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始まりはレモンティーで

※大学生設定


知らない場所のはずなのに、どこか懐かしい気がして立ち止まる。そして、後悔。ここには、2日前に別れたばかりの元彼と行ったカフェと似た雰囲気が漂っていることに気付いてしまったから。
彼とは、そんなにベタベタした付き合いをしていたわけではないけれど、それなりに長く続いていた。これからもそうやって、穏やかに、静かな水面のように、けれどもきちんとお互いを想い合って過ごしていくのだろうと思っていた。のに。どうやらそんなことを考えていたのは私だけだったらしい。
シンプルに、別れてほしいんだ、と。用件だけを簡潔に伝えられた。驚きと寂しさと悲しさと、それ以外にも色々な感情はあったけれど、それでも私は取り乱すことなくその申し出をあっさりと受け入れた。そんなに好きじゃなかったんだろ、と言われればそれまで。けれども一応反論しておくならば、私はきちんと彼のことが好きだった。別れた後も尚、こうして彼のことを思い出してしまう程度には。
思えば付き合い始める時も付き合っている最中も、そして終わりを迎える時も、彼とは一定の温度を保ち続けていた。燃え上がることもなければ冷め切ってしまうこともない。喧嘩らしい喧嘩なんてしたこともなかった。平和だった。けれどもそれは、もしかしたら恋愛ではなかったのかもしれない、と。別れた今になって思う。
好きだったのは確かだ。間違いない。ただ、失ったら自分自身が崩れてしまうとか、いなくなったら生きていけないとか、そこまで大それた存在じゃなかったことも確かで。そう考えればこの別れは、来るべくして来たものなのだと、他人事のように納得している自分もいた。
立ち止まったまま、そんなことをぼーっと考えていたのがいけなかったのだろう。ドン、と何かにぶつかられて、その直後に、べしゃり、と嫌な音。視線を落とせば、案の定、私のシャツとジーパンには見事なシミという名の花が咲き誇っていた。熱くなかったことだけは不幸中の幸いというべきだろうか。このシャツ、地味にお気に入りだったんだけどな。シミ落ちるかな。


「すんません!」
「いえ…こんなところに突っ立ってた私がいけなかったので…」
「名字?」
「え、あ。岩泉君」


汚れたシミを見つめていた私は、顔を上げて驚いた。そこに同じ大学に通う同級生の姿があったからだ。特別仲が良いというわけではないけれど、必修科目のグループワークでたまたま同じグループになったことがあるので、全く知らないというわけでもない。友達と言えるほどではないと思うから顔見知りといったところだろうか。兎に角、私に飲み物をぶち撒けてきたのが岩泉君だということは明らかだった。
挨拶もそこそこに、岩泉君の視線は私の服へと向けられる。悪ぃ、と落とされた短い謝罪の言葉からは、心の底から申し訳ないと思っていることが伝わってきた。元々責めるつもりなどなかったことに加えて彼の言葉と気持ちが後押ししたのだろう。私の口からは自然と、良いよ良いよ、というセリフが飛び出していた。お気に入りのシャツが汚れてしまったのは残念だけれど、洗濯なりクリーニングに出すなりすれば綺麗になるかもしれないし。


「もしかして今からどっか行くとこだったか?」
「ううん、もう帰るから大丈夫。岩泉君こそ、どこか行くところだったんじゃないの?」
「まあな。でも急ぎじゃねぇから」
「そっか」


話はそこで途切れてしまった。そんなに親しくないから、当たり前のことながら共通の話題などない。急ぎじゃないとは言え彼はどこかに行く予定があるみたいだし、これで別れるのが自然な流れだろう。
そう思って、じゃあね、と言おうと思って私が口を開きかけたのと、そういえば、と彼が言ったのが同時だった。どうやら彼はまだ私と話をする気があるらしい。小さなことかもしれないけれど、それは私にとってちょっぴり嬉しいことだった。
岩泉君は見た目が少し怖い。けれども話してみると怖い人じゃないってことはすぐに分かったし、人が面倒臭がってやりたがらないことも、でもやんなきゃいけねーんだろ、と言ってきちんとこなす。初めて出会った時、そういうところに好感を持ったから。できればもう少し話してみたいなと思っていた矢先にグループワークが終わってしまったのでもう話す機会はないと諦めていたのに、まさかこんなところで会うとは思わなかった。


「なんでこんなとこに突っ立ってたんだよ」
「ああ…ちょっと考え事っていうか、思い出に浸っちゃってたんだ」
「へぇ」
「あんまり思い出したくないことだったんだけどね」
「思い出したくないこと?」
「…最近彼氏にフラれちゃって。その彼氏とのことだったから」
「あー…悪い。きいちゃマズいやつだったな」


