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策士、未来へ誘う

※「策士、恋に溺れる」→「策士、愛で撃ち抜く」続編


まだこんな場所があったのか。名前は途方に暮れる。澤村と付き合い始めて既に1年が経過しようとしている初秋。夏の茹だるような暑さは遠のき、最近は涼しくなってきたから過ごしやすいなあと思っていたのに、今日は例外らしい。名前は7分丈のシャツの裾を捲りながら、じわりと額に滲んだ汗を拭う。何も引っ越し作業当日に夏日にならなくても…と、燦々と照りつける太陽を恨めしげに睨んでみたけれど、勿論、その光が衰えることはない。
名前が視線を向けた先にはまだ片付けられていない本棚があり、そこには勿論ぎっしりと本が並んでいた。粗方ダンボールに詰め込んだと聞いていたのに、これでは話が違うじゃないか。名前はちょうど部屋に戻ってきた恋人をじとりと睨んだ。


「ここ、まだ手付かずじゃないですか…」
「本は適当に詰め込めるかなと思ったんだけど…考えが甘かったな。すまん」
「今日中に全部運べますかね…?」
「まあ最悪、俺が明日1人でどうにかするよ」


名前の恋人である澤村はそう言うと積み上げられたダンボールのひとつを持ち上げて再び玄関へと向かって行った。
名前が引っ越し作業を手伝ってほしいと頼まれたのは先週のこと。引っ越しするということは知っていたので最初から手伝うつもりだった名前は、その頼みを快く引き受けた。しっかり者の澤村のことだ。引っ越しの準備は計画的に進めているのだろうし、元々そんなにごちゃごちゃした部屋ではないから、少し手伝えば1日で終わるだろう。そんなことを思っていたのは、結果的に間違いだった。
仕事はきっちり何でもソツなくこなすし抜け目のない澤村だけれど、プライベートでは少し違う。待ち合わせ時間に遅れたりおうちデートで寝てばっかりだったり、なんてことはないにしろ、仕事の時のような真面目さはなく、だらしないところもチラホラあったりする。もっとも、名前にそういった部分を見せるようになったのは付き合い始めて半年以上が経過した頃から少しずつだったので、最近と言えば最近だ。
他の人が知らない一面を見せてくれるのは名前にとって喜ばしいことだった。ただ、引っ越し作業をしている今に限っては喜べない。今日中に全てを片付けて、あわよくば明日の休みは2人でゆっくりできたら…と思っていたのに、この状況では難しそうだ。それもこれも、澤村が引っ越し準備を中途半端にしかしていなかったからである。
とは言え、そんな文句を言っていても作業は捗らない。名前は諦めて空のダンボール箱を広げると本棚に並んでいる本を詰め込み始めた。主に仕事関係の本が並ぶ中、ちらほらとバレーボール雑誌や漫画などもあり、澤村の趣味がよく分かるラインナップ。名前は時々気になる本をペラペラと捲りながら作業を進めていく。
そうして3つ目のダンボール箱に本を詰め込んでいる時だった。それまでの本とはサイズが違うそれが目に留まったのは。名前の目に留まったもの。それは本ではなく卒業アルバムだった。どうやら高校の時のものらしい。烏野高校、と表紙に書いてある。
そういえばお互いの卒業アルバムなんて見る機会は今までなかった。名前は好奇心に駆られるまま、ページを開く。今の澤村よりも幾分か幼く見える写真の数々。バレー部の主将だったというのは聞いていたけれど、その姿を見るのはこれが初めてだ。同じ会社に勤めている澤村と同期の菅原の姿もあり、仲の良さが窺える。


「コラ。手が止まってるぞ」
「だってこんなの見つけちゃったら見るしかないじゃないですか」
「後からでも見れるだろ、そんなの」
「そうですけど…」
「ほらほら、分かったら作業に戻って」
「元はと言えば大地さんが詰めてなかったのがいけないんじゃないですかぁ…」
「それはちゃんと謝っただろ?ごめんって」


名前の手からアルバムを取り上げた澤村はそれをダンボール箱に入れながら、困ったように笑った。名前がその表情に弱いことを知っての行動なのか、それは定かではない。けれど、それから2人は黙々と作業を続け、なんとか作業を終えることができたのだった。
ダンボール箱だらけの新居で、コンビニで買ってきたお弁当を広げる。どこかに食べに行こうかという話も出たのだけれど、お互いそんな元気はなかったのだ。


