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しがないOLの給料なんてたかが知れている。今まで趣味らしい趣味もなく過ごしてきたせいで、無駄遣いはしていないと思う。だから貯金はそこそこあるけれど、驚くほど貯まっているというわけでもない。つまり私は、テツさんに会いたいと思ったところでお店に頻繁に通えるほどの余裕はなかった。
そもそも、会いたいってなんだ。どういう感情から生まれたんだろう。彼に会って話したのは僅か3回のみ。しかもそのうち2回は道端で話す程度。それで私は、彼の何を知って、何に惹かれたというのだろうか。
思えば最初から、不思議な人だと興味は抱いていた。それが好意にあたるものかは定かではなかったし、今でもこの感情が好奇心だけではないのかと言われたらそんな気もする。イケメンだから気になっちゃってるだけかなあ、なんて。自分がメンクイであるとは思っていなかったけれど、ここまでくればその可能性は大いにある。
結局のところ、どんなに頭で理屈を考えたって、感情というものはコントロールできない。だから私はこうしていつもの帰り道をできるだけノロノロと歩いているわけで。あわよくばここでまたバッタリ出くわしたりしないかなあという、我ながら下心が見え見えの作戦を実行中。浅はかだということは自分が1番よく分かっている。


「オネーサン1人?今から暇?」
「…暇ですよ。とっても」
「あら。そんな簡単にナンパされちゃっていいの?」
「相手によります」
「ゲンキンだねぇ…名前チャンは」


耳障りの良い、聞き覚えのある声だったからすぐに分かった。いつかのナンパ男は無視一択だったのに、相手が違うと私の声色はこうも違うのかと自分でも驚いてしまう。
気が向いたら覚えておく、と言ったくせに私の名前をしっかり呼んでくれたテツさんは、へらりと笑った。お店の時とは違う、自然で力の入っていないその表情は、少し幼く見える。悪戯が成功した子どもみたいでちょっと可愛い。こんな顔もするんだ、と思っただけでほんの少し胸が高鳴る私は、案外単純だ。


「今から仕事ですか?」
「んーん。今日は久々の休み」
「休みなのにこんなところにいるなんて…家、この辺りなんですか?」
「まあね」
「…ご飯、もう食べました?」
「もしかして誘ってる?」
「はい」
「はは、素直だね」
「一緒にご飯行きたいなって思っちゃだめですか」
「思うのは自由じゃない?」
「それで、私の誘いにはのってくれます?」
「んー…ま、いっか」


今日は予定ないし、と呟いたテツさんは、じゃあ行こっか、と歩き出す。私はこの業界のことをほとんど知らないけれど、1度きりとはいえ店の客として出向いた私と、店外で食事をしたりしても良いものなのだろうか。誘ったのは私の方だけれど、今更ながらに不安になる。けれどもそれを尋ねてしまったら、じゃあやめよっか、とあっさり言われてしまいそうで。ずるい私は、何も言わずにテツさんの後姿を追いかけた。
そうして歩くこと数分。路地裏の隠れ家的なお店に入ったテツさんは、店員さんと何かやり取りを交わして店内に入っていく。後を追って辿り着いたのは落ち着いた和の雰囲気が漂う個室。どうやら仕事に支障をきたさないように気を付けてはいるらしい。まあ、そんなの当たり前か。


「お酒飲む?」
「あ、はい」
「食べられないものとかある?」
「お気になさらず…」
「じゃあ適当に頼むね」


非常にスマートだった。無駄な言動なんてひとつもない。そういう職種だからだと言われればそれまでだけれど、それにしたって完璧すぎる。グラスをぶつける動作ひとつ取っても絵になるなんて、神様は不公平だ。


「美味しい?」
「はい。とっても」
「それは良かった」
「他にもこうやって一緒に食事に来る人がいるんですか?」
「…あのさ、一応きいとくけど」
「なんでしょう」
「俺のこと本気?」
「…は、」
「まさかこういう仕事してる俺に本気なわけないよね?」
「……もし、本気だって言ったら?」
「ばかだねって笑ってあげる」


にこり。それはそれは綺麗な笑顔で言われたセリフは、ひどく鋭かった。そう、私はバカだ。だから、バカでも良いって思える程度には、もう既に深みにハマっていた。
これは忠告だったに違いない。俺に本気になっちゃいけないよ、という、テツさんなりの優しい忠告。けれどもきっとそれは、出会った時点で遅かった。


「私、本気かもしれません」
「へぇ…ばかだね」
「知ってます」
「…それで、お望みは?」
「叶えてくれるんですか?」
「内容によるかな」
「……うちに来てっていうのは…?」
「ああ…そういうこと?別にいいよ」


素直に言えたご褒美にお金はサービスしとくね、って。お客さんとしてそういうことをお願いしたわけじゃないのに、テツさんはわざと突き放すみたいにそう言った。きっと、そういう形でしか受け入れてもらえないのだ。
分かっていた。私と彼の関係なんてこんなもの。お店のスタッフさんとお客さん。お店を出れば顔見知り。その程度でこうして一緒に食事をしてくれて、一方的な私の要望をきいてくれる。それだけで充分じゃないか。
お酒を何杯か飲んで、食事を済ませて、当たり前のようにお会計を済ませてくれたテツさんにお礼を言う。半分払うと言ったけれど華麗にスルーされて、家どっち?と何でもないことのように尋ねてくるあたり、こういうことにもやっぱり慣れているのかなあと勝手に傷付いたりして。きっとこんな女は面倒臭いだろうな。


「ほんとに、いいんですか」
「それはこっちのセリフだと思うけど」
「これも営業みたいなものなんですか」
「んー…仕事じゃないよ」
「え」
「暇潰し」
「…」
「そんな顔しないでよ。分かってたでしょ」


俺は、そういう男だって。


うん。分かってたよ。分かってた。けど、仕事じゃないって言葉にほんの少しでも期待してしまった。脳が勝手にドキドキしろって心臓に指令を送ったんだから仕方ないじゃないか。
ガチャリ。鍵を開けて家の中へ招き入れる。ごく普通のマンションの一室。綺麗とは言えないけれどそこまで汚いわけでもないから、適当に片付けながらリビングのソファに座っていてもらう。
あれ、私これからどうしたらいいんだっけ。何を望んでいたんだっけ。一緒にいたいって思ったのは事実。でも、その先は?


「ねぇ、寝室ってあそこ?」
「え?そうですけど…」
「じゃあ行こ」
「へ、ちょ、」
「だってそれが目的でしょ」
「ちが、」
「違うの?」


じゃあ何が目的なの?ってきかれても答えられない。違います、と言おうとしたはずなのにその言葉も飲み込まざるを得なくて、勝手に入り込まれた寝室のベッドに押し倒される。こんな時でもうざったいぐらい整った顔が近付いてきて、ほぼ反射的に目を瞑ると直後に頬へ柔らかな感触。続いて耳にかかる吐息。
ふわふわとした色素の薄い髪が顔を撫でて、首筋にぬるりとした生温かさを感じたかと思ったらシャツのボタンをぷちぷちと外されていることに気付いた。慣れてる。無駄がない。そのことが、私の胸を締め付ける。


「やめようか?」
「…今更、ですか、」
「今なら引き返せるから、一応ね」
「やさしいんですね」
「どうかな」
「…だいじょうぶ、です」
「ん、分かった」


何が大丈夫なんだろう。自分で言ったことを鼻で笑いながら、男のくせに綺麗すぎる指が肌を滑っていく感覚に身を委ねる。嬉しい。けど、つらい。この指先が、この体温が、この人の全てが、自分のものじゃないということが。