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episode 4
変わらぬ心


それは偶然でしかなかった。運命とか、そんなこっぱずかしくてカッコいいものではなく、本当にただの偶然。ロードワーク中にぶつかってしまった女性の手からはプラスチックのカップに入っていた飲み物が滑り落ちていって、コンクリートの地面を濡らしていく。


「ごめんなさい」
「いや、こっちがぶつかったんだし…」


飲み物をダメにしてしまったというのになぜか謝られた俺は、カップを拾い上げる女性に視線を合わせるべくしゃがみ込む。そしてその女性の顔を見て、思わず、あ、と声が出た。大人びているけれど、面影は残っている。間違いない。


「名字?」
「え…」
「俺のこと覚えてねーか」
「…覚えてるし、今もテレビで見てるよ」
「そりゃどーも」


中学時代、3年間同じクラスだったのは名字だけだ。高校は別々だったから中学卒業後に会うのはこれが初めてだけれど、意外と覚えているものである。まあ、3年間同じクラスだったから、という理由以外にも、名字のことを覚えていた理由はあるのだけれど。
ロードワークを中断して、暫く名字とその場で立ち話をした。名字は今、大学に通っているのだという。自分のなりたい職業があるとかで、そのために大学に進学したらしい。
俺は高校卒業後プロ野球選手としてとある球団に入団し、お陰様で今は一軍入りを果たし試合にも出場させてもらっている。テレビで見ている、と言っていたので、てっきり名字は野球に興味があるのだろうと思って野球の話を振ってみたのだけれど、そんなに詳しくないんだ、と苦笑されてしまった。


「そういえばロードワーク中だったんだよね。足止めちゃってごめん」
「ああ、別にいいよ。適度に休憩できたし」
「プロ野球選手の御幸君に会えて嬉しかったよ」
「…名字ってこの辺に住んでんの?」
「え?ああ、うん。そうだけど…」
「俺、ここら辺よく走ってんだ」
「そうなんだ。今まで会ったことなかったね」
「気が向いた時、連絡していい?」
「へ?」


自分でも、どうしてそんなことを口走ったのかよく分からない。もしかしたら、遥か昔、学生時代に燻っていた気持ちが、久し振りの再会によって蘇ってきてしまったのかもしれない。
しまった、と思ったけれど、今更引き下がるのもなんとなく嫌で、戸惑っている名字に、迷惑だったら良いんだけど、と狡い言い方をしてしまったのは、我ながら大人気ないと思う。迷惑なんかじゃないよ!と慌てて答えた名字と、なかば強引に連絡先を交換した俺は、再びロードワークに戻ったのだった。


  


中学時代、密かに想いを寄せていた御幸君と再会したのは1ヶ月ほど前のこと。今や子ども達の憧れの的であるプロ野球選手の御幸一也。もはやテレビをつけて一方的に活躍を見守ることしかできない、遠い世界の存在になったと思っていたのに、偶然とは言え再会できたことは、もはや奇跡に近い。
とは言え、1度再会しただけでそれからは全く出会っていないし、勢い任せに連絡先を交換したものの、御幸君からの連絡はない。そりゃあ一般人の私なんかと連絡を取る暇があったら野球の練習をしたいだろうし、何の音沙汰もないことは当たり前だ。けれども、ほんの少しでも連絡があるかもしれないと期待していた自分がいるのも事実で、勝手にがっかりしていたりするのだから、私というやつは強欲である。いや、でも、気が向いたら連絡していい?って言われたし。期待するでしょ。いやいや…社交辞令かな…久し振りに知り合いにあったから気を遣ってくれただけなのかも…。考えれば考えるほど、思考はマイナスに偏っていく。
大学の食堂。私は同じサークルに所属していて仲の良い後輩と、2人で遅めのお昼ご飯を食べていた。その後輩は、最近になって気になる男性が現れたらしく、キラキラ恋する乙女モード。先ほどから、話す内容はどこかふわふわしている。いいなあ。私もこんな風に恋したいなあ。


「先輩はいい人いないんですか?」
「えっ?いないよ!」
「でも最近、前より化粧に気合い入ってません?」
「そんなことないよ!気のせい!」


妙に鋭い後輩がそれ以上追求してくることはなかったけれど、私は内心ドキドキしていた。いい人、と言われて、ぱっと頭に思い浮かんだのが御幸君の顔だったからだ。私の近所をよく走っている、ときいてから、もしかしたらまた会うかもしれないと思って、無意識のうちに化粧に気合いを入れていたのかもしれない。指摘されて初めてそのことに気が付いた。


