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よくあるシナリオよね


※社会人設定


ない。ない。どこを探してもない。新年早々、こんなにツイてないことがあって良いのだろうか。私は鞄の中を必死に漁りながらそんなことを思っていた。
お昼過ぎの会社近くのコンビニ。昼ご飯やデスクの中に忍ばせておく用の甘いものを買おうとレジに並んで、漸く自分の番が回ってきた時になって気付いた。鞄の中に財布が見当たらないのだ。こんな時に限って電子マネーもチャージし忘れているし、これではお金を払うことができない。
今日の朝は遅刻ギリギリの時間に家を飛び出したものだから、鞄の中をきちんと確認していなかった。年末年始は出勤用の鞄を使っていなかったから、財布を入れ忘れてしまったのかもしれない。というか、入れ忘れたのだ。だって今ここに財布がないということは、つまり、そういうことだろう。
私が財布を忘れているということなど知らない店員さんはスピーディーにレジ打ちを終えて、合計金額を告げながらビニール袋に私が買いたかったもの達を詰めていく。後ろには、昼時だからだろう、お客さんの列。ああ、もう、恥ずかしい。恥ずかしいけれど、お金がなければ買い物はできない。昼ご飯も抜き決定だ。


「あの、すみません」
「はい?」


これ全部キャンセルで…と、恥を承知で言いかけた時だった。私の背後からぬっと手が伸びてきて、遅くなってごめん、という言葉とともにプラスチックカップのカフェラテが置かれた。驚いて振り返れば、そこには同期の姿が。
ただ、顔見知りではあるけれど、そこまで仲が良いわけではない。ただの同期。しかも他部署の。だから勿論、一緒にお昼ご飯を食べる約束なんてした覚えはない。


「これも一緒にお願いします」
「かしこまりました」
「いや、あの、松川君、私…」
「待たせちゃったからここは俺が払うよ」


待たせたって、私、松川君のこと待ってたわけじゃないし。そもそも約束すらしてないし。ここに一緒に来たわけでもないし。払ってもらう理由なんてひとつもない、けど。財布がなかった私にとってはこれ以上にないラッキーな展開であることは確か。というわけで私は、状況はさっぱり飲み込めないけれど、大人しくこの場を松川君に託すことにした。
何食わぬ顔で会計を済ませてコンビニを出たところで、はい、と渡されたのは商品が入ったビニール袋。松川君の手には自分のものであるカフェラテが握られていて、それ以外のものは全てビニール袋の中だ。


「ありがとう」
「いや、こっちもレジに並ぶ手間が省けて助かった」
「一応確認なんだけど、私達って待ち合わせしてたわけじゃないよね?」
「うん」
「じゃあなんであんなこと…」
「何の理由もなく割り込まれたら後ろのお客さん達が怒っちゃうでしょ。元々一緒に来ててお会計も一緒に済ませる予定でしたって雰囲気にしたら丸く収まるから」


松川君の言い分はご尤もだ。店員さんも後ろに並んでいた他のお客さんも、松川君のナチュラルな割り込みに対して何も言ってこなかったのは、それが咎めるようなことではないと思ったから。なんという素晴らしい演技力だろうか。しかし、今の松川君は私の隣をのほほんと歩いていて、割り込みたいほど急いでいるようには見えない。
だから私は尋ねた。急いでたんじゃないの?と。けれども松川君はそれに対してキョトンとした顔を見せて、急いでないけど、と返事をしてきた。いやいや、じゃあどうしてわざわざ、そんなに親しくもない、ただの同期でしかない私のレジに割り込んできたんだ。その疑問が浮かぶと同時に、まさか、とひとつの答えに行き着く。


