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立会人はラ・ステラ

※社会人設定


幸せになってください。笑顔でそう言えた自分を褒めてやりたい。今日はお気に入りのケーキ屋さんに寄ってご褒美を買って帰ろうかな。そうでもしないと気持ちが落ち込みまくって、明日から生きる屍と化してしまうような気がする。と言っても、ケーキを買ったぐらいじゃあこの気持ちを完璧に誤魔化すことなんてできないのは分かりきっているのだけれど、ほんの少し気分を紛らわすことぐらいはできるだろう。
数時間前のことだった。自ら彼に別れを告げたのは。清々しく晴れていた土曜日の夕暮れ時。随分と前から今日言うことは決めていた。晴れていても雨が降っていても、別れは今日。それは揺るがなかった。
もう自信がなくなっちゃったんです。
それだけ伝えた。どういう意味かと尋ねられたけれど、それには答えず、ごめんなさい、と。謝罪の言葉を繰り返して、最後に、幸せになってください、と言ってから逃げた。携帯が何度も震えていることには気付いていたけれど、無視し続けていたので今はもう静かになっている。家に帰るのはなんとなく嫌で、当てもなくブラブラ。きちんと覚悟していただけあって、涙は出ない。
彼のことは、嫌いになったわけじゃなくて、むしろ好きなままだ。別れたいなどと思ったことも1度もない。でも、耐えられなかった。自分より彼に相応しい人がいるって知ってしまったから。


「治の彼女さん?」
「あ…はい。初めまして。名字名前です」
「ふぅん…」


初めて彼女に会った時、値踏みされているようだと思った。私は彼に相応しい彼女かどうか。そして私は、恐らく彼女のお眼鏡に叶う相手ではなかったのだろう。あまりまともに目を見て話してもらえなかったから。
彼女は、彼の幼馴染みだと言っていた。幼少期から学生時代に至るまで、ずっと彼とともに歩んできた、と。確か、社会人になった今でも、たまに一緒にご飯を食べに行ったり買い物に付き合ってもらう、とも言っていたと思う。正直、きいていてあまり気持ちの良いものではなかったので、無意識に忘れようとしていたのかもしれない。記憶はひどく曖昧だ。
彼は、たまたま近所に住んどってお前が付き纏っとるだけやろ、と彼女を一蹴していたけれど、その姿が逆に仲の良さを象徴しているように見えた。これが、別れを決意することとなったキッカケのひとつ。
初対面での印象はあまり良くなかったけれど、彼女は客観的に見てとても綺麗な顔立ちをしていた。彼と並んで歩いたら美男美女という言葉がぴったり似合う。そんな容姿。私みたいな平凡な女では到底太刀打ちできないと認めざるを得なかった。これも、別れの要因。
何より、彼は私といる時より彼女といる時の方がリラックスしていて楽しそうに見えた。そりゃあ昔からの仲なんだから対等に渡り合えるわけがないだろう、と思うかもしれないけれど、私とどれだけ長く一緒にいても、彼女と接するように振る舞ってくれる日はこないだろうな、と。漠然とした敗北感に襲われたのだ。


「やっぱり、辛いなあ」


擦れ違う人にすら聞こえないぐらいの小さな声で呟いた。自分で決めたことなのに。辛い、なんて弱音を吐けるような立場じゃないのに。それが分かっていても私は、込み上げてくる寂寥感をどうすることもできなかった。
追いかけて来ないってことは、彼の方もなんだかんだで別れを受け入れたということなのだろう。驚いた顔をしていた。なんでや、どういう意味や、って尋ねられた。けど、別れたくない、とは言われなかった。それが全てだ。
心の奥底ではちょっぴり期待していた。理由なんか後できくから別れたくないって、そう言って引き留めてもらえるんじゃないかって。でも私に、そんな価値はなかった。ちゃんと、分かってたけど。それでも全く期待しないというのは無理だった。なんと惨めで愚かなのだろうか。
自分のちっぽけさを痛感したら急に緩み出す涙腺。覚悟していたから涙が出なかったんじゃない。別れたという実感がなかったから抑え込めていられただけで、実感してしまえば、もう、止められそうにはなかった。
歩きながら泣くなんてみっともないことはさすがにできないから、俯いて必死に涙を堪えながら早足で人気のないところを目指す。泣いても目立たなくて、誰の迷惑にもならないところ。ベストなのは家に帰ることだけれど、今いる場所から家までは距離があるから、そこまで涙を堪えるのは到底無理だ。じゃあ、どこに行こう。考えながら歩いているつもりだったけれど、私の足は自然とある場所へ向かっていた。
辺りが暗くなってきたことが幸いして、その場所には誰もいなくて安心する。もう暗闇に溶け込んでほとんど見えないけれど、眼前には海。奇しくも、彼との思い出の場所だった。涙が出ようが出るまいが、私は最初からここを目指していたんだと思う。


