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紅と愛と

※成人済み設定


背中についた爪の痕が、痛いのか熱いのかわからない。これはわざとだ。この女は、わざと自分に爪痕を残している。侑は、そう確信していた。
求めてきたのは女の方から。侑はそれに応じただけ。彼女というわけでもないその女の醜い独占欲の証が、背中の爪痕というわけだ。もうこの女からの誘いは受けるまい。侑は心の中でそう誓った。
特定の相手は作らない。それが侑のポリシーだった。俗に言う遊び人というやつ。しかも自分からはアプローチしない。座右の銘はずばり、来る者拒まず去る者追わず、だ。今まで相手してきた女は数知れず。名前は勿論のこと、顔すら覚えていないことが殆どだから、街中で声をかけられる度に、はて誰だっただろうか?と首を傾げてばかりである。
顔を覚えている女は、大半が面倒臭かったタイプ。彼女にしてほしいとか、他の女とは関係を持たないでほしいとか、まあそういうことを言ってくる類い。それ以外は、身体の相性が最悪だったとか、ストーカー紛いなことをしてきたとか、兎に角あまりにも自分に害を及ぼすようなタイプ。つまり、侑の脳内にはろくな女が記憶されていなかった。


「どーも」
「えーっと…あつむ、くん?」
「そぉそぉ。自分が名前ちゃん?」
「はじめまして」


知り合いの紹介で会うことになった女との待ち合わせ。年齢は自分と同じだと聞いていたけれど、女は侑より幾分か大人っぽく見えた。唇にのった紅いルージュがそう見せているのだろうか。それとも、妖艶にゆるりと弧を描いた口元のせいだろうか。今回は当たりだな。侑は内心そう思いながら、自分も笑みを作った。当たりの女ということは、すなわち、恐らく今後、名前の顔や名前が侑の脳にインプットされることはないということを意味する。
当たり障りのないお店で夜ご飯を食べ、少しずつお互いのことを話して(勿論この情報も侑の脳内からはすぐさま削除されるのだけれど)、ちょっぴり打ち解けて。お酒の力でほろ酔い気分になった頃というのが、ちょうど終電が近付いている時刻。これからどうするか。決めるのは名前の方だ。侑の方からは決して手を出さない。それがポリシーだから。


「そろそろ終電の時間ちゃう?」
「ああ、そうだね」
「帰らんでええん?」
「まあ最悪タクシー使えば良いし。侑君は?」
「同じようなもんかなあ」
「そっか」
「おん」


帰るのか帰らないのか。ハッキリしないまま駅方面に向かってノロノロと歩く。侑としては帰るならさっさと別れてしまいたいのだけれど、名前がギリギリまで迷いたいというのなら付き合ってやるか、という気持ちだった。けれど、今日の相手はいつもと違うらしい。


「侑君はどうしたい?」
「名前ちゃんの好きなようにしぃや」
「…ほんと、きいてた通り」
「何が?」
「自分からはどうしたいか絶対に言わないって」
「レディーファーストやから」
「嘘吐き。全てを相手に委ねておけば、いざという時に自分は何も選んでないんだからって逃げられるからでしょ?」


急にズケズケとものを言うようになったのは酒が入ったせいだろうか。いや、違う。こっちが本性だ。それまでの名前は猫を被っていたに違いない。侑は密かにほくそ笑んだ。なるほど、この手のタイプはあまり出会わないから面白い。そういう意味でも当たりだ、と。
駅に向かっていた名前の足が止まる。それに倣って侑も足を止めて2歩分ほど後ろで立ち止まっている名前の方を振り返れば、何を考えているのか読めない瞳と視線がぶつかった。紅いルージュは店を出る前に塗り直したのだろうか。食事の時に取れたはずなのに、暗闇の中でも分かるほどテラテラとした光を放っている。


「帰る」
「名前ちゃんがそれでええなら」
「良いも何も、ちっとも魅力的じゃないもの」
「俺が?」
「そう。だから、さようなら侑君」


美しいと思わせる笑みを残して、名前は来た道を引き返して行った。1度も振り返ることなく颯爽と。
魅力的じゃない。侑がそんなことを言われたのは生まれて初めてのこと。負けず嫌いな性格ゆえに、侑はこの一言に随分とカチンときていた。魅力的じゃないだって?この俺が?冗談じゃない。終電ギリギリのこの時間になって何の未練もなさそうにさっさと帰られたことも、侑にとっては初めての経験だった。そういえば連絡先すら交換していない。携帯をちらつかせてくることもなかった。思い返せば返すほど、侑には腑に落ちないことだらけ。


「…しょーもな」


こんなことで振り回されてはいけない。自分にはポリシーがある。腹は立つけれど、いちいち気に留めるほどの女じゃない。そこそこ良い女だったかもしれないし面白い女だとも思った。けれど、だから何だ。
運良く間に合った終電に乗って帰りながら侑は思った。名前のことは、いつもの女と同じように忘れよう、と。寝て起きたら綺麗さっぱり忘れている。いつも通りに。そう。忘れられる、と思っていた、のに。
侑は何も忘れていなかった。名前の顔も、名前も、紅いルージュも、言われたセリフも、颯爽と去っていく後姿も、全て。頭はクリア。寝不足というわけではない。むしろよく寝た。だって昨日の夜は何も起こらなかったから。1人で家に帰って、1人でベッドに埋もれて、朝までぐっすり寝ることができたから。それがまた、侑のイライラを助長した。
ムシャクシャした気分を紛らわすために家を出て街をぶらつく。そうすれば適当な女が声をかけてくるかもしれない。いつも通りの自分に戻れるかもしれない。そう思ったのに、そういう時に限って適当な女は現れないもので。その上、何の悪戯か。昨日から頭にこびりついて離れない女の姿を見つけてしまった。
自分からはアプローチしない。基本的に相手をした女のことは忘れる。そんなセオリーはどこへ行ってしまったのだろう。気付いたら侑は声をかけてしまっていた。名前ちゃん、と。振り向いた名前の唇に、昨日のような紅いルージュはのっていない。


