×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -

平凡な生活の連続に飽きていた。だからと言って、その平凡な生活から抜け出す術を、私は知らない。否、てっとり早く抜け出す方法は知っている。けれどもそれには相手が必要だった。その相手がいないから、結局のところ私の人生は今のところ平凡な生活のループでしかないわけで。今日も私は、1人で夜の街を歩いている。
何か良いことないかなあって、毎日同じことを思いながらフラフラ歩いていて良いことがあったことは今までに1度もない。そもそも、私にとっての良いことって何だろう。それが明確に分からないくせに漠然と「良いこと」を求めているなんて、よく考えてみれば滑稽だ。


「ねぇ1人?今から暇?」


勧誘。もしくはナンパ。何度か経験はある。そしてこれが私にとって「良いこと」でないことは確かだったので無視を決め込む。こういうのは相手にしないのが1番良い。
大抵の場合は無視し続けると諦めてくれるのだけれど、今日は違った。とてもしつこい。ずっと付き纏ってくる。女なんて私の他にも腐るほどいるのだから、次に行った方が効率が良いとは思わないのだろうか。ただでさえ疲れているというのに、お陰様でどっと疲れが増す。


「予定あるんで」
「どうせ嘘でしょ〜?ちょっとぐらい良いじゃん」
「しつこい男は嫌われますよ」
「はあ?」
「いった…!ちょ、やだ…っ、」


足を止めたこと、それからたぶん、余計なことを言い過ぎたのがいけなかった。どんなに口が達者でも、所詮私は女で相手は男。力で敵わないことは明白だったのに。こんな時のために護身術でも嗜んでおけば良かったと意外にも冷静なことを思ったけれど、今となっては全てが遅い。
こういう時に道行く人というのは白状なもので、こちらをちらりと窺いはするものの助けてくれる人は1人もいなかった。まあ私があちら側の立場でも見て見ぬフリをするだろうから、責めることはできないのだけれど。


「うちのお客さんに手を出すの、やめてくれる?」


どうやって逃げようかと考えている時だった。私達の間に割って入ってきたのは、見ず知らずの、すらりと背の高い、顔が整いすぎた男。その男のお店のお客さんになった記憶は1ミリもないけれど、これが私を助けてくれるための口実だということは何となく理解できた。


「お前…確か、」
「俺のこと知ってるならさ、どうしたら良いか分かるよね?」


よく分からないけれど、その男には有無を言わせぬ雰囲気があった。しつこかった輩はあんなに食い下がっていたくせに、男の出現によってあっさりと、文字通り尻尾を巻いて逃げて行って、残された私は慌てて頭を下げる。


「ありがとうございました」
「いーえ。今度から気を付けて帰ってね」
「あの、どこのお店で働いてるんですか?」
「は?」
「お礼に、お客さんとして行きます」
「ああ…そういうことか。いーよ。気にしないで」


でも、と続けた言葉は、しつこい女は嫌われるよ、という、どこかで聞いたようなセリフによって遮られてしまったので強制終了。綺麗すぎて作り物じゃないかと疑いたくなるような笑みとともに、バイバイ、と手を振られてしまえば、それ以上は何も言えなかった。
尻尾を巻いて逃げていったさっきの輩も同じ気持ちだったのだろうか。ぶつけられた有無を言わせぬオーラ。笑顔なのに、それはそれは整った表情だったのに、ちっとも感情が感じられなかった。不思議な人。そしてちょっと、怖い人。見ず知らずの私を助けてくれたということは良い人なんだろうけれど。
名前も知らないその男に見送られ、私は複雑な気持ちのまま帰路についた。


◇ ◇ ◇



正直言うと、また会いたいと思わなかったわけではない。何度か思い出しては、名前ぐらいきいておけば良かったと少し後悔する程度には記憶に残っていた。だから、あの出来事から10日ほど経過した今日になってその男に偶然会えたことは、私にとって「良いこと」かもしれない。
あの時と同じ道。帰り道なのだから仕方がないというのは言い訳で、本当はいつか彼に会えるんじゃないかと期待していた。目が合って、逸らされて、また目が合って。私の方は覚えていても、彼の方は私のことなどほとんど記憶に残っていないのかもしれない。と、思ったのだけれど。


