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散る


※社会人設定


揶揄われている、のだと思う。彼はそういう人だから。
彼は誰にでも愛想が良くて、世渡り上手。口が上手くて、話し上手だけれど聞き上手でもある。ノリが良くて、気も利いて、ついでに背が高くてルックスも良い。イケメンとはまた違って、なんというか、良い意味で手が届きそうなタイプの「イイ男」。だから女性社員達に密かな人気を博しているのだろう。
そんな彼と、今まで地味に生きてきただけの平凡を絵に描いたような女である私が、まさか中学時代の同級生だなんて言えるはずもない。高校は別々だったし、そもそも中学校を卒業してからは彼の存在なんて忘れていた。……というのは嘘だけれど、接点がなかったのは事実である。
入社式の時に彼を見つけた瞬間、学生時代のことが一気にフラッシュバックする程度には記憶に残っている人物だった。密かに淡い恋心を抱いていた相手だったからだろう。けれど私は先にも言ったように、地味に生きてきただけの平凡を絵に描いたような女である。自分の気持ちを伝えるなんて烏滸がましいことは到底できなかったし、伝えようとも思わなかった。
彼は当時から、今と同じく女の子達からそこそこ人気があって、付き合っているらしいという噂も何度か耳にしたことがある。だから、というわけではないけれど、いくら「良い意味で手が届きそうなタイプ」だったとしても、私には手が届かない存在だと思っていた。
彼は恐らく、私のことなど覚えていないだろう。そう思っていたのに、入社式の帰り道「名字さん?」と声をかけられた時には、跳び上がるほど驚いた。彼が私の苗字を呼んだのだ。驚くなと言う方が無理な話である。


「俺のこと覚えてる?黒尾鉄朗」
「中学の時の……」
「え。覚えてんの?」
「背高くて目立ってたから」
「あー……そういうやつね」


勿論嘘だ。背が高いだけで中学時代の同級生の顔と名前を覚えておけるほど、私の脳みその容量は大きくない。けれども彼は私の嘘に気付くことなく、納得した様子で相槌を打っていた。
私が彼を覚えていられる要因はいくらでもある。背が高いとか、女子の中で密かに人気だったとか、クラスでもどちらかというと目立つ方に属していたとか、そういう要因が。けれども、彼が私のことを覚えていられる要因はひとつも思い浮かばない。
だから私は「どうして私のことを覚えてるの?」と尋ねたい気持ちでいっぱいだった。けれど、それを尋ねる前に彼は別の男性に声をかけられてしまったので、確認することは叶わなかった。
彼とは同じ会社に入社したけれど、配属部署が違った。それならば会うことはほとんどないのだろうと思いきや、彼と私の部署は同じフロアにあるので、ほぼ毎日のように顔を合わせているのが現状だ。
嫌ではない。むしろ、一方的に彼の仕事ぶりを見ることができるのはちょっと嬉しい……かもしれない。けれど、一方的なだけではないから私は困っているのだ。


「名字さん、昼飯持って来た?」
「え。なんで?」
「ないなら一緒にどうかなーと思って」
「持って来てるから、ごめん」
「そっか。じゃーまた今度」


入社してまだ1ヶ月も経たない頃だった。昼休憩前に声をかけられてそんなやり取りをしたのは。
どういうつもりで私に声をかけてきたのだろうかと最初は戸惑ったけれど、よく考えてみれば私達は全くの初対面というわけではないし、昔のちょっとした知り合いという細い繋がりがあるから、気が利く彼は1人寂しく昼ご飯を食べそうな私に気を遣ってくれたのだろうという解釈をした。「また今度」というのも、きっと社交辞令だろう。そう思っていた。
それなのに彼は、入社して半年以上が経過して私がそれなりの交友関係を広げた今になっても声をかけてくるから、何を考えているのか分からない。昼ご飯の誘いだけでなく夜ご飯に誘われたこともあるし、休みの日にどこか行かないかと言われたこともある。それらの誘いは、一体何を目的としているのか。私には皆目見当もつかなかった。
何度も言うように、彼は女性社員達から密かに人気がある。だから、彼に声をかけられるたびに視線が痛くて、私は正直耐えられずにいる。付き合っているのかと尋ねられたこともあるけれど、それは全力で否定しておいた。これで彼と付き合ってますなんて言おうもんならどんな仕打ちが待っているか。考えるだけで恐ろしい。
そんな私の気持ちなど露知らず、今日も彼は仕事終わりに私のデスクまでやって来た。定時は30分ほど過ぎているけれど、フロア内にはまだ沢山の社員が残っている。つまり、彼が私のところにやって来たことは多くの人が見ているという状況。本当にやめていただきたい。


