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社長松川×秘書彼女


彼はここ最近、とても忙しい。というのも、敏腕社長としてテレビや雑誌の取材を受けるようになったからだ。
元々は一般企業で働いていた彼が会社を立ち上げたのは2年ほど前のこと。無謀ともとれる挑戦に最初は難色を示していた私も、どうせ働くならやりたいことをやりたい、という彼の発言を聞いては、反対しきれるはずもなかった。
普段の彼は冷静で落ち着いている大人の男性。けれど、時に頑固でちょっぴり子どもじみたところがあることも私は知っている。そんな姿を見ることができるのは彼女である私だけなのだと思うと自然と頬が緩んでしまうのも無理はない。
ちなみに私は彼の職場の元同僚で、今は彼の会社で秘書として働いている。彼女で秘書、なんていうと公私混同もいいところかもしれないけれど、まあ、そこは社長が許しているのだから良いのだろう。


「昼前に雑誌のインタビュー取材が入っています」
「ん、知ってる。ていうか敬語、良いって言ってるのに」
「仕事中は社長と秘書なのでそこはきっちりさせたいんです」
「…あ、そ」


せめてもの線引き。仕事中は仕事に集中するためにと自分で決めたルールは、たとえ一静が彼氏だとしても、仕事中は上司なのだから敬語を使うということ。一静はそれをあまり良く思っていないのか、敬語で話しかけるたびに少しピリッとした空気を纏う。でも、これだけは譲れない。浮ついた気持ちで仕事をしているわけではないという、私なりのアピールなのだから。
マスコミの影響というのはすごい。最近は以前と比べものにならないほど仕事がどんどん舞い込むようになっていて、嬉しいことに大忙しだ。それでも残業は必要最低限で済むようにと、定時を過ぎるとオフィス内の社員達に、そろそろ帰ってなー、と一静が声をかけているから、この会社の社員達は幸せなんじゃないかと思う。仕事自体も、一静は社員達に押し付けず自分で処理をする。小さな会社だからこそできることなのかもしれないけれど、一静はきっといい社長だ。
この業界ではちょっとした有名人となった一静は、マスメディアへの露出が増え始めてから、あれって…、と道行く人にこそこそ指をさされることが多くなった。中には、テレビで見ました!と声をかけてくる人もいて、本当に芸能人かと思ってしまう。そりゃあこのルックスで仕事もできるとなれば興味を持たれるのも無理はないけれど、彼女としては面白くない。


「あ、松川一静さん!ですよね?」
「そうだけど…」
「私、松川さんのインタビュー記事を読んで感動しました!ぜひ入社したいなと思っています!」


今日も仕事終わりに会社を出ると可愛らしい女性が一静に近寄ってきた。ここまで積極的なパターンは珍しいけれど、一静は嫌な顔ひとつせずに、それはどーも、と対応している。それで終わりかと思ったのに、女性は何やら一静に話しかけ続けていて、帰れそうな雰囲気もない。一緒にいる私の存在はまるで眼中にない様子で話す女性に、ちょっと常識がないんじゃない?と嫌な感情を抱いてしまったところで、私は軽く首を横に振った。
きっとこれは彼女としての嫉妬という嫌な部分が出てしまっている。松川社長の仕事ぶりに感銘を受けてくれたファンがいるということを、秘書としては喜ばなければ。私はいまだに会話を続ける2人の元をそっと離れて帰路についた。別に一静と一緒に帰らなければならないというわけではないし、明日もまた会社で会える。あの女性はただのファン。だから、大丈夫。そう言い聞かせてから帰る道すがらも胸は妙にざわついていて。その胸のざわつきは、嫌な現実となってしまった。


「職場体験…?個人的に?」
「いや、最終的にはその大学と話して決定するけど。数日間の秘書体験。別に支障ないでしょ」
「支障ないって…なんで急にそんな…」
「昨日の子がどうしてもうちで働きたいんだってサ。秘書がひとりだけっていうのも大変そうだと思ってたし、来年あたりもう少し採用してもいいかなと思って。その前段階としての職場体験」


昨日の女性にまんまと踊らされている一静に腹が立つ。頭いいくせに、何を言ってるんだ。うちで秘書として働きたいなんて、昨日の子に限っては絶対に一静目当てだと言い切れる。にもかかわらず、その子を含めた数人を職場体験で受け入れようと考えているなんて、どうかしているとしか言いようがない。
そんなの無理。そう言いかけて思いとどまったのは、秘書としての私が、これも仕事の一環でしょ、とたしなめてきたからだった。そう、これも仕事のひとつ。次世代の雇用を増やし優秀な人材を確保するため。だから私の感情に任せて、無理だなんて言っちゃいけない。