「先輩、顔、ちょっと赤いですよ?」
「え、うそ」
「本当は恋してる人がいるんじゃないですか?」


ニッと悪戯っぽく笑った後輩は、同じですね、と可愛らしく言った。これが恋かどうかは分からないけれど、もしも恋なのだとしたら。私の恋する相手は住む世界が違うプロ野球選手の御幸一也。だから、同じじゃないよ。そんなことは勿論言えなくて、私はただ曖昧に笑顔を作ってその場をやり過ごすしかなかった。


  


「スマホの使い方、また分かんないの?」
「は?」
「さっきからずっとスマホ見てぼーっとしてるから」
「違うっつーの」


せっかくピッチング練習に付き合ってやったというのに選手控え室で失礼なことを言ってきたのは、同期で入団した成宮鳴だ。分かんないなら教えてあげようと思ったのに、と呟きながら着替える鳴は、本当に昔から変わらない。
それにしても、鳴に指摘されるほど長い間、俺は画面を見つめ続けていたのだろうか。全く自覚がない。


「もしかしてカノジョでもできた?」
「そんなわけねーだろ」
「そうだよね〜恋愛音痴の一也にカノジョなんてできるわけないよね〜」
「うるせぇ!」


いつもなら適当にスルーできることに思わず食ってかかってしまったのは、きっと、恋愛音痴というのが図星だったからだ。偶然の再会を果たして1ヶ月。俺達の関係に何か進展があったのかと問われれば、進展どころか、全く何の変化もない。そりゃあそうだ。俺からも名字からも連絡を取り合っていないのだから。
俺から連絡先をきいておいて、しかも、気が向いたら連絡していい?と言っておいて1ヶ月放置。自分でもヤバいとは思う。けれども、いざ連絡先を開いても、何と打てばいいのか分からないのだ。これでは鳴の言う通り、恋愛音痴の名を免れない。


「なあ、お前って彼女できたんだっけ?」
「そうだけど。何?一也が野球以外のこときいてくるの珍しすぎて気持ち悪い」
「彼女になんて連絡してんの?」
「はあ?そんなの、飯行く?とか、今何やってんの?とか、適当だよ。そんなこときいてどうすんの?」
「なるほどね…」


この際、気持ち悪いと言われたのは聞かなかったことにして、俺は名字の連絡先を呼び出した。メッセージとやらは簡単に送れると言われてアプリを取得させられたけれど、俺から何かを送信したことはいまだかつてない。グループに招待?されて、それを見るだけの伝言板みたいな役割だったそれを、まさか活用することになろうとは思いもよらなかった。
とりあえず、連絡してみるか。1ヶ月という期間を経て、今更何だと思われるかもしれないけれど。俺は試合中にも感じたことのない緊張感を覚えながら、慣れないスマホに指を滑らせるのだった。


  


これは夢かもしれない。そう思って何度も画面を確認した。でも、何度確認しても間違いない。あの再会から1ヶ月以上が経過して、なんと私の元に御幸君から連絡がきた。暇な日ある?と、たったそれだけ。本当に私に送られてきたものなのかも定かではない。もしかしたら他の人に送ろうと思ったのに間違えて私に送ってしまったんじゃないだろうか。そんなことも考えたけれど、考えたところで答えは分からない。
悩みに悩んだ末、とりあえず返事をしようと決意したのが1時間前。私はいまだに真っ白なメッセージ画面を開いたまま、何と返事をしようか考え込んでいた。暇な日ある?と尋ねられて、あるよ、とだけ答えたら素気ないし、本当のことを言うならしがない大学生の私はいつでも暇なので、いつでも暇だよ!と答えようかとも思ったのだけれど、それでは食い付き過ぎているような気がする。具体的な日にちを答えようかとも思ったのだけれど、御幸君の予定と合わなかったら、もうこのまま連絡を取ること自体なくなってしまうかもしれない。そんなことをグルグルと考え続けているうちに1時間が経過していたのだ。なんとも情けない。


「これってやっぱり恋なのかなあ…」


1人暮らしの部屋の中。勿論、答えてくれる相手は存在しない。ぽつりと呟いた声は、そのまま消えてなくなる。こんな風に考えていても埒が明かない。そういえば醤油を切らせてしまったんだ。気分転換がてら、買い物に行こう。私はベッドから起き上がると、さっと支度を済ませて外に出た。
ああ、何って返事しよう。御幸君は私にどんな気持ちでメッセージを送ってきたんだろう。そんなことを考えながら歩くこと5分。スーパーまであと5分ほどのところまで来て、私は適当な格好で出てきたことを激しく後悔した。
偶然の再会はこれで2回目。しかもまた、ロードワーク中。今度はぶつかったわけではないけれど、お互いバッチリ目が合って足を止めた。私の頭の中を支配していた御幸君が、今、目の前にいる。こんなことなら何かしら返事をしておけば良かったと思ったけれど、時すでに遅しである。