「また絡まれたいの?」
「ここ、帰り道なので」
「ふぅーん。ま、俺には関係ないけど」
「よく覚えてましたね。私のこと」
「職業柄ね。人の顔覚えるのが得意なだけ」
「お店、教えてくれないんですか?」
「そんなに知りたい?」


お店が知りたいというより、その男のことが知りたかった。だから頷いた。ただそれだけ。すると男はあっさりと、じゃあどうぞ、と懐から名刺を取り出して私に手渡してくれた。見れば、なるほど、その容姿を存分に活かせるお店で働いているようで納得。人の顔を覚えるのが得意というのも頷けた。


「テツさん」
「そ。ご来店の際はぜひご指名ください。…って言っても、俺人気だからあんまり相手できないと思うけど」
「でしょうね」
「じゃあ、」
「あの、私、名前です。名字名前」
「…気が向いたら覚えとくよ、名前チャン」


今から出勤なのだろうか。あの時と同じようにヒラヒラと手を振って去って行く男、テツさんは、じわりじわりと確実に私の中に浸食していった。見た目だけじゃなくて、なんというか、彼には引き込まれるものがある。だからお客さんにも人気なのだろう。
私だって馬鹿じゃないから、こういう世界の男に落ちたらダメだということは重々承知している。けれども、それが分かっていても尚、手を伸ばしたいと思っている自分に驚いた。
もう1度、貰った名刺に目を落とす。お店の名前と住所、電話番号、そしてテツさんの名前。携帯片手にその店名と住所を検索し始めてしまった私は、きっともう後戻りできないところに来てしまったのだろう。その証拠に、翌日の夜、私はそのお店のドアを開いていた。


「テツさんを、お願いします」
「かしこまりました。少々お待ちください」


初めて足を踏み入れた世界は、私が思っていた以上に煌びやかというか、派手というか、とても賑やかでキラキラしていた。私が今まで生きてきた世界とは次元が違うんじゃないかって思うぐらい。
テツさんは予想通りすぐには現れず、広い店内を見回してみてもどこにいるのか分からない。ヘルプで派遣されたのであろう男の人が一生懸命相手をしてくれようとしているのは分かるけれど、チヤホヤされるのが目的で来たわけじゃないので華麗にスルー。そうやって安いお酒をチビチビ飲みながら待つこと数十分。


「…ほんとに来たんだ」
「来ちゃいけませんでしたか?」
「そういうタイプじゃなさそうだったから意外だっただけ。俺としては大歓迎」


ようこそいらっしゃいました、とわざとらしく言ってのけたテツさんは、にこり、という擬音がぴったりな笑顔を貼り付けていた。営業用スマイルってやつなのだろう。相変わらず整っている。けれど、やっぱり相変わらず感情はこもっていないようだった。
あの時助けてもらったお礼、という大義名分を掲げてお酒を注文。乾杯して、チョコレートを摘む。


「この仕事、長いんですか?」
「んー、まあそれなりに」
「お酒強いんですね」
「そうでもないよ。飲みたくない時は笑顔で躱してるし」
「他の人にもそんな風に喋るんですか?」
「……これは失礼しました。お気に召しませんでしたか?」
「…似合いますけど、私はそういうの良いので気になさらず」
「だと思った。お望みなら色々サービスするけどね?」


顔を近付けて、くいっと私の顎を持ち上げたテツさんは、目を細めて艶やかな笑みを浮かべながら少し低いトーンでそう言った後、すぐに離れて行った。
こういうお店が何をどこまでサービスしてくれるシステムなのか知らないけれど、こんなことをされたらドキドキするなという方が無理な話だと思う。こんな私でも、たったあれだけの言動で、女だったんだと気付かされた。


「あ、の」
「何?」
「また来ても、良いですか」
「……俺は良いよ。稼げるから」


包み隠さず言われた本心にチクリと胸が痛んだのは気のせい。そんなの分かってる。私はここに来ているお客さんの中の1人に過ぎないって。
こういうところにお金を費やす人って頭悪いって思ってたくせに。私も頭の悪い女だったということか。