「初デートで海て。ベタすぎひん?」
「ベタなのが良いんですよ」
「名前がええならええけど…」


海に入れる時期じゃなかった。彼の誕生日が終わった後だったから、季節は秋。足だけ浸けることさえも肌寒くて断念するぐらいの気温だったと思う。ああ、今日の天気と似ているなあ、と。ちょうど1年ほど前のことを思い出して、忘れかけていた寂寥感が蘇る。ついでに涙も。
つうっと。頬が濡れていく。さあっと吹き付ける風が濡れた箇所の冷たさを増幅させていくけれど、次から次へと溢れ出てくるから拭うことは諦めた。


「まさか泣いてへんよなあ」


びくり。突然声が聞こえて肩が跳ねる。誰もいないと思っていたからというのもあるけれど、その声の主が誰なのか、分かってしまったから。振り向きたくない。なんで、彼がここに?驚きのあまりあんなに溢れ出していたはずの涙は止まっていて、私はとりあえず頬をゴシゴシと擦って涙の痕を消し去った。
背後から砂を踏みしめてこちらに近付いてくる彼の気配。走って逃げ出しても良いけれど、彼の方が圧倒的に運動神経が良いので、すぐに捕まってしまうことは分かりきっている。


「なんで、ここにいるんですか、」
「それは名前が1番分かっとるんちゃう?」
「…分かんないですよ」
「名前がここに来た理由と同じやと思うけど」


私がここにきた理由ってなんだろう。勝手に足が向いただけ。気付いたら辿り着いていただけ。意図してここに来たわけじゃない。だから、理由なんてない。
ざり、と。砂を踏む足音が真後ろで聞こえて、止まった。先ほどよりも随分と近くで、ほんまに分からへんの?という問いかけが降ってきて、その声に胸がじくじくと痛む。そんな私を更に追い詰めるかのように目の前へと位置を移した彼は、大きな身を屈めて顔を覗き込んできた。


「ほんまに泣いとったん?」
「泣いてないです」
「痕、残っとる」
「うそ、」


ちゃんと消したはずなのに、と再び自分の顔を擦った私に、嘘や、って言ってきた彼は、ずる賢い。私は彼の仕掛けた単純な罠にまんまと引っかかってしまったらしい。
どういうつもりだ、と顔を見てしまったのが運の尽き。なんで名前が泣いとんねん、と困ったような顔で、けれども安心したような、ちょっと嬉しそうな表情を浮かべている彼と目が合ってしまい、胸の痛みが強くなった。


「フラれたんは俺やろ。泣きたいんはこっちの方やねんけど」
「…ごめんなさい」
「そればっかやな」
「ごめん、なさい、」
「ほらまたや」
「…他に言える言葉が思い付きません」
「自信なくなった、て言うたの。やっぱ何回考えても意味分からへんわ」


私を責めるような物言いではなく、彼は本当に、ただ感想を述べているだけのようだった。口調はひどく穏やか。それが余計に、私の罪悪感を駆り立てる。


「泣くぐらいなら別れんでええんちゃうん?」
「でも、治さんには私よりも相応しい人がいるから…」
「それ誰?」
「それは…」
「相応しいかどうかなんかどうでもええわ。俺は名前がええ」


俺に相応しいかどうかは俺が決める。
その言葉にはずしりとした重さがあった。治さんがここに来た理由。私と同じだと思うと言っていたけれど、それはきっと正解だ。初めて2人で訪れた思い出の場所で、終わりを迎えたかった。何の変哲もない真っ暗な世界で、申し訳程度にきらりと星が煌めく。波音だけが静かに聞こえる。そんな空間に身を投じたかった。治さんって案外センチメンタルなんだな、なんて思ったけれど、それは私も同じだから何とも言えない。
治さんが屈めていた身をゆっくりと元に戻す。彼の顔が見えなくなってホッとしたのも束の間、身体を引き寄せられて、首筋に埋められたのは治さんの顔。


「またこっから始めようや」
「…私でいいんですか…?」
「名前がええて言ったん、聞こえへんかった?」
「治さん…、ごめんなさい」


あなたの幸せを願って別れようと決心したのに、こんなにも簡単に揺らいだりして。ちゃんとあなたへの想いを断ち切れなくて。あなたの優しさに縋り付いたりして。
治さんが幸せになれるかは分からない。けど、私は治さんと一緒なら確実に幸せになれる。こんな理不尽を許してくれますか。それでも良いって思ってくれますか。きかなくても、答えはなんとなく分かっているけれど。


「好きです…ごめんなさい、」
「日本語おかしない?」
「良いんですよ、これで」
「ほな俺も…好きや、ごめんな」
「治さんは違います」
「よぉ分からへんなあ」


顔を上げた治さんと視線が交わって、どちらからともなく笑い合う。今でも自信はない。彼女の存在は気になっているままだし、これから先また同じことを繰り返すかもしれない。けれどその度に、私はきっと治さんのことをもっともっと好きになっていくんだろう。
真っ暗な世界。さざめく波の音。月は見えなくて星だけが私達を見ていた。静かで優しい夜だった。
ヒロインは治より年下のつもりで書いていたのでわざと敬語にしています。治がめちゃくちゃ大人な性格になってしまったような気がしますが、私の中ではなんとなく侑より治の方が包容力あって落ち着いてるイメージなんですよね…この2人にはゆっくり穏やかな愛を育んでほしいです。


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