×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -

僕らだけ、らんらんらん


彼女ができたら世界が変わるって誰かが言っていた。喧しい先輩の誰かだったか、適当なことを嘯くクラスメイトの誰かだったか、はたまたどこかの著名人か歴史上の人物だったか、それは全く覚えていないけれど、今ならその誰かに共感できる。彼女ができた俺の世界は、確かに変わったから。
ぶっちゃけ、彼女なんていなくても良いと思っていた。というか、できたとしてもすぐに別れるだろうなと思っていた。先輩達が引退して主将を務めなければならなくなった俺はそれまで以上に部活で忙しくなっていて、彼女という存在を相手にする時間なんてほとんどない。だから、部活ばっかりでつまんない、などと言われる未来が容易に想像できたのだ。今の俺自身、彼女ってものを部活以上に大切にできるとは思えなかったし。けれども彼女は、そんな俺の予想を遥かに上回る女の子だった。
同じ高校に通っていたくせに今までその存在を知らなかったのが奇跡じゃないかと思う。というか、同じクラスになったことがないとはいえ、工業高校に通っている女子ともなればそこそこ珍しい存在ではあるので、大体の女子の顔と名前ぐらいは把握していると思っていた。しかし、名字のことは知らなかった。こんなに可愛いのに。…いや、まあ、可愛いって言っても一般人の中では、って意味であってそんな驚くほどの美少女ってわけじゃないけれど、でも、可愛い、と、俺は思う。可愛くないって言う奴がいたらぶん殴りたくなる程度には。
性格は文句なしに良い。これは誰が何と言おうが太鼓判を押す。俺は短気な方だと思うし、自分でも嫌になるぐらい素直じゃない。告白はしたけれど、その時のセリフだって今となって考えてみればなんと横柄な物言いだっただろうかと頭を抱える。


「俺は名字となら付き合ってやっても良いと思ってる」
「…部活忙しいから彼女はいらないって言ってたのに?」
「別に、彼女を作っちゃいけねぇってわけじゃねぇし。他の女に比べたら名字はマシな方っつーか…まあ…好き、な、方だし、」
「二口君さえ良ければ喜んで」
「え?」
「え?」
「良いのかよ」
「私は二口君のこと好きだもん」
「…あっそ」


よくもまああんな言い方で俺の彼女になってくれたものだと心底思う。せめて最後に、俺も同じ気持ちだから告白したんだ、と言うべきだったと反省はしている。が、今同じ状況に立たされたとしても俺はたぶんあの時と同じ反応しかできないだろう。残念ながら俺はそういう男なのだ。
好きという言葉を伝えるのに躊躇いまくっていた俺とは対照的に、さらりと俺のことが好きだとぶつけてきた名字。部活優先で、携帯アプリでのメッセージのやり取りだって中断してばかりの俺に、文句を言ってきたことは1度もない。むしろ何回か、二口君の負担になってない?大丈夫?なんて確認された。何がとうやったら名字が負担だと思えるのか、俺にはさっぱり分からない。
そんなわけで、名字とは付き合っているのだけれどほとんど一緒に過ごしたことがなかった。手は繋いだ。けど、それ以上のことはまだ。俺が非常に悶々としているということはさておき、今時の高校生にしては珍しく、清く正しい交際じゃないだろうか。
さて、そんな俺達は当たり前のように登下校も別々だった。家の方面が同じだから同じ路線の電車で通学しているのは知っている。何回か一緒に帰ったことはあるけれど、登校を共にするというのは今日が初めてだ。
今週からは忌々しいテスト週間。テスト週間中は基本的に部活ができない。ということで、いつもは朝練で早い俺でも、名字が普段の通学で利用する時刻の電車に乗ることができるのだ。一緒に登下校できるというのは嬉しいことなのだけれど、一緒に登校することになって気付いた。この時間帯の電車はかなり人が多いってことに。


