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密かに燃える愛の事情05

2人でご飯を食べに行った日以来、俺と名字さん…もとい、名前ちゃんとの関係は以前にも増して打ち解けた。このまま相談に乗りながらもっと距離を縮めていけば、自然と付き合う流れにもっていけそうな気がする。
そう思っていた矢先、名前ちゃんから就職先が決まったと連絡があった。ウサギの周りに花が飛んでいるスタンプからは、スマホ越しにも名前ちゃんの喜びが伝わってくる。それを見ると、おめでとう、と返信するしかなくて、俺は浮かない心境のまま思ってもない言葉を打ち込んだ。あともう少しで名前ちゃんを自分のものにできるところだったのに、そうそう上手くはいかないということか。
さて、就職先が決まってしまったということは、名前ちゃんが俺の勤めているこの場所に来る確率は格段に下がったということだ。就職先が決まったと言っても大抵の企業は3ヶ月間の試用期間を設けているはずだから、その期間中にお互いにとって不利益が生じるようであれば契約解除になる。もし名前ちゃんが契約解除になればこの場所に戻ってきてしまうこともあり得るが、そうならない方が良いに決まっているので、さすがにそれは望まない。となると、俺は他の方法で名前ちゃんに近付かなければならないということになる。
あー…もっと早く攻めとけば良かった。動くのが遅すぎたんだよなあ…なんて反省しても、時間は巻き戻せない。幸いにも連絡先は分かっているわけだし、名前で呼べるような関係にまでなったのだ。簡単に諦めるわけにはいかない。俺は名前ちゃんとのトーク画面を開くと、思いついたばかりの誘い文句を打ち込む。


“就職祝いしよう。今晩どう?”


名前ちゃんと食事に行ける口実になるなら、名目は何だっていい。俺は仕事の合間を縫ってチラチラとスマホの画面を確認し続けた。名前ちゃんからの返事が来たのは、陽も沈みかかった夕方。


“ありがとうございます。松川さんに直接お礼を言いたいと思っていたところですし、ぜひお会いしたいです。”


なんとも真面目で丁寧な文面に、思わず1人で苦笑する。そんなに畏まらなくても良いのにと思いつつ、俺は、じゃあ仕事終わったら連絡するね、と素早く返信した。よし、そうと決まれば仕事をさっさと終わらせなければならない。俺は目の前に座る中年男性に向き合いながら、今後の仕事の進め方を画策するのだった。


◇ ◇ ◇



「ごめん、遅くなった」
「いえ!お仕事お疲れ様です」
「お腹すいたよね。ここからすぐだから行こっか」


結局、こんな日に限って仕事が立て込んでしまったため、名前ちゃんと合流できたのは夜の8時を過ぎた頃だった。謝る俺に、名前ちゃんは嫌な顔ひとつせず労いの言葉をかけてくれて、本当に良い子だなあと実感する。ただでさえ遅くなってしまったので早く店に行こうと歩き出した俺を追いながら、名前ちゃんは申し訳なさそうに口を開いた。


「お仕事疲れてるのに、私なんかのために時間をつくってもらってごめんなさい」
「なんで謝るの?俺から誘ったのに」
「松川さん優しいから、仕事決まったって聞いて気を遣ってくれたのかなと思って…」
「…俺、そんなにデキたヤツじゃないよ」


名前ちゃんの中で俺はかなりのお人好しキャラになっているようだが、生憎俺はそんなにデキた男ではないのでやんわり否定しておく。今日名前ちゃんを誘ったのは完全に下心からだってこと、この様子だと分かってないんだろうな。
俺は半歩後ろを歩く名前ちゃんの隣に並ぶべく、さり気なく歩調を緩める。どうやら隣に並んだことによって俺が歩調を合わせていることに気付いた様子の名前ちゃんは、俺に気を遣ってか歩く速度を上げようと試みたらしい。少し高めのヒールを履いていたばっかりに、足を挫いてよろめいている。反射的に伸びた手は名前ちゃんの腕を掴んでいて、転けるのを阻止することには成功した。けれど、反射的にとは言え、名前ちゃんに触れてしまったことに、俺は少なからず動揺してしまう。


「ごめん、つい…、」
「あ、いえ、私のせいで、ごめんなさい、」
「歩くのゆっくりで良いよ。俺が勝手に合わせてるだけだから」
「……ありがとうございます」


松川さんは優しいですよね、と。以前にも言われたセリフをまた言われた。俺が優しくするのは名前ちゃんにだけだってこと、まだ分かってないのかなと思うと、あまり喜ばしい言葉ではないかもしれない。
なんとなく浮ついた空気が漂う中、お店に到着した俺達は店員さんの案内で席に着く。就職祝いということで、前よりも幾分かフォーマルな店を選んでみたせいか、名前ちゃんの表情は少し緊張しているように見えた。


「…あの、松川さん……、ここ、お高いんじゃ…」
「うん?そうでもないと思うよ。就職祝いなんだし、前より奮発したけどね」
「私、そんなにお金ないかも……」
「いやいや、俺が払うから。名前ちゃんは大人しくお祝いされてください」