「買い物?」
「う、うん」
「…そっか」
「……あ、あの、」
「何?」
「返事…まだできてなくて、ごめんね」
「別に。そんなに待ってたわけじゃないから」


その反応にほっとした反面、切ない気持ちになった。そうか、やっぱり御幸君は気紛れで私に連絡してくれただけで、返事を待っているわけではないのか、と。先ほどまで昂っていた気持ちが、一気に萎んでいくような気がした。勝手に舞い上がって、勝手に落ち込んで。私はなんて勝手な女なんだろう。
そもそも、久し振りに、たまたま再会しただけで、御幸君と私は特別な間柄ってわけじゃない。中学時代を共にしただけ。長い人生のうちの、たったの3年間。再会できただけで運命かも、なんて、少女漫画じゃあるまいし、何かしらを期待していた自分が悪いのだ。


「あー…ごめん、うそ」
「え…?」
「待ってた。返事」
「え、待ってたって…私の?」
「……今ちょっと時間ある?」


沈みかけていた気分が、また浮上していく。私の心は非常に忙しい。バツが悪そうに首裏をかく御幸君は、そっぽを向きながらそんなことを尋ねてきて、私は首を縦に振って返事をすることしかできなかった。声が、うまく出ない。
私の反応を確認した御幸君は、じゃあちょっと付いて来て、と私の手を引く。そう、私は、手を引かれている。あの、御幸一也に。振り解くことは勿論しないけれど、このままで良いのだろうかと激しく動揺していて、心臓がうるさい。
手を引かれるまま連れて行かれたのは、明らかに高級そうなマンションのエントランス。このエントランスに入るにも何やら鍵が必要そうだったし、厳重なセキュリティーがあるところを見ると、ここって、もしかしなくても。


「落ち着いて話できるところ、ここしか思いつかなくて」
「あの、ここって…」
「俺が住んでるマンション」
「やっぱり…!私なんかが入ったらまずいんじゃ…!」
「俺が連れ込んだんだから何も問題ない」


そんなことを言われても、こんなに高級感漂う場所では私が居た堪れない。しかも、私の手は御幸君に握られっぱなしなのだ。
そちらに気を取られていたせいで、自然と視線が握られている手に向いていたからだろうか。御幸君も現状に気付いたようで、慌てて手を離された。安心したけれど、名残惜しい。私の感情は本当に忙しなくて困る。


「色々考えたんだけど」
「ん?うん」
「俺は遠回しに言うのとか向いてねぇみたいだから単刀直入に言う」


唐突に始まった本題らしき話。私はそれにただ耳を傾けることしかできなくて、戸惑いつつ相槌を打つ。人目を気にしてだろうか、深めに被っていた帽子を外してこちらを見つめてきた御幸君は、やけに真剣な顔をしていた。


「中学の時も、たぶん同じこと思ってた」
「うん」
「でも俺は野球以外のこと考えたことなくて」
「うん」
「久し振りに会って、また思い出した」
「…うん」
「俺は、名字のことが好きなんだと思う」
「うん……うん?えっ、は?ちょ、ま、な、」
「落ち着けって」


これが落ち着いていられることだろうか。聞き間違いでなければ、私は今、御幸君に好きだと言われた。まさか夢?好きってなんだ?どういう意味?
パニック状態の私に、御幸君はニヤリと笑いかける。なんと心臓に悪いのか。名字は俺のことどう思う?なんて、そんなこときかなくても、私の反応で分かってるはずなのに。けれど、きちんと伝えないと永遠にこのままな気がする。


「私、も、好き、かも」
「かも?」
「好き、です」
「ん、そっか。良かった」


満足そうに笑った御幸君が、私の頭をくしゃりと撫でる。夢みたいな展開にふわふわした気分でいたけれど、ふと我に帰る。私、御幸君の彼女ってことで良いのかな。プロ野球選手の彼女って一般人でもなれるものなの?
そんな私の気持ちが伝わったのか、御幸君はまた意地悪く笑って。


「とりあえず、買い物付き合ってやろうか?」
「え?でも、ロードワーク…」
「ついでに飯作ってやっても良いし」
「いや、そんな、悪いから…」
「じゃあ彼氏ってどんなことしたらいいの?」
「へ、」


名前が教えて?
そんなの、私が教えてほしいです。

1周年記念御幸夢でした。御幸はどこまでいっても野球馬鹿だと良いなと思って純情少年な気持ちで書きました。それでも最後はずるい男なんですよね…そういうところが本当に大好きです。私の願望と妄想が激しくて申し訳ありません。長くなってしまいましたが最後まで読んでいただきありがとうございました。