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その夏を愛奏


好きな人ができて、その好きな人と両想いになって付き合える確率って一体どれぐらいなんだろう。暑い日差しが降り注ぐ中、グラウンドで必死に汗を流してボールを追いかけるサッカー部をぼんやり見つめながら、私は涼しい音楽室でぼんやりそんなことを考える。私の好きな人は今眺めているサッカー部にいるわけじゃない。ここからは見えない、蒸し風呂状態の体育館で汗を流しているであろう夜久衛輔だ。
季節は夏。学校は夏休みに入った。それなのにどうして私は学校の音楽室なんかにいるのかと言うと、吹奏楽部として部活動に参加しているからに他ならない。クーラーの効いた天国みたいなところで活動しているくせに、学校の行き帰りの暑さだけで死にそうだなんて言ったら、運動部の人に怒られるに違いない。
夜久君、頑張ってるかなあ…。そんなことを考えてしまったのは、今日が彼の誕生日だからだろうか。去年のちょうど今頃に別れてしまった彼のことがまだ好きだなんて、未練がましいにもほどがあるってことは重々承知だけれど、好きなものは好きなままなのだからどうしようもない。
彼に好きだと言って付き合い始めたのは去年の春。そして別れたのは、その年の夏だった。なんとも短いお付き合い。別れたのは、夜久君が、今はバレーに集中したい、と言ってきたからだった。薄々、そんな気はしていた。バレーに打ち込む彼の姿に一目惚れしたわけだし、彼には頑張ってもらいたいと思っていたから、私はその申し出をすんなり受け入れたのだけれど。よくよく考えてみれば、夜久君は私のことが好きで付き合っていたわけじゃなかったんだろうなあと、後になってから気付いた。
付き合っている期間中、夜久君と過ごしたのは数える程度。デートらしいデートもしなかったし、一緒に帰ることもほとんどなかった。それでも、たまに電話をするのはすごく幸せだったし、教室で他愛ない会話をするのも好きだった。けれど、恋人らしい甘い雰囲気にはならなかったよなあ、なんて。
別れてからはなんとなくお互いに距離を置くようになってしまったし、学年が変わってからはクラスも別々になってしまったから接点は全くなくなってしまったけれど、私はいまだに夜久君のことが好きなままだ。だって、嫌いになれる理由が見つからない。夜久君意外に好きになれる人も見つからない。私って、本当に面倒臭い女だと思う。


「名前ー、練習戻るよー」
「はーい!」


友達に呼ばれ、現実へと引き戻される。私は愛用の楽器を手に、練習に戻った。


◇ ◇ ◇



「ばいばーい」
「また明日ねー」


練習を終え友達に別れを告げた私は、夕方になっても茹だるような暑さが続く中、自宅を目指してのろのろと歩いていた。早く帰れば涼しい部屋が待っていることは分かっているのだけれど、歩調はちっとも速くならない。それもこれも、全ては暑さのせいだ。夏なんて嫌い。暑いし、良い思い出なんてひとつもないから。
小さなタオルハンカチで汗を拭いながら歩いていると、私の前を歩く見覚えのある後姿が目に入って妙な胸騒ぎがした。バレー部はいつも夜遅くまで練習しているから、こんな時間に会う筈がない。けれど、その後姿はどこからどう見ても、彼に違いなかった。
幸い、彼は私が数メートル後ろを歩いていることなんて気付きもしないし、私の歩調は亀のように遅いので追いつくことはない。このままさっさと歩いて帰ってくれたらいい。そう思った矢先に、彼が、夜久君が突然振り返った。これが神様の悪戯というやつなのだろうか。私の存在をその大きな瞳で捉えた彼は、動きを止める。
どうして、今日。彼にとって特別な日に、久々の再会を果たさなければならないのだろうか。きっとバレー部の面々から嫌と言うほど祝われただろうし、これから家に帰れば家族から温かく祝福してもらえるのだろう。私になんて、会いたくなかっただろうに。
その場で足を止めてしまった私に、夜久君はゆっくりと近付いてくる。逃げることもできず、その場に足を縫いつけられたように動けない私。ここで逃げるにもおかしな話だけれど、にこやかに、普通に話せる自信はない。どうしよう。考えている間にも私達の距離はどんどん縮まって。


