×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -

日常にスパイス


「倉持ー!掃除当番!」
「うるせーな。分かってるって」
「部活で忙しくてもやらなきゃいけないことはちゃんとやりなさい」
「お前は俺の母親かよ」


こんなやり取りはいつものことだった。それほどとやかく言われるようなことをしているわけじゃないのに、名字名前というクラスメイトの女子は、いつも俺に口うるさい。不本意なことに、この光景は2年生の後半頃から定番化しているので、クラスメイト達は、またやってるよ、という顔で俺達を眺めている。
言っておくが、俺は掃除当番をサボろうなんて微塵も思っていない。クラスメイトと昨日のプロ野球のテレビ中継の話をしていたら思っていた以上に盛り上がってしまって、時計を見るのを忘れていただけだ。これでも与えられた仕事はきちんとこなすタイプだからサボったことは1度もないし、そんなことは名字だって知っていると思っていたのに。
俺によく指摘してくるだけあって、名字はクラスメイトのどの女子よりも俺のことを知っている。…と思っていた。そうであったら良いと思っていた、という方が正しいかもしれない。口うるさい母親みたいなクラスメイト。しかし俺は物好きなのか、そんな可愛げの欠片もないそいつが気になって仕方なかった。
可愛げがない、とは言ったが、名字は可愛くないわけじゃないと思う。男子連中と話をしている時にちらりと名字の名前が出てくることがあるが、その内容は、意外と見た目イイ感じだよな、とか、付き合い始めたら女子って感じになんのかな、とか、ギャップあったら結構ヤバくね?とか、まあ好き放題言われてはいるものの悪い印象は持たれていない感じだった。ただ、いつも名字の名前が出ると、そういえば倉持と付き合ってんだっけ?と話を振られるのは腹が立つ。
もし付き合ってたらテメェらとくっちゃべってないで名字んとこ行ってる、などと言おうもんなら、俺の気持ちが筒抜けになってしまうのでそんなことは言いやしない。その代わりに、付き合ってねぇよ、と不機嫌さを露わにして返すのがお決まりのパターンだ。男として情けない。


「はい、お疲れ様。もうおしまいだよ」
「ごみ捨ては?」
「いいよ。私行っとくから」
「多いだろ、それ」
「大丈夫大丈夫」


一通りの掃除を終えた俺達はごみ捨てを残すのみとなっていた。そしてそのごみ捨ては名字が1人で行くと言う。本来ならラッキーと思うべきところなのだろうけれど、今日に限ってごみは多いし、両手に2つ大きなごみ箱を持って歩かせるのはさすがに気が引ける。それ以前に、女子1人にそういうことを押し付けるような男だとは思われたくはなかった。
そんな俺の心情など露知らず、名字は本当に1人でごみ捨てに行くつもりのようで、ごみ箱を2つ、それぞれの手に持って歩き出す。よろけてはいないが、その細い腕に持つには重そうだと思わないこともなかった。ので、俺は片方のごみ箱を名字の手から奪い取る。すると、重さの均衡が破られたせいだろうか。名字が少し身体のバランスを崩した。


「びっくりした…何?いいって言ったのに」
「よくねぇ。貸し作んのは嫌なんだよ」
「貸しって…別にそんな風に思わないから気にしなくていいのに」
「俺が気にする」


俺のごり押しに、変なの、と零しつつも、厚意は受け取ることにしたらしい。名字は1つになったごみ箱を両手で持つと再び歩き始めた。
オカン気質というか、こざっぱりしていてあっけらかんとした性格だから、ごみ捨てなんて俺に押し付けてくるのかと思いきやそんなことはしない。なんで1人で行こうとしたんだよ、と問えば、倉持は部活のために体力温存しとかなきゃいけないでしょ、という答えが返ってきた通り、名字は周りがよく見えているヤツなのだ。
ごみ捨てに行ったぐらいで体力が削られるなんて、本気で考えているわけではないだろう。つまりは気遣い。野球部の練習がキツイのは有名な話だから、それを加味しての気遣いをしてくれたに違いない。部活大変だと思うからごみ捨ては私が行っておいてあげるね、と、直接的に恩を売ってくるようなことは決して言わない。それどころか、俺が尋ねなければ自ら理由を言ってくることさえなかっただろう。
ちっぽけなことだ。ごみ捨てに行くか行かないか。たったそれだけのこと。ただ、そのちっぽけな出来事の中に名字の本質的な「イイ女」の要素がちりばめられていて、俺はこういうところに惹かれたんだろうなあと改めて気付かされた。


