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シークレット・アビス

※社会人設定


「好きって言ったら怒る?」
「この状況でよく言えるね」
「この状況だからこそ、だよ」


性格の悪い男はモテない。…というのは、真っ赤な嘘だ。現にこの男は、性格が悪くても顔面偏差値が破茶滅茶に高いのでモテモテの人生を送っている。それがどうにも気に食わなかった。けれども、それ以上に納得できてしまうから腹立たしい。
彼の住むマンションのリビング。上品なソファに腰掛けている彼と、ソファに脚をかけ身を乗り出しながら彼のネクタイを引っ張っている私。ガラの悪い女だと思われても文句は言えないけれど、生憎この空間には私と彼しかいないので、そんなことを言われる心配はない。


「こうなる度に毎回思うんだけどさ、いい加減みんなに言っちゃおうよ」
「それは嫌」
「名字さんみたいな人でも結局男は顔で選ぶんだ〜って思われたくないから?」
「分かってるならきかないでくれる?」
「良いじゃん別に。顔で選んでも。俺イケメンだから仕方ないって」
「ほんっとそういうところ嫌い」
「嫌い、ねぇ…?」


あ、やばい。これは言っちゃいけないワードだった。などと気付いたところでもう遅い。ふわふわゆるゆるしたオーラを一瞬で取り払い、代わりにぴりぴりとげとげしたオーラを放つ彼に、ぞわりと身の毛がよだつ。
ネクタイを引っ張っていた私の手首を掴んで、お返しとばかりに自身の方に容易く引っ張るその力の強さは、どんなに綺麗な顔立ちをしていても男なんだと認めざるを得なかった。バランスを崩した私は彼の胸に盛大に顔をぶつけるハメになったけれど、文句を言う前に顎を掴まれ唇を塞がれてしまったので、声を発することなどできない。
いつも穏やかで、冷静で、誰にでも愛想良く笑顔を振り撒いているくせに、実は感情的で強引なところは、わりと好き。たぶんそれは、私しか知らない及川徹だからだ。私は独占欲が強い傲慢な女だから、自分しか知らないということに優越感を感じているのだと思う。
そもそも今日だって、今日以外の日だって、喧嘩の原因は私の醜い独占欲と嫉妬心によって勃発している。もはや私が一方的に怒っているだけなので喧嘩と言えるのかどうかも微妙なところだけれど、兎に角、いざこざの根源は私。…と、彼の性格の悪さだ。


「俺のこと嫌いなくせに嫌がらないんだ?」
「相変わらず性格悪…」
「お前も大概強情だよね。そういうとこ可愛くないよ」
「……知ってるし」


知ってる。自分が可愛くないことぐらい。会社では仕事がバリバリできるキャリアウーマンを気取っているから、男なんかに負けないって強気なキャラが定着している。その強がりはプライベートにまで侵食していて、私はもう、どこでどうやって気を抜いたら良いのか分からなかった。
彼の前では、極たまに弱音を吐く。けれど、いまだに甘えきることはできない。彼も同じ職場で働いている以上、そういうところを見せるのは躊躇われるのだ。もう甘え方なんて忘れてしまった。いや、元々甘え方なんて知らない。だから、可愛くない、なんて言われても仕方ないし、今更傷付いたりしない。って、思ってたんだけどな。
じくじく。胸が痛む。私にもまだちゃんと女としての可愛げが残っていたことは嬉しい発見なのかもしれないけれど、この傷の癒し方を、私は知らない。だから、せめて傷を広げないようにと彼から目を逸らすことしかできなかった。


「そういう顔もできるのにね」
「見るな」
「可愛くないって言われて傷付いたの?」
「そんなんじゃない」
「嘘吐くの下手なんだからやめときなよ」
「じゃあきかないで」
「嫌いって言われた仕返ししただけだから」
「別に気にしてないってば」
「名前…こっち向いて」