「仕事終わる?」
「終わらない」
「手伝おっか」
「部署違うから分かんないでしょ。終わったなら帰れば良いのに」
「飯食いに行こ」
「なんで?」
「名字さんと一緒に食いたいから?」
「……なんで?」
「えー。それここで言っていいやつ?」


夏を過ぎた頃からだっただろうか。彼は今のように、妙な言い回しをすることが増えた。こちらに変な期待を持たせるようなことを言うようになったのだ。
揶揄われている、のだと思う。彼はそういう人だから。私が戸惑う姿を見て楽しんでいるだけなのだろう。だから別に「言いたいならどうぞ?」と言ってやれば良いというのは分かっているのだけれど、誰が何を聞いているかも分からないこんな場所で冗談でもおかしな発言をされてしまったら、仕事がし辛くなってしまうかもしれないと思うと「それ以上は何も言うな」と言わざるを得なかった。
ニタニタと笑みを浮かべている彼をむすりと睨みつけた私は、とりあえず仕事はまだ本当に終わっていないから夜ご飯を一緒に食べに行くのは無理だと告げて仕事に戻る。すると彼は何を思ったか、私のデスクの隣の人の椅子に座ってスマホをいじり始めた。これは私の仕事が終わるまで待つというスタンスなのだろうか。いつもなら1度断れば「じゃあまた今度」と引き下がるのに、どうして今日は引き下がってくれないのか。彼の言動は不可解すぎる。


「そこで何してるの?」
「SNS見てる」
「帰ってから見たら?」
「俺のことより、名字さん、仕事早く終わらせないと残業しすぎで注意受けちゃうんじゃない?」
「気が散るんだけど」
「どうぞお構いなく」


お構いなく、と言われても気になるものは仕方がない。けれども悔しいことに、彼の言う通り残業をしすぎると上司に注意を受けてしまうので、私は仕事に向き合うしかなかった。1人、また1人と社員さん達が帰っていく中で、彼はタイムカードを切ったにもかかわらず私の隣でSNSのチェックをしている。意味が分からない。


「終わった?」
「……うん」
「じゃ、行こっか」


行くなんて一言も言っていないのに、彼の中では私が一緒に行くことが決定事項になっているようだった。私も私で、ずっと待たせていた(正確には彼が勝手に待っていただけだけれど)という罪悪感みたいなものがあって、いつものように突っ撥ねることができず付いて行ってしまっている。まだ社内には数人の人が残っていて私と彼が一緒に出て行くところを見ていただろう。明日が恐ろしい。


「なんで、」
「名字さん、俺と話す時そればっか言うよね」
「なんでって思うことしてるのはそっちだし」
「じゃあ、好きだからって言ったら納得する?」
「は?」


会社を出て数メートルの道端であまりにも衝撃的な一言をさらりと零した彼に、私は足を止める。止めるしかなかった。だって、好きって。なんで今、ここで、そんなこと。いや、場所も時間も関係ないけど。
私が止まったのに合わせて彼も立ち止まった。夜ご飯どころの騒ぎではない。揶揄うために言ったとしても、これは些か冗談が過ぎるのではないだろうか。


「そういう冗談、」
「冗談じゃなくて本気だけど、信じてくんないだろうなとは思ってた」
「……なん、」
「なんで?って?」
「だって……」
「理由、全部言ったら信じてくれんの?」


穏やかな口調なのに逃げることを許さないという威圧感を込めた言葉が、私の身体を硬直させる。
中学時代、私は確かに彼のことが好きだった。当時の私であれば、もっとこの状況を喜んでいただろう。けれど今の私は、嬉しさではなく戸惑いと混乱に満ちていた。
好きって本当に?どういう意味で?いつから?その言葉を信じたとして、私はどう受け止めたらいい?どんな返事をしたらいい?
様々な疑問はあれど、1番分からないのは、今の自分が彼のことを好きと思っているかどうかということだった。自分の気持ちが、1番分からない。だからずっと彼からの誘いを断り続けていたのかもしれない。2人きりという状況を本能的に恐れていたのかもしれない。こうなってしまった時に、自分の気持ちが定まっていないから。


「いいよ、別に。信じてくんなくても」
「え?」
「返事も別にいらないし」
「いいの?」
「その代わり、好きって伝えた以上もう引かねーから」


彼の言葉はイマイチぴんと来なくて、戸惑ったまま何も言えずに固まる。そんな私に、まるで今までのやり取りは夢だったんじゃないかと思うほど自然に「飯どこがいい?」と尋ねてくる彼は、何かが吹っ切れたように清々しい顔をしていた。
好きと言われた。生まれて初めて告白された。それなのに私は、これでもし彼と付き合うなんてことになったら社内で何と言われるんだろうかという不安に押し潰されそうになっていて、嬉しさを感じる純粋な心を失っていた。
今まで地味に生きてきただけの平凡を絵に描いたような女だった私の人生は、今日、突然散ったのである。