「倉持って意外とちゃんとしてるよね」
「ちゃんとしてる?」
「律儀っていうか。ごみ捨ても押し付けてこなかったし」
「普通だろ、こんなの」
「そうかもしれないけど…やっぱり意外」
「そんなこと言ったら名字の方が意外だろ」
「何が?」


しまった。なんとなく話の流れで言ってしまったけれど、何が?と尋ねられると返答に困る。意外と優しい?気遣いができる?そういう曖昧な言葉ではぐらかせば良かった。そうするのが正解でしかなかった。のに、俺はどうかしていたのだろうか。


「意外と俺のこと考えてくれてんだなと思って」
「は?」


教室前の廊下を歩いて階段を下り、もう少しでごみ捨て場というところで、立ち止まった名字の手からごみ箱が滑り落ちて、ごとん、という鈍い音が響いた。お陰でごみは辺りに散乱してしまっていて、音で我に返ったのか、名字が慌ててしゃがみ込みごみを拾い集めている。
俺の発言はそんなにおかしかっただろうか。いや、まあ少し自意識過剰なことを言ったとは思うけれど、普段の名字なら、何馬鹿なこと言ってんの?と適当にあしらうところだったはず。それなのに、ごみ箱を落とすほど動揺するとは。一体どうしたのだろう。
自分が持っていたごみ箱を置き、名字に倣ってごみを拾い集める。その最中、少しだけ名字の顔を覗き見た俺は動きを止めてしまった。俯いていたせいで全く気付かなかったけれど、名字が今まで見たことがないような顔でごみを掻き集めていたからだ。今まで見たことがないような顔、というのは具体的に言うと、完全に動揺しきった赤い顔、である。つまり、恐らく、照れている。何に対して?
それを考えてとある可能性に行きついてしまったら、今度は俺が動揺しなければならない番だった。そんな都合のいいことがあるわけがないと思いつつも、このただならぬ反応は期待しても良いという意味にしか受け取れない。自惚れかもしれないけれど、そうじゃないかもしれない。確かめたい。が、俺にそこまでの勇気はなく。


「ご、ごめん、手が滑って…」
「いや、別に…」
「先行っていいよ。ここ、片付けて行くから」
「…手伝う」
「お願い、先に行って」


何も言えない俺に、名字が小さく声を震わせた。どうやら名字はどうにかして俺と離れたいらしい。それは俺が邪魔だから?時間を取らせたら申し訳ないと思うから?きっと違う。名字は今の自分の姿を俺に見られたくないのだ。もう見られていることに気付きもしないで。


「顔」
「な、なにっ」
「赤ぇけど、なんかあった?」
「へっ!?なっ、なんでもない!倉持が変なこと言うからでしょ!」
「俺、何って言ったっけ?」
「…別に、私、倉持のこと考えてるわけじゃないし、特別ってわけでもないから…変な勘違いしないでよね!」
「誰もそんなこと言ってねぇし」
「うるさい!早く行ってってば!」
「ほうき持ってくるわ」
「え、あ、え…ありが、とう、」


俺は自分でも驚くほどなかなか上手に、冷静に、その場を離れることに成功した。近くの空き教室に入るなり、顔を手で覆いながらしゃがみ込む。名字は思っていたよりも随分と素直で嘘が吐けない性格をしているらしく、あんな反応をされたらいくら鈍感な俺だって気付いてしまう。期待して良かったんだって、安心してしまう。
ふう。息を吐いて立ち上がる。掃除用具入れからほうきとちりとりを取り出したら、俺が向かうのは勿論いまだにごみを拾い集めているであろう名字の元だ。ごみを拾い集めて、ごみ捨てを終えて教室に帰るまではきっと数分。その間に、俺達の関係は変わるだろうか。全ては俺に委ねられている。