可愛い。
私の頬に指を滑らせながら囁く彼は、本気でそう思っているのだろうか。それとも揶揄っているだけなのだろうか。今までのやり取りからいって完全に後者の確率の方が高いのは明白。それなのに、指先から伝わる温度といつのまにか元通りになっているふわふわした雰囲気が、ほんとだよって伝えてくるから嫌になる。自分が、弱くなったみたいで。
彼を選んでしまったのは、求めてしまったのは、顔が決め手じゃない。私をちゃんと女として認めてくれたからだ。仕事がどれだけできても強がっていても、私はなんだかんだで脆くて。そういう一面をほんの少し見せるだけで「なんだ、お前もやっぱり普通の女なんだな」「男に頼らず生きていけるタイプだと思ってたから惹かれたのに」って幻滅されるのがいつものパターンだった。でも、彼は違った。
仕事で珍しく失敗した日。悔しくて、誰もいない会議室で唇を噛み締めて泣いていた。そこにやって来たのが彼。バレないように涙を拭いて、いつも通りの表情と声音でお疲れ様って言ったのに、彼は困ったように眉尻を下げて尋ねてきたのだ。なんで隠すの?って。
だって隠さなきゃ、また、幻滅されるじゃないか。思っていてもそれを口に出すことはできなくて、何も隠してないけど?って、精一杯強がった。けれども彼はそんな私の必死の振る舞いさえもお見通しだったようで、嘘吐くの下手だね、って笑った。
それからはもう、思い返したくもないのだけれど、私はかつてないほどみっともなく泣いた。泣いて泣いて、そんな私の背中を彼はさすってくれて、漸く落ち着いて羞恥心と絶望感に襲われ始めた時に、彼はまたタイミングよく言った。良かった、って。泣いてくれて良かった、って。そう、言った。


「お前は最初からずっと可愛いよ」
「そういうの、いいから」
「ほんとのことなのに」
「…それはどうもありがとう」
「素直じゃないね、相変わらず」


ふふっと笑った彼は、憎たらしいぐらい綺麗だ。だから彼の上に跨って座ったまま、再びネクタイを引っ張って唇をぶつけてやった。やられっぱなしは性に合わないから。
こういうことをするのは初めてではなくて、むしろよくあること。だから彼は驚かないし、私も恥ずかしがったりしない。こういうところが可愛くないってことも知ってる。けど、彼はこういうところを可愛いと言う。今も嬉しそうに笑っているのがその証拠。


「もっと優しくしてほしいなあ」
「うるさい」
「さっきお手本見せてあげたでしょ?」
「知らない」
「じゃあもう1回しよっか?」


私の了解も得ずに口を塞いできて、本当なら怒って然るべきところだけれど、残念ながら私に怒る気力はない。ただ、自分からする時とは違って、ちょっぴり恥ずかしいと感じるだけ。恋人同士らしい艶めかしいキスは何度やっても苦手だ。
こういう雰囲気に流されて、なんで喧嘩していたのか、何に怒っていたのか、全てが有耶無耶になってしまうのは私達のいけないところだと思う。けれども改めない。だから繰り返す。馬鹿みたいに同じことを何度も。


「できれば喧嘩はあんまりしたくないからみんなに言っちゃった方が手っ取り早いんだけど、名前が言いたくないならこのまま秘密にしとくよ」
「…うん」
「こんな名前が見れるのは俺だけだと思うと優越感に浸れるし」
「何の得もないでしょ」
「あるよ。俺には」


彼は物好きだ。もっと良い女を選ぶことだって簡単にできるのに、私みたいな、甘え下手で面倒臭くて無駄にプライドが高い女を選んだりして。
ねぇ好きだよ。彼は何の脈絡もなくそう言った。喧嘩中に、よくもまあそんなことが言えるものだといつも思うけれど、悔しいことに私は毎回その言葉に絆される。それは勿論、私も彼のことが好きだからだ。好きじゃなきゃキスしたり嫉妬したりしない。彼もそれを分かっている。
私の方からは滅多に口にしないその2文字。今日はなんだか少し気分が良いから言ってみようか。そんなことを思って気紛れにぼそりと、私も好きだけどね、と呟いてみる。彼は数秒固まって、それから、珍しいね、ってそれはそれは嬉しそうに笑って。額をコツンとぶつけ合ったら仲直りの合図。


「明日、朝早いんだっけ?」
「うん」
「じゃあ早く寝なきゃ」
「そうね」
「…寝るって意味、分かってる?」
「…分からないから教えて?」
「良いよ。名前にだけは特別に教えてあげる」


スイッチが入った時の彼の笑みは、綺麗なだけじゃなくて少し怖い。でもそれがクセになる。こんな彼を知っているのも私だけ。自分のイメージが崩れるからってだけじゃない。お互いのことをお互いしか知らない今の状態が心地良いから、私は誰にも教えたくないのだ。彼との関係を。
するする。彼の指が私の身体をなぞり始める。お風呂入りたかったなあとか。化粧落としてないやとか。スカートもシャツもシワがついちゃうなあとか。色々考えることはあったけれど、とりあえず。その後どうしたかなんて野暮なことは語るまでもないだろう。
及川徹は女を絆すのが格段に上手いと思っています。そして狙った獲物は確実に逃がさないタイプだしチャラそうに見えて彼女にゾッコンなのもデフォルトです(全て私のイメージ)。


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