×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -

いざ天獄へ


※社会人設定



いまだに夢じゃないかと思うのだ。何の変哲もない毎日を過ごしていたどこにでもいる平凡なOLの私が、キラキラを絵に描いたような、超がつくほど有名人であるプロ野球選手の御幸一也の妻になった、なんて。
出会ったのは高校の時。当時の私は、まさか彼がこんなにも活躍する野球選手になるとは思っていなかった……なんてことはない。出会った時からわかっていた。というより、信じていた。彼は絶対にプロ野球選手として活躍するって。だから、彼が超有名なイケメンプロ野球選手としてもてはやされていることにはちっとも驚いていない。
夢じゃないかと思っているのは、彼が私を人生の伴侶として選んでくれたこと。そして今、大勢の人の前に彼の妻としてウェディングドレス姿で登場しなければならないこの状況のことを言っているのだ。
扉を開けた向こう側には彼が待っている。彼だけなら良いのだけれど、そこには大勢の招待客の皆様も待ち構えているわけで、私はそこに早く行きたいような、このまま逃げ出してしまいたいような、非常に複雑な心境だ。だって、あの御幸一也の隣に私みたいな女が並んだら、普通の結婚式では有り得ないだろうけれど、もしかしたらブーイングが飛び交ったりするかもしれない。いや、さすがにそんなことはないと思いたいけれども。

お互い式の当日まで衣装を内緒にしておこうと提案したのは、いまだに子どものように無邪気で悪戯心たっぷりな彼の方。それに「面白そう!」と乗っかった過去の自分をちょっと恨む。
果たしてこのドレスは彼好みだろうか。少しでもマシな女に見えるだろうか。いくら式場スタッフさんが「すごくお似合いです」「お綺麗ですよ」と言ってくれても、不安なものは不安だ。その証拠に、私は足がすくんでしまっていた。
しかし結婚式は私の意思とは関係なく時間通りに進んでいく。遂に新婦入場の音楽が流れ始めてしまって、いよいよ逃げ出すこともできなくなった。ここまできたら、女は度胸だと高を括るしかない。
扉が開く。彼の存在を確認する余裕もなく母にウェディングベールをかけてもらい、父の腕に自分の腕を添えた。前を向いても、ベールのせいで彼の姿が見えにくい。だから余計に緊張感は増していくけれど、引き返すことなどできるはずもないので進むしかなかった。
とりあえずブーイングの声が聞こえないことに安堵しつつ一歩一歩彼に近付いて、とうとう私の手は父の腕から彼の腕へ。そこで漸く、私は隣の彼の姿を確認することができた。式の進行上じっくり見ることはできなかったけれど、私はそれを残念に思うどころか、じっくり見る暇がなくて助かったと胸を撫で下ろしていた。

いつだったか私が「一也は白いタキシードとか似合いそうだよね」と言ったら「白いタキシードなんて恥ずかしくて着れねぇよ」と呆れたように返していた彼が、白いタキシードを身に纏っている。私の予想通り、いや、予想以上に、その白いタキシードは彼に恐ろしく似合っていて輝いて見えた。
しかも、そのタキシード姿だけで目の毒だったのに、彼はご丁寧に眼鏡をコンタクトにしてくれているものだから、惜しげもなく曝け出された素顔に心臓が痛む。列席者に死人や急病人は出ていないだろうか。私だったらこんなにカッコ良すぎる新郎を見たら倒れちゃうけどな、なんて、これは惚気ってやつだろうか。
もはや現実逃避的なことを考えていなければ平静を保っていられない私と違って、彼はいつも通り余裕そうな素振りで私を神父さんの前まで連れて行ってくれる。途中で「似合ってる」という囁きが聞こえた気がするけれど、たぶん私にとって都合の良い空耳だろう。どうやら幸せすぎて幻聴まで聞こえるようになってしまったらしい。我ながら、なんともおめでたい頭だ。


「あなたは健やかなる時も病める時も、喜びの時も悲しみの時も、富める時も貧しい時も、妻を愛し、敬い、助け合い、その命ある限り真心を尽くすと誓いますか?」
「はい。誓います」


