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#??




「眠たい…」


私は本日何度目かの呟きを落とした。
時刻は夜の11時を回ったところ。普段ならまだ睡魔に襲われる時間ではないのだけれど、金曜日の夜というのは翌日が休みだからということもあって気が抜けてしまうせいか、途轍もなく眠たくなってしまうのだ。
次の日が休みだから夜更かししちゃおう!と元気になるのではなく、思う存分寝てやりたいという思考になるあたり、もう若くないんだなあと実感して切なくなる。私は欠伸をしながら、テレビのバラエティ番組に意識を集中させた。
眠たいなら寝れば良い。いつもの私ならソッコー寝ているだろう。しかし、今日だけはどうしても寝たくない理由があった。
明日、10月5日は夫である侑さんの誕生日である。土曜日だから侑さんの行きたいところに2人で出かけようという話は前々からしているし、夜ご飯にお寿司を食べに行く約束もした。だから明日の予定については、もう何も確認することはない。
それならばなぜ私は頑なに起きておくことに拘っているのか。答えはとてもシンプルで幼稚なものだ。結婚して初めて迎える夫の誕生日。1番最初に「誕生日おめでとう」を言ってあげたい。たったそれだけの理由だった。
ちなみに明日の主役である侑さんは、まだ帰って来ていない。今日に限って接待のため帰りが遅くなると連絡があったのだ。
もしかしたら帰ってくる時間は日を跨ぐかもしれないし、どんなに頑張って起きていても誰かに先を越されてしまうかもしれない。そもそも、おめでとうを1番に言うことにそこまで拘る必要はないのだけれど、なんとなく、携帯でメッセージを送るのではなく直接彼の顔を見て真っ先にその言葉を言ってあげたいと思ってしまったのだ。


「やっぱり寝ちゃおうかな…」


眠気覚ましにテレビをつけていたけれど、見る気がないからか睡魔が強いからか、音も映像もちっとも入ってこない。これでは電気代の無駄だと思った私は、テレビを消して台所に向かった。
いまだに仕事をしているであろう彼には申し訳ないけれど、今週は月初ということもあり毎日忙しかったので、いつも以上に疲れが溜まっていて限界だ。「おめでとう」と伝えたい気持ちは山々だったけれど、どうせプレゼントは明日の夜ご飯が終わって家に帰って来てから渡そうと思っていたし、今日は水を飲んで、トイレに行って、先に寝かせてもらおう。
冷蔵庫の中から水の入ったペットボトルを取り出してコップに注ぐ。冷たいそれを喉に流し込んだ私は、眠たい目を擦ってトイレに入った。歯磨きはもう済ませたし、あとはもう寝るだけだ。
そう思っていた時だった。がちゃん、と鍵が開く音の後、続けて玄関の扉が開く音が聞こえた。どうやら彼が帰って来たらしい。私がトイレから出ると、案の定、玄関で靴を脱いでリビングに向かってくる彼の姿が目に入った。
さすがの彼も疲れたのだろう。ただいま、という声に元気がない。私が忙しかったのと同じように、彼も今週は慌ただしく色々なところを駆けずり回っていたから、疲れが出るのは仕方のないことだった。


「おかえりなさい。もっと遅くなるかと思ってました」
「もう一軒て誘われたんやけど上手いこと逃げてきたわ…」
「侑さんがそんなに疲れてるの、珍しいですね」
「今週の仕事量鬼やったもん。北さん容赦なさすぎやねん」
「お風呂入ってきたら?」
「おん」


私の言葉を聞いて、侑さんはネクタイを緩めながらお風呂場に足を向けた。と思ったら、すぐさまくるりと方向転換して私につかつかと歩み寄り、ぎゅうぎゅうと抱き付いてきたではないか。私は、またか、と思いながらも、その大きな身体を抱き締め返した。
侑さんは疲労がピークに達した時や弱っている時、嫌なことがあった時など、兎に角何かしらの理由で癒しを求めている時に私に抱き付いてくる癖がある。子どもが親の温もりを求めるのと同じ原理だと力説されたことがあるけれど、その原理についてはいまだに理解できていない。
とは言え、残念ながらこの癖に慣れ始めてしまった私は、その背中をトントンと叩いて彼が離れるのを大人しく待つという行動を自然と取ってしまう。そしてこうしていると、確かに子どもと同じだよなあと妙に納得してしまうのだ。


「名前も疲れとるやろ。先寝とき」
「そんなこと言って、先に寝てたら拗ねちゃうくせに」
「今日は許す」
「じゃあベッドで待ってます」
「その言い方は寝とったらあかんやつやわ」
「何言ってるんですか。ほら、お風呂」