「分かりました」
「いいの?」
「私が口を出すことではないので」
「ふぅーん…」


何やら含みをもった生返事をした一静は、それ以上なにも言わなかった。
それから数週間経ち、そんな話があったことさえも忘れかけていた頃。仕事終わりに再び現れた女性は、いつかと同じように私には目もくれず一静に近付いた。


「一静さん、最近お忙しいんですか?」
「あー、まあね」
「お返事もらえないからそうなのかなあと思って」


彼女の発言に疑問を抱く。お返事、とは。一体どういうことだろう。個人的に一静とやり取りをしているということなのか。その前に、一静さん、って。その呼び方、何。もやもやとした感情を抱く私をよそに、一静はいつもと変わらぬ表情で受け答えをしていて、益々もやもやしてしまう。
確かに私はただの秘書であって、社長のプライベートに口を出せるような立場ではない。けれど、仕事を抜きにすると私は松川一静の彼女なわけで、そうなると現状に口を出すのは何らおかしなことではないとも思う。でも、こんなことでいちいち嫉妬する女って面倒かな。黙ってやり過ごすのがいい女ってものなのかな。
頭の中はもうぐちゃぐちゃだし、そんな中、親しげに会話を続ける2人を見ていると感情のコントロールはできなくなっていたようで。気付けば私は、一静のスーツを引っ張っていた。これには一静も会話をしていた女性もぎょっとしたようで、私の方を無言で見つめている。


「どうしたの」
「……なんでも、ない。ごめん」


みっともない。いい年した大人が、こんな子どもみたいなことをするなんて。急に恥ずかしくなった私は、その場から逃げるように立ち去った。2人はきっと今頃、何がしたかったんだと、不審がっていることだろう。笑いたければ笑えばいい。


「ちょっと、なんでもないって本当?」
「なんで来たの…さっきの子は?いいの?」
「彼女怒らせちゃったから俺も帰るって言ってきた」
「そんなこと…あの子に言って良かったの?」
「言っちゃいけない理由ないと思うけど」


背後から聞こえてくる声はいつもと何も変わらない。私がどれだけ足早に歩いても、走っても、背後の気配は消えない。けれど、追いつくことも引き留められることもない。一体どうしたいんだ。もやもやいらいら。自分勝手なことは分かっているけれど、負の感情が爆発してしまった私は、突然立ち止まるとくるりと180度向きをかえて一静の方に向き直った。


「そんなに若い子を秘書にしたいなら私のことなんて辞めさせちゃえばいいじゃん!一静は最近テレビにも出るようになって有名人だし?さっきみたいに可愛い子がファンになったり秘書したいですっていっぱい言ってくるよ!良かったね!」
「ちょ…落ち着いて、」
「さっきの子とやり取りしてるんでしょ?私の知らないところでこそこそしちゃってさ、もう一静なんて知らない。秘書も彼女ももうやめる!」
「それはダメ」


勢い任せに投げつけた私の言葉達は、間髪入れずに紡がれた一静の短いセリフによって冷たいコンクリートの上に転がった。ダメって。何それ。なんでそんな、勝手なの。私がどんな思いだったかも知らないくせに。
情緒不安定な私の手をそっと握った一静の手は少しひんやりとしていた。


「あの子に教えた連絡先、会社のパソコンのやつだし」
「え」
「職場体験の話、断ったし」
「なんで…?」
「秘書は誰かさんだけでいいかなと思ったから?」
「…なにそれ」
「ていうか秘書なんて本当はいらないんだよね」
「は…?」
「仕事中も俺が誰かさんと一緒にいたいだけだったりして」


地面ばかりを食い入るように見つめていた私は、弾かれたように顔を上げて一静へと視線を移した。ニヤリと上がった口角がなんとも憎たらしい。会社を設立してから今まで、私は必死に秘書として頑張ってきたつもりだったのに、いらないなんてあんまりだ。そう抗議したい気持ちは山々だったのだけれど。


「どんだけ俺が有名になっても、会社が大きくなっても、ちゃんと専属秘書してくれないと困るなあ」
「…仕方ない、ですね」


私は、ちょっぴり我儘なことを言ってくる社長様に、弱い。そして、今はプライベートだから敬語禁止じゃない?と、少し無邪気な笑顔で言ってくる彼氏様にも、弱い。結局、松川一静の秘書兼彼女をしている限り、私は彼に溺れていることしかできないのだ。