彼が皆の前で私に愛を誓っている。堂々と。凛とした声で。そういう場なのだから当たり前なのに、何度も練習だってしたのに、感極まってきた私は彼に申し訳なくなるほど情けない声で「誓います」と言うのが精一杯だった。
それからのことはあまり覚えていなくて、指輪の交換も誓いのキスも、本当にあっという間に、幸せの余韻だけを残して終わっていた。退場の時に惜しみない拍手が送られているのもまるで他人事のように受け止め、やっぱりブーイングがなかったことに安堵して。
皆に一礼して、拍手を背に扉が閉まる。と同時に、張り詰めていた緊張の糸が解けてしまったのだろう。私は足の力が抜けてウェディングドレス姿のままへたり込んでしまいそうになった。しかしそこを腕一本で支えてくれるのが彼だ。


「そんなに緊張した?」
「もう、死ぬかと思った……」
「はっはっは!結婚式中に死なれんのは困るな」
「笑いごとじゃないし!ていうか眼鏡ないとか聞いてないし!」
「こっちの方が好きだろ?」
「どっちも好きだよ!ばか!」


眼鏡があろうがなかろうが、私は御幸一也が好きなのだ。しいて言うなら、眼鏡がない時の彼は夜の情事中を思い出してしまうから心臓に悪い。ただそれだけ。
息を整える。勢い任せで言った「好き」の一言に今更恥ずかしさが込み上げてきたけれど、彼はつっこむことも揶揄うこともせず、黙って私を支えてくれていた。いつもの彼なら「どっちも好き、ねぇ?へぇ?」とかなんとか言って私を散々いじってくるはずなのに。まあいっか。
それから私はどうにかこうにか自分の足で立って時計を確認した。やばい。次は披露宴の準備をしなければならないのに時間がおしている。招待客の皆様をお待たせするわけにはいかない。
私は近くで待ってくれている式場スタッフさんに近付こうと歩き出した。けれどその足はすぐに止まってしまう。彼が私の腕を引っ張ったかと思うと、耳元で「さっきも言ったけど、そのドレス、名前にすげぇ似合ってる」と声を落としたからである。
ぐしゃり。私の心臓がトマトのように潰れる音が聞こえたような気がした。まったく、彼は私を殺す天才殺人鬼だ。お陰でせっかくどうにか立てたところなのに、また足に力が入らなくなってしまった。どうしてくれるんだばか。


「カラードレスも楽しみにしてる」
「一也ってそんなこと言うキャラじゃないじゃん……こういう時だけずるいよ……」
「妻に優しい夫を目指してるんで」
「もういいからそういうの……ほんと勘弁して……」


今までだってわかりにくいなりに彼の愛情は感じていた。たぶん、わかりにくいぐらいがちょうどいい塩梅だったのだ。今日みたいにわかりやすく愛情表現されまくったら、私は確実に早死にするだろうから。
項垂れる私の顔を覗き込む端正すぎる彼の顔(しかも眼鏡なしバージョン)。絶対確信犯じゃん。この殺人鬼。今までも、これからも、何回私を殺す気なんだ。これは極刑に値する。一生をかけて私の面倒を見てくれなければ罪を償うことはできない。


「名前、愛してる」


披露宴の準備の前に彼が落としていった、普段どんなに催促しても囁いてくれない一言は、びっくりするぐらい甘い音色で響いて一瞬で私を屍にした。言うだけ言って「じゃあまたあとでな」と颯爽と去っていく彼が恨めしい。
披露宴中も、二次会中も、全てが終わってからも。そしてたぶんこの先永遠にずっと。彼が隣にいてくれる限り、私が生きていくことは許されないのだろう。こんな幸せな地獄はきっと他にないと思うけれど、少しぐらい彼にも私と同じ気持ちを味わってほしい。
だから私も言ってみた。披露宴会場に入る前に、意を決して「私も愛してるからね」って。そうしたら彼は目を見開いて驚いた後、珍しく照れた顔を見せてくれた。手で口元を覆いながら「覚えてろよ」って言われたけど、これでおあいこなんだからね!