茶化すように笑いながらそう言うと、名前ちゃんは俯いたまま、すみません…と呟いた。その顔はほんのり赤くなっていて、ああ、そういえば名前で呼ぶのはあの日以来だったな、なんて今更のように気付く。敢えてその様子には気付かぬフリを決め込んでメニューを開き、好きなもの頼んでね、と何食わぬ顔で声をかければ、名前ちゃんは申し訳なさそうにコクリと頷いた。
暫くメニューと睨めっこしていたものの、名前ちゃんは結局、決められません…と項垂れてしまったので、一言断りを入れてから俺は適当な料理を注文する。


「前回といい、松川さんに頼りっぱなしでごめんなさい…」
「いや、別に謝られることじゃないし。適当に頼んだから好きなように食べてね」
「……松川さんは、大人、って感じですよね」


私とは大違い、と。名前ちゃんは自嘲気味に笑った。大人、か。それはどういう意味なのだろう。こういう店で迷いなくメニューを選べるところを見てそう思ったのか。はたまた、俺の身なりや雰囲気を見て唐突にそう感じたのか。その発言の意図していることは分からないが、たぶん俺は名前ちゃんが思っているほど大人じゃない。大人に見えるだけで、中身はきっと、結構な子どもじゃないかと思う。
昔からそうだ。俺は感情があまり表に出ない分、大人びているとか、落ち着いているとか、そんな風に言われることが多い。それで苦労したり損したりすることはなかったけれど、たまに、自分の感情を露わにしているヤツを見ると羨ましく思うことはあった。あんな風に自分の気持ちを表現できたらどんなに良いだろう、と。そんなことを考えた時、高校時代の友人達の顔が思い浮かんで、俺は思わず苦笑する。


「松川さん?どうしました?」
「あー…うん、ちょっと昔のこと思い出しただけ」
「昔のこと?」
「高校の時から仲良いヤツらがいてさ、俺と違って表情がコロコロ変わるヤツらばっかりで…アイツらに比べたら大人なのかなあと思って」


名前ちゃんの疑問に素直にそう返せば、なぜか名前ちゃんは少しだけ驚いた様子を見せてからふっと笑った。不意打ちの微笑みに、思わずゴクリと息を飲む。何かおかしなことを言っただろうか。


「とっても仲が良いんですね」
「え?なんで?」
「松川さん、表情が少し柔らかくなったから。そんな顔もするんだなあって、ちょっとびっくりしちゃいました」


そんな顔がどんな顔かは分からないが、指摘されて初めて気付く。俺、そんなに表情変わってたのかな。名前ちゃんに気付かれるぐらいだから変わっていたんだろうけれど、自分では全く意識していなかった。人の表情の変化には聡い方だが、自分が指摘されることはほとんどないから、なんだか居たたまれない。
そんな俺を見て名前ちゃんは尚もクスクスと笑っていて、嬉しいやらバツが悪いやら、俺の心の中は忙しい。本当に大人の男なら、こんなことで動揺したりはしないだろう。


「大人じゃないでしょ、俺」
「…そう、ですね」
「がっかりした?」
「むしろ安心しました。いつも落ち着いてるから、レアな松川さんが見れた気がして得した気分です」
「……そりゃ良かった」


思わぬ展開になってしまったけれど、結果オーライということだろうか。密かにアイツらの存在に感謝しつつ、俺達はタイミングよく注がれたワインを片手に乾杯する。


「いつか、お会いしてみたいです」
「うん?」
「高校時代からの松川さんのお友達に」
「なんで?」
「もっと色んな松川さんが見れそうだから、ですかね?」
「……それはさ、俺のことをもっと知りたいと思ってくれてるってこと?」


俺の踏み込んだ質問に、名前ちゃんは動きを止める。しまった、とでも言いたげな表情に、俺の口元は弧を描いてしまう。素直な子は嫌いじゃない。むしろ大歓迎だ。
いや、そんなつもりじゃ、あの、違うんです、と。どうにか取り繕おうと躍起になっている名前ちゃんは、年齢よりも随分と幼く見えた。ほんと、可愛いなあ。


「ごめんごめん、そんなに焦ると思わなくて。ほら、料理きたから食べよ。今日は名前ちゃんの就職祝いだから」
「…松川さんはやっぱり大人だと思います……」


名前ちゃんはどこか不満げにそう呟くと、運ばれてきた料理を堪能し始めた。
大人って何だろう。年齢だけで言うなら俺はきっと立派な大人なんだろうと思う。けれど、それ以外のところで大人と判断される基準って何なんだろう。俺にはよく分からないけれど。


「ねぇ名前ちゃん」
「はい」
「就職先は決まったけどさ、俺、いつでも相談に乗るから。何かあったら連絡してよ」
「ありがとうございます」
「………うそ、ごめん」
「え?」
「何もなくても連絡してほしい」


たぶん俺は、名前ちゃんが思っているほど大人じゃないから。子どもみたいな我儘を言う俺を、どうか受け入れてほしい。
名前ちゃんは料理を口に運んでいた手を止めて俺を見つめると、数秒固まって。……はい、と。それはそれは小さな声で返事をしてくれたのだった。俺はそれに、ありがとう、とだけ返して食事を再開する。
心の中では飛び上がってしまいそうなほど嬉しがっているくせに平静を装う俺は、果たして大人なのだろうか。何にせよ、これで名前ちゃんとの連絡は途絶えずに済みそうで一安心だ。俺は今更のように、就職おめでとう、と言葉を投げかけて、心の底から祝福の気持ちを伝えたのだった。