「運び込むのは終わりましたけど、片付け大変そうですね…」
「まあボチボチやるよ」
「私も手伝えるところは片付けます」
「サンキュな。助かる」


そんなやり取りをしながら夜ご飯を終え、名前がそろそろ帰ろうかと考えていた時だった。澤村が、そういえば、とダンボール箱を開け始め、取り出したのはアルバム。引っ越し作業に追われて名前はすっかり忘れていたけれど、澤村は律儀にもその存在を覚えていたらしく、どーぞ、と手渡してきた。
澤村から受け取ったそれを、どこまで見たっけ、と思い出しながらページを捲っていく。そうしてまた途中から澤村の思い出を眺めていき、最後のページを捲った時にパサリと1枚の紙が落ちてきた。どうやらアルバムに挟まっていたらしい。裏返しになっているその紙を拾いアルバムに戻そうとしたところで、名前は手を止める。


「これって…、」
「気付いた?」
「…もしかして、わざと本棚だけ整理してなかったんですか…?」
「アルバムなら見てくれるかなと思って。でもあんなバタバタしてる時に見つかるのは俺が困るから、結局こんな形になっちゃったけどな」


その1枚の紙は、婚姻届だった。いつ思い付いて、いつから仕掛けていたのだろう。名前に引っ越し作業の手伝いをお願いして、本棚の整理をしてもらって、アルバムの存在に気付かせて。全て澤村の予想通りの展開になっているのだとしたら、なんという周到な計画だろうか。


「私がアルバムに見向きもしなかったらどうするつもりだったんですか?」
「その時は自分から、そういえばアルバムあるけど見るか?って渡すつもりだったけど…名前は絶対に見るって自信あったから」
「お見通しってわけですか」
「これでも名前のことはかなり分かってるつもりだから」


サプライズも好きだろ?と。澤村は笑った。悔しいことに何も言い返せない名前は、黙ってペラペラの薄い紙切れを見つめるしかない。たったこれだけのもので、けれどもこれだけのことが、途轍もなく嬉しい。既に胸がいっぱいな名前に、澤村はダメ押しと言わんばかりに続けて言う。


「この家もさ、1人にしては広すぎるだろ?」
「え、まさか…」
「何のために家探し手伝ってもらってたと思う?」
「…ほんと、大地さんのそういうところ、怖いです」
「褒め言葉として受け取っといて良いかな?」
「どれだけ用意周到なんですか…」


驚き半分、嬉しさ半分。急に訪れた人生の転機に、名前はまだついていけていない。それでも澤村は言うのだ。
結婚してここで一緒に暮らそう、と。
プロポーズの言葉にしてはかなりシンプル。緊張した様子もなく、いつもと同じように落ち着いた声音で名前の鼓膜を振動させたそれは、じわじわと心臓に染み込んでいく。
名前は漠然と思った。この人と一緒なら、幸せになれるんじゃないかと。幸せがどんな形なのか、そもそもこの先本当に幸せになれるかも分からないけれど、それでもこの人となら最期には笑い合えるんじゃないかと。だから。


「台所は、私が片付けても良いですか」
「頼む」
「寝室はあっちの広い部屋が良いです」
「そのつもりだよ」
「新しいカーテン、選びに行きましょうよ」
「そうだな」
「大地さん、」
「ん?」
「私、幸せです」
「それは良かった」
「大地さんは、幸せですか?」


自分と同じ気持ちだったら良いな。そんな思いを込めて名前が尋ねたことに、澤村はポカンとして。けれども暫くしてその質問の意味を理解すると、緩やかに表情を崩してゆっくりと首を縦に振った。
じわりじわり。名前の心臓が、また温かくなっていく。そうして名前は遂に、澤村が黙って頷いたその瞳があんまり優しくて泣いてしまった。
地味にシリーズものになっている澤村短編集ですが、今回はいつか書きたいと思っていたプロポーズネタを書かせていただきました。実はすごくドキドキしながらプロポーズしてると思うけどそれを上手に隠してどっしり構えている感じが澤村っぽいかなと…勝手に満足しています。どうかお幸せに!笑


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