「侑君?すごい偶然」
「せやなあ」
「驚いた。侑君、私のこと覚えてたんだ?」
「昨日の今日で忘れるほどアホやあらへんよ」
「声かけてきてくれたことにもびっくりしてるけど」
「…それは俺もや」


侑にだって自分の行動の意味は分からなかった。ただの衝動。反射。つまり、自分の意思とは関係のないところで身体が反応したのだ。
侑の呟きに、名前は目を丸くさせる。そうして、くすりと小さく笑うと、今から暇?と尋ねた。一緒にランチでもどう?というありがちな誘い文句を添えて。普段だったらその手の誘いには応じない侑が、ええよ、と即座に返答したのも、衝動的な反射のひとつだろう。
それから2人は本当にランチを食べた。洒落た店ってわけではない、むしろかなり大衆的な普通のファストフード店のカウンターで隣り合わせに座って。食事中の会話はほとんどなし。食事を終えてからもどこかに行ったりはせず、自然と別れた。
なんてことない再会。ごく平凡な食事。特別な要素なんて何ひとつなかった。あるとすれば、それは、相手が名前だったということ。ただそれだけだ。
イライラしながら歩いている時、侑は、次に名前に会った時は嫌味のひとつでも言ってやろうと思っていた。だから先ほどの誘いだって、魅力的じゃない自分と一緒にいて楽しいか?と、嘲笑いながら突っ撥ねるのが「正解」だったはずなのだ。けれどもそうしなかった。否、そんな選択肢は頭からすっぽり抜け落ちていた。
連絡先なんて知らない。共通の知り合いにきけば分かるだろうけれど、そこまでする必要があるだろうか。きいて、どうするんだ、自分は。初めての感情に動揺する。
結局、侑は名前の連絡先をきくことはせず、何がどうなってしまったのか、女遊びをパッタリとしなくなった。頭の中に残されていたろくでもない女達の記憶はいつの間にか消え去って、代わりに名前のことだけ覚えていた。自分が自分じゃなくなったと思った。けれど、どうしようもなかった。
そんな時に、また出会ってしまったのだ。夕暮れ時の雑踏の中、自分の脳内に唯一記憶されている女に。


「名前ちゃん…!」
「え、ちょ…っ、侑、君…?」


人混みを掻き分けて必死に掴んだ細い腕の主は、振り返って侑の顔を見るなり、いつかと同じように目を丸くさせた。そりゃあそうだ。あの再会から1ヶ月は経過している。まさか偶然の再会を2度もすることになろうとは、お互いに思っていなかっただろう。


「びっくりした…」
「俺が名前ちゃんを覚えとったことに?」
「それもそうだけど…また会えたことにも」
「せやな。運命ちゃう?」
「…そういうこと言うんだ」
「初めて言うたわ」
「似合わないね」
「自分でもそう思う」
「でも…とっても魅力的」


ふふ、と。名前は綺麗に笑って。ちょっと待ってね。そう言って鞄の中のポーチから取り出したのは口紅。初めて会った日と同じ、鮮やかな紅いルージュを唇に纏わせた。


「今から暇?一緒にディナーでもどう?」
「ええよ。けど、その前に、」


これもまたいつかと同じ誘い文句と返答。けれどいつかと違ったのはそれからだった。侑は名前の腕を引っ張り暗い路地裏に連れ込むと、先ほど纏わせたばかりの紅を自分の唇に移すように押し付ける。離れてすぐ、誘っとったんやろ?と尋ねた侑に、名前はただ笑うだけ。紅いルージュが互いの唇で中途半端に光るのが、滑稽でアンバランスで、何より、美しかった。
そうしてディナーを終えて、終電間際の時刻。名前は尋ねた。侑君はどうしたい?と。
自分からはアプローチしない。特定の女は作らない。そんなポリシーは捨て去って。侑は言った。名前ちゃんとおりたいかなあ。意地悪な女は更に尋ねる。それってどういう意味?フッフ。くすり。お互い笑いを零した後、侑は名前の紅をなぞって。いつからか言おうと思っていたその言葉を囁いて満足そうに呟いた。


「やっと言えた」
思っていた以上に大人な雰囲気に仕上がりました。たまには侑が翻弄されるのも面白いかなと思って書いてみたらなかなか上手くまとまらず…無駄に長くてごめんなさい。ちなみにタイトルの「紅と愛と」は天然石「ベニトアイト」にかけていたりします。ベニトアイト自体は青く綺麗で希少価値の高い宝石で、あえて紅と対比することでヒロインと侑を表せたらなと思ってタイトルに利用させていただきました!


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