「毎日こんなんに乗ってんのかよ…」
「そうだよ」
「人多…」
「ちょうど通勤通学ラッシュの時間帯だからね」


慣れというのは恐ろしいもので、名字は押し寄せる人波をものともせず電車に乗り込んでいく。付き合い出して初めて、俺は名字のことを頼もしいと感じた。けれど、どんなに頼もしく乗り込んだとしても名字は女の子なわけで、毎日こんなすし詰め状態の電車で通学していたらいつかは痴漢にでもあうんじゃないかとヒヤヒヤする。
ガタンゴトン。電車が進み始めた。手すりを持てるようなところに立っているわけではないので、身体はぐらぐら。周りの人間に支えられていると言っても過言ではない。そんな状況の中、ガタン、と容赦なく大きく揺れた電車。その衝撃でサラリーマンに押し潰された名字が俺の方に寄りかかってきて、ごめん、と謝られた。いや、寄りかかってくるのは良いけど。


「…お前こっち」
「え?」
「いいからこっち来いっての!」


危なっかしい名字の腕を引っ張って隅っこに追いやり、俺はその前に立つ。ついでに両腕を壁について名字を囲うようにすれば、とりあえずガードは完璧だろう。こういう時、背が高いってのは役に立つ。
体勢が整ったところで、名字は窮屈じゃないだろうかと見下ろしてみて気付いた。これ、結構近いじゃねぇか。
そんなことを意識し始めた直後、再びガタンと揺れる電車。自分の身体を支えるために前傾姿勢になった俺は、壁についていた腕に力を込めた。


「あっぶね…」
「…二口君、」
「あ?…っ悪ぃ、」


声がした方に顔を向ければ、元々近かった名字との距離が更に縮まっていて、慌てて顔を上げる。顔が熱い。人口密度のせいじゃなくて、たぶん、この距離感のせいで。こんなのらしくないとは思うけれどドキドキは止まらなくて、どうにか心を落ち着けようと意識を別のところに向けようと努力してみる。
けれどもそんな俺に予期せぬ事態が発生した。なんと名字が俺の胸元のシャツを控えめに、けれどもしっかりと掴んでいるではないか。なんだよ、こっちの身にもなれっつーの!今この状況、分かってんのか?睨みたい気持ちは山々だけれど、今名字の顔を見下ろしたらなんとなくヤバい気がして、気付かないフリを貫く俺。


「ありがとう」
「何がだよ」
「守ってくれてるんでしょう…?」
「危なっかしくて見てらんねぇだけだっつーの」


言い方がぶっきらぼうになってしまうのは、もう仕方がないと思って諦めてほしい。ただでさえ余裕がないというのに、これ以上俺をどうしたいのか。きゅ。シャツを掴む手の力が少し強くなったのを感じる。そして、ごめんね、と。周りの雑音に掻き消されそうな小さな声で呟くのが聞こえた。
ああ、もう。俺は名字の、こういうシュンとした雰囲気に弱い。自分がすごく悪いことをしたみたいで罪悪感でいっぱいになるからだ。悪気も策略もないことは分かっている。が、ずるいなあと思う。


「…別に、誰も迷惑だとか、そういうことは言ってねぇだろ…」
「二口君は優しいね」


ふんわりとした口調につられるように見下ろした先にあったのは、俺を見上げて笑う名字の顔。見るんじゃなかった、という気持ちと、こんな表情が見れて良かった、という気持ちが半分ずつ。今の俺は果たしてどんな表情をしているのだろうか。知りたいけど知りたくない。みっともない顔をしていることだけはなんとなく分かっていたから、とりあえず、顔を上げて名字に見られないようにとせめてもの抵抗。
こんなの、優しさでやってるわけじゃない。むしろ、俺のエゴみたいなものだ。名字に他の奴を触れさせたくない。ただそれだけ。この状態だって、早く解放されたいと思う反面、まだまだこのままでいても良いとも思う。くっそ、わけ分かんねぇ!
頭の中がパニック状態の俺をよそに、電車は進む。相変わらず胸元のシャツは握られたまま。とりあえず明日からどうするか、そしてテスト週間が終わってからの対策はどうするか。俺はそれを考えることで、煩悩を頭の隅に追いやることに徹するのだった。