再びバツが悪そうに謝る彼に、私もまた、良いよ良いよ、と先ほどと同じフレーズを繰り返す。全く気にしていないと言ったら嘘になるけれど、フラれたという事実を彼に言うのは、不思議なことにそこまで抵抗がなかった。
また流れる沈黙。ここでバイバイというのは何となく後腐れがあるというか、スッキリしないような気がして、今度は私の方から口を開く。私にしては頑張った方だと褒めてほしい。


「飲み物なくなっちゃったけど新しいの買わなくて良いの?」
「まあ…なくても良いわ」
「ここのカフェ、テイクアウトできるみたいだから、いるなら買ったら良いのになって思ったんだけど…そっか、いらないか」


なんという下手な話の振り方だろう。頭を抱えるレベルだ。しかもまた会話が終了してしまった。そして今更になって思う。人通りが少ないとは言え、私達は営業しているカフェの前で何をしているのだろうか、と。
今度こそ、じゃあね、というタイミングだろう。そう思って口を開く前に、またもや弊害。何を思ったか彼が急にカフェの方へと歩き始めてしまったのだ。さよならも言わずに行ってしまったのか?と、私は首を傾げる。けれどもその疑問はすぐに解決。足を止めて顔だけをこちらに向けた彼は、さも当然かのように言ったのだ。一緒に来いよ、と。何がどうなってそういう展開になったのかは全く分からないけれど、私はどうやら、今から彼とこのカフェに入ることになったらしい。
カントリー調で統一された店内は、外観と同様に元彼との記憶を呼び起こすには充分すぎるほど既視感があったけれど、そんなことを満足に考える暇は与えられなかった。彼がカウンターに直行し、何にする?と、突然注文を確認してきたからだ。


「えっ、私は…」
「その服汚した分。奢る」
「そんな、良いのに…」
「次の客来るぞ。ほら、どれにすんだよ」
「え、あ、じゃあ、レモンティーで…」


もの凄い強引さだった。それでも不快に感じなかったのは、彼だから、ということだろうか。テイクアウトをお願いしたらしい彼はお会計の後に飲み物を受け取って、呆然と立ち尽くす私にレモンティーを渡してくれた。慌てて受け取ってお礼を言ったら、詫びなのに礼言うのはおかしいだろ、って。
初めて、笑った。彼が、口元を緩めて、ニカッと。普段の表情よりも数倍柔らかく幼く見えるその顔を見て、とくとくと心臓が忙しなく働き始めたのは気のせいじゃない。


「なんで急にお店入ったの?飲み物いらないって…」
「小腹すいたから。ちょうどいいだろ」
「ああ…なるほど…」
「名字も食うか?」


紙袋の中から取り出した大きめのカスクート。もう1個あるからって言うけど、これを私が食べないとしたら彼1人で2つ食べることになるわけで、それは果たして軽食と言えるのだろうかと疑問を抱く。時刻は午後3時を過ぎたところ。確かにおやつの時間にはちょうど良いかもしれないけれど、おやつとしてはなかなかボリューミーだ。


「あっち、座れそうなベンチあったよな」
「行くところあるんでしょ?時間あるの?」
「おう」
「私と2人でいても大丈夫?」
「どういう意味?」
「彼女とかいたら、ほら、誤解されちゃうかなって」
「いねぇから。つーか、」


詫びだからって誰でも誘うわけじゃねぇよ。
さて、その言葉の意味とは。汚れた服のことも、ここが元彼と来たことのあるカフェに似ていたことも、全て頭の中から抜け落ちて。頭いっぱいに考えるのは目の前を行く彼のこと。私こんなに尻軽な女だったっけ、なんて思ったけれど、この感情は突然訪れるのがセオリーだって何かの本で読んだことがあるから、きっと仕方ないんだ。その証拠に、ほら。とくとく、とくとく。テンポの速い心音がやけに心地良く聞こえる。
ベンチに隣り合わせに座り、私はレモンティーを啜って、彼はカスクートに噛り付いて、少しずつくだらない会話ができるようになって。私が笑ったのを見て、やっと笑ったな、って満足そうな彼に、簡単にときめいたりして。私はまた、貴方があんまり楽しそうに笑うからついつられてしまった。
岩ちゃんが相手だと爽やか青春っぽい話しか思い浮かばない不思議。気になってる子が彼氏と別れたみたいだから頑張ったつもりだけどアプローチが奥手すぎるところが岩ちゃんっぽいなと思っていただけたら幸いです。


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