「会うの、久し振りだな」
「…そうだね」


彼は、私の目の前まで来ていた。懐かしい声音に、少しだけ胸が疼く。色々なことを、思い出してしまう。あの頃交わした電話でのやり取りとか、教室での会話とか、そんなことを。本当に、馬鹿みたいだ。
この1年間で彼の背は少し伸びたのだろうか。去年肩を並べて歩いた時に比べて、彼の顔が上の方にあるような気がする。私に気付いて、話しかけてくれて。それで、これからどうすればいいのだろう。こんな時、口下手な私は上手く話を続けることができない。そして、今のように少し澱みかけた空気を元に戻してくれるのは、いつだって夜久君なのだ。


「吹奏楽の練習、大変?」
「ううん。バレー部に比べたらキツくないよ。暑くもないし」
「そっか」
「こんな時間に帰ってるの珍しいね」
「ああ…今日は特別だって」


そう、今日は夜久君の誕生日。だからきっと、特別なのだろう。残念ながら会えるとも思っていなかった私はプレゼントのひとつも準備していない。けれど、知っていてその話題に触れないというのもなんだかおかしいような気がして、お誕生日おめでとう、とだけ言ってみる。


「覚えててくれたんだ」
「そりゃあ…忘れないよ。去年の夏…お祝い、できなかったし、」


失言だったと気付いた時にはもう遅く、夜久君の表情は曇っていた。これ以上の失言は避けなければならない。私は夜久君に向けて必死に笑顔を作ってみせると、ごめんね!去年のことなんて忘れちゃったよね!と、わざとらしくも明るく振る舞う。いまだに引き摺っていることを悟られたら、どんなふうに思われるか分からない。だから、隠さなくちゃ。
そう決意したばかりだというのに、夜久君は私の決意を容易く打ち砕く。その真っ直ぐすぎる眼光と、忘れるわけないだろ、というたった一言で。


「あのさ、すごく自分勝手だとは思うんだけど」
「…うん」
「俺達、やり直せないか」


あまりの衝撃に、一瞬世界が色を失う。だってあの時、バレーに集中したいと言ったのは夜久君で。付き合っている間、好きと言ってくれなかったのも夜久君で。友達以上の関係すら望んでいないんじゃないかってほど距離を置いていたのだって夜久君だった。だから、終わりがきても仕方がないと受け入れたのに。どうして、今更。
じわり。手にも顔にも汗が滲む。と同時に、視界が滲んできたのは汗のせいじゃない。私は汗を拭うふりをしてタオルハンカチでそっと目元を拭いた。


「あの頃の俺は本当に余裕なくて。今もそんなに余裕あるわけじゃないけど、でも、1年かけてやっと気付いたんだ。本当はもっと早く言うべきだったんだと思う。ごめん」
「でも、夜久君、バレー…今が一番大切なんじゃないの?」
「そうだよ。だから、名字が傍にいてくれたら嬉しい」


矛盾だ。バレーに集中したいから別れたいと言ったあの頃と。バレーを頑張るために私が必要だと言う今と。この1年間で、一体彼にどのような変化があったのかは分からない。けれど、ただひとつ言えることがあるとすれば。夜久君も私と同じように、ずっと想い続けてくれていたということだろうか。


「夜久君、ほんと、勝手だよ」
「うん。分かってる」
「今日会えなかったら、ずっと言わなかったでしょ」
「どうだろう。それは正直分からないけど…今日ここで会えたのは偶然じゃないのかなって思ったんだ」
「…そんなの、ロマンチックすぎるね」


目を細めて笑ったからだろう、頬につうっと雫が伝う。それを見て、泣くなよ、と困ったように笑う夜久君が愛しくて。今まで抑えてきた感情が爆発してしまった。夜久君、夜久君。壊れたおもちゃの人形みたいに何度も夜久君の名前を呼んで、衝動的に彼のシャツにしがみ付く。
道端でこんなことをするなんてどうかしていると思う。けれど、夜久君はそんな私を咎めることなく、控えめに頭を撫でながら、遅くなったけど、好きだよ、と。愛しさが伝わるように囁いてくれた。たったそれだけで、胸がじわじわと溶けていくような感覚がして、夜久君に近付くだけで体温が上がる。暑い。熱い。


「落ち着いたら、一緒に帰ろうか」
「…うんっ」


繋がれた手はお互いの汗で少し湿っていたけれど、不思議と不快感はない。夕暮れ時でもじりじりと容赦なく照り付ける太陽の下、聞こえるのは蝉の輪唱。単純な私は、隣に彼がいるだけで、夏が嫌いじゃなくなった。