「もしかして気付いてた…?」
「何に?」
「財布…」
「ああ、うん。忘れたんでしょ」
「だから助けてくれたの?」
「お昼ご飯、なくなったら可哀想だなと思って」


レジ前で鞄の中を漁って青ざめている姿を見られたのは恥ずかしいけれど、そのおかげでお昼ご飯にありつけたのだと思えばそれ相応の対価を支払ったということになるのだろうか。それにしても、そんなに面識のない私の存在によく気付いてくれたな。やっぱり私、ラッキーなのかも。
そうしてお礼もそこそこに、そのまま会社までなんとなく並んで歩いていて思った。そういえば松川君、手に持ってるカフェラテ飲まないのかなあ、って。そんな私の視線に気付いたのだろうか。何かききたいことでもある?と頭上から降ってきた声は、どこか楽しそうな音色を奏でていた。


「それ、飲まないのかなって思っただけ」
「あー…うん、甘いのあんまり好きじゃなくて」
「え?じゃあなんで買ったの?」
「咄嗟に取ったのがコレだっただけで飲みたかったわけじゃないから」
「…それってもしかして…、」
「そう。名字さんのせい」


言われて見上げれば、ゆるりと弧を描く口元が目に飛び込んだ。ごめん、と謝れば、冗談だよ、と返してくる松川君はやっぱりどこか楽しそう。元々あまり松川君のことを知らないからなのか、それとも彼自身がミステリアスな人だからなのか。どちらにせよ、彼の考えていることはさっぱり分からなかった。だって買いたくないものを咄嗟に取ってレジに来てくれたのって、絶対に私のせいなのに。
会話はそこで終わり、また並んで会社まで歩く。特に話題もなくお互い無言なのに、不思議と居た堪れないという感じはない。


「これ、あげる」
「いいの?」
「どうせ飲まないから」
「…色々ありがとう」
「どういたしまして」


会社に着いて差し出されたカフェラテを受け取りながらそんな会話をやり取りして、じゃあまた、なんて、また、というのがいつになるかも分からないくせに当たり障りのない挨拶の言葉を落とす。すると彼が言った。またっていつ?と。つい今しがた私が心の中で思っていたことを見透かしたかのように。
私は何と答えたら良いか分からなくて、でも今日のコンビニで出してもらった分のお金は返さなければならないことに気付いて、じゃあ明日にでも…と返事をした。その言葉にほんの少し目を丸くして、けれどもすぐに、ふっと笑みを零した松川君に、一瞬見惚れる。


「今日のお返しならお金以外のものにしてね」
「えっ」
「明日、楽しみにしてる」
「ちょっ、松川君!」
「何?」
「…お昼休みになったら、連絡、したいから…連絡先、教えて」
「だめ」
「へ?」


すんなりと、良いよ、と言ってもらえるものだとばかり思っていた私は、思わずマヌケな声を出してしまった。ていうか、お金以外のもので返してっていう発言おかしいよね?それに対して何の反論もせず連絡先をきこうとした私も、大概おかしいとは思うけど。
松川君は、恐らく歪んだ顔をしているであろう私を見て、尚も楽しそうに笑っている。何度も言うように、私は松川君のことをあまりよく知らないけれど、なんとなく思う。この人は、一筋縄ではいかない性格をしているんだろうなって。


「じゃあこのエントランスで待ち合わせで良い?」
「それもだめ」
「…私と会う気はないと?」
「まさか。楽しみにしてるって言ったでしょ」


じゃあまた偶然会えるまでどこかで待ち続けろと?と言いかけたところで、松川君が大きな身を屈めて顔を近付けてきたものだから、言葉は喉の奥に飲み込まれてしまった。
俺が迎えに行くから待ってて。
たったそれだけの言葉が、鼓膜を伝わって全身を震わせた。そんなに面識もない、顔見知り程度の、他部署の同期。それなのに、どうしよう。急にドキドキし始めちゃった、かもしれない。
松川君は言いたいことだけを言って去って行った。残されたのは、コンビニのビニール袋とカフェラテだけ。カフェラテにストローをさして、一口飲む。思っていたよりも甘ったるい味が口いっぱいに広がった。明日、パンツスタイルじゃなくてスカートにしよっかな。