった俺を見て、やっぱり頭がおかしくなったんじゃないですか?みたいな視線を向けてくる名前ちゃんは、いつもと少し違う表情をしていてやっぱり面白い。まあそりゃそうだよな。いきなりそんなこと言われたら、そう思うよな普通。でも、悪いけど。


「俺、あんなこと冗談で言えるようなタイプじゃねぇから」
「じゃあ…ペットに対する感じと同じ意味で言った、ってことで良いですか?」
「あの雰囲気で言ってそうだと思う?」
「…違うと思います…けど、なんで私なんか…ごめんなさい…」
「なんで謝るんだよ」
「だって私はただの一般人で、御幸さんのファンの1人でしかなくて、こんな風に話ができるだけでも夢みたいなことなのに、それなのに…」
「信じらんねぇって?」


こくりと頷いた名前ちゃんから嬉しさは感じられず、激しい動揺と申し訳なさみたいなものが滲みだしていた。正直、俺だっていまだに自分にこんな感情が芽生えたことが信じられない。けれども、その感情に気付かないフリをしていた時にはモヤモヤしていた胸の内が、思い切って受け入れてしまった後には驚くほどスッキリしていた。それはつまり、名前ちゃんのことが好きになったと認めざるを得ないということに他ならない。


「今まで自分から誰かを好きになったことってねぇんだけど。なんか名前ちゃんは特別らしいから」
「…どうしよう…私、明日死ぬかもしれません…」
「はあ?なんで?」
「一生分の幸せ使い果たしちゃったので…」
「俺と付き合い始めたら幸せじゃねぇの?」
「つ、付き合う!?そんな!だめですよ!」
「なんで」
「さっきも言ったじゃないですか。私はただの一般人でファンの1人に過ぎないんですよ?御幸さんとは住む世界が違います…」


やっと嬉しそうな表情を見せたと思ったら、またこれだ。一難去ってまた一難。名前ちゃんはどうにも自分を卑下しすぎている。自信満々な女ってのは好きになれないが、名前ちゃんの場合はもう少し自分に自信をもってもらわなければ話が拗れていくばかりだ。好きだってストレートに言ったのにこの反応。じゃあ俺は好き以外に何と言えば良いんだと頭を悩ませる。


「一般人だろうがファンの1人だろうが、俺は名前がいい」
「…っ、」
「俺のこと、野球選手として好きって気持ちしかない?」


自分の気持ちばかり押し付けてきたけれど、名前ちゃんは、名前は、俺のことをどう思っているのだろう。些か緊張しながら尋ねると、俯いて押し黙られてしまった。俺は「野球選手の御幸一也」を超えることができないのだろうか。


「野球選手じゃない御幸一也には魅力ないって?」
「そんなことないです!御幸さんはいつも…素敵…です……」
「じゃあ俺と付き合って」
「…本当に私で良いんですか?」
「さっきも言ったろ。名前がいいって」


これでどうだと言わんばかりに笑顔でそう言ってやれば、直後、ぶわあっと泣き出した名前に戸惑う。おいおい、誰もいないとは言えこんなところで泣かれたらどうすりゃ良いんだよ。こういう時にどうするのが正解なのか分からない。が、俺はとりあえず宥めようと思い名前の頭を自分の胸に引き寄せた。そうして、子どもを宥める時ってこうやって頭撫でるよな?と思いながら、よしよし、と頭を撫でてみる。
するとどうだろう。俺にとっての正解は名前にとっての不正解だったのか。名前は俺の胸を、渾身の力を振り絞って押し始めた。そんなに嫌がんなよ。こっちも必死なのに。


「やだった?」
「そういうことじゃなくて!誰かに見られたらどうするんですか!」
「ああ…そん時はそん時」
「御幸さんは有名人なんですよ?」
「見られても彼女ですって言えば良いだけだろ」


どうやら嫌だったわけではないようで一安心。週刊誌とかに撮られたらどうするんだって心配をしてくれているようだけれど、俺に隠さなければならないことなんてひとつもない。そう思って当然のように答えれば、先ほどまで大泣きしていた名前が、今度は嬉しいけどどうしようって感じの表情で、彼女…、と呟いていた。コロコロ変わる表情は百面相。それがまた面白くて笑ってしまう。


「家、もうすぐ?」
「そうですね…」
「一人暮らし?」
「いえ…実家です」
「そっか。じゃあ今日はおあずけだな」


にやり。笑いながら言ってやる。何がですか、とはきかれなかった。たぶん分かっている。俺が何を言いたいのか。名前はそれほど馬鹿じゃない。と思う。
それから少し歩いて、ここで良いです、と言ってきた名前に別れを告げる前に、きちんと連絡先を交換する。夢じゃないですよね?別れ際に尋ねられた問いかけには、どうだろうな?と意地悪く返してやった。今日はぐっすり眠ることができそうだ。

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