私は腰をするりと撫でてきた手をペチンと叩いて侑さんを引き剥がすと、そのままお風呂場に押し込んだ。これで早くても15分は出てこないだろう。
さて、元々寝る予定だったけれど彼が出てくるまで待っておこうか。彼がお風呂場から出てきて、なんだかんだ寝る支度をしているうちに日を跨ぐ時間になりそうだし、当初のプラン通りに事が進むならその方が良い。
侑さんが帰ってきたことで少し目が覚めた私は、携帯をいじりながら待つことにした。布団の中に入ってしまったら寝てしまいそうだから、ベッドサイドに腰かけた状態で待つ。
特に気になるニュースがあるわけでもなければSNSをこまめにチェックするタイプでもないので、正直そんなに時間は潰せないけれど、彼が来るまでの間ぐらいならちょうど良いだろう。そう思って小さな画面を眺めて過ごしていたら、寝室の扉が開いて彼が入ってきた。思っていた以上に早い。


「髪乾かしてないでしょう」
「名前が寝てへんか確認しに来ただけやもん」
「先に寝て良いって言ってたじゃないですか」
「ベッドで待っとるて言うたの名前やん」
「はいはい。分かりましたから、風邪ひかないように髪乾かしてきてください」


侑さんは私の言葉に渋々寝室を出て行った。ドライヤーの音が聞こえるから、どうやらきちんと髪を乾かしているらしい。彼の髪は短いからすぐに乾くだろう。
私はいそいそと布団の中に潜り込んで時間を確認した。あと3分で0時になる。彼が寝室に入ってきて隣に寝る頃にはちょうど日付けが変わるだろうか。非常にグッドタイミングである。
そんなことを考えているうちに、再び寝室の扉が開く音がして彼が布団に潜り込んできた。時計を見る。あと2分。


「明日、何時に起きましょうか」
「別に早起きせんでもええんちゃう?ゆっくりしようや」
「侑さんがそうしたいなら私はそれで良いですよ」
「なあ、名前」
「なんです?」
「もう携帯見んでええやん」
「あともうちょっと」
「何見とるん?」
「……時計ですけど」


むすっとしている彼に携帯の画面を見せる。あと1分。0時ぴったりになったら携帯なんてすぐに置くから、それまでは待ってほしい。たぶんあと40秒ぐらい。


「名前」
「なんですか」
「なんでそんなに時間気にしとんの?」
「うーん…、」
「もしかして」
「侑さん、ちょっと待って」


何かを言おうとした侑さんの言葉を制して、私は携帯の画面とにらめっこ。たぶんあと20秒ぐらい。いや、10秒ぐらいかも。そう思っていたら、侑さんにひょいと携帯を取り上げられた。本当にあともう少しなのに。


「返してくださいよ!」
「あかん」
「もう……」
「あ。日付け変わったで」
「……」
「俺に言いたいことあったんちゃうん?」


確かにあった。ほんの数秒前までは言う気満々だった。けれど、顔を近付けてニヤニヤしながら催促されると、途端に言いたくなくなってしまったのである。私は天邪鬼なのかもしれない。
分かっていたことではあるけれど、私のこういうところが可愛くないよなあと思う。素直に「お誕生日おめでとう」と気持ちよく祝ってあげたら良いだけのことなのに、それができない。


「寝ましょ」
「え」
「おやすみなさい」
「携帯取ったんがそんなに嫌やったん?」
「そういうわけじゃないです」
「…日付け跨いでからとか、そんなんどうでもええやんか」
「え?」


ぼそぼそと拗ねたように言葉を落としながら携帯を返してきた侑さんは、私に擦り寄ってきた。背中を向けかけていた私は、首元をさわさわと撫でてくる髪の毛を撫で付けるようにぽんぽんと手を置いて彼に向き合う。
正面からぐりぐりと胸元に顔を埋めてくる彼は、完全に甘えたモードだ。こうなると、無駄に意地を張っている自分が馬鹿馬鹿しく思えてくるから不思議である。


「侑さん、お誕生日おめでとうございます」
「ん…ありがとう」
「0時ぴったりに言いたかったのに」
「時間めっちゃ気にしとったしそうやろなあと思っとったけど」
「じゃあなんで携帯取ったりしたんですか」
「0時ぴったりに時計やなくて俺の顔見とってほしかった」


私の胸元からむすっとした顔を向けてくる侑さんに呆れてしまう。元々こういう人ではあったけれど、結婚してからは益々子どもじみたことを言うようになってきた気がする。
それに対してうんざりするどころか、母性本能を擽られて少し可愛いとすら感じるようになってしまった私は、彼に随分と毒されてしまったということなのだろう。すみませんでした、と軽い調子で謝れば、ニヤッと笑われた。これは嫌な予感がする。


「罰として今から俺の相手」
「どうせそうくると思ってました」
「嫌がらへんの珍し!」
「今日は特別ですよ」
「なんでも言うこと聞いてくれるん?」
「そうは言ってません」


と、言いつつも、今日に限らずいつだって、私は最終的に彼の願いを聞き入れてしまうのだから甘すぎるのかもしれない。まあ今日は彼が生まれた特別な日だから、甘いぐらいでちょうど良いかな。
侑さん、誕生日おめでとう。生まれてきてくれてありがとう。私と出会って、私を選んでくれてありがとう。口下手な私は沢山のありがとうの気持ちを、近付いてきた彼の唇に直接託すことにした。


100年後にもえたい

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