×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -

とんだ喜劇、これにて閉幕


「名字さん」
「ごめん!ちょっとトイレ!」
「え、ちょ、また!?」


木葉君の反応はごもっともだ。私は木葉君に声を掛けられる度にトイレだと言って席を立ってばかりだから、すごくトイレが近い女の子だと思われているかもしれない。それはちょっと…いや、かなり嫌である。他にも木葉君から逃げる口実を考えておこう。
教室を出てトイレに向かいながら、私はそんなことを思っていた。ちなみに私はトイレが近い女の子ではない。木葉君にどんな顔を向けたら良いものか分からないから、この一週間はひたすら今のように下手くそな口実を作って逃げ続けているのだ。
1週間前、私の気持ちは確実に木葉君にバレてしまった。木葉君のことが好きだから毎回バレーの応援に行っている、と。その事実が木葉君本人にバレてしまったとなると、今まで通り普通に会話をすることは困難である。
木葉君はきっと女の子と話すことに慣れているのだろうから、私を揶揄うつもりで、そんなに深い意味を込めずに、俺以外の奴は見ないでね、なんて言ってきたのだろう。動揺する私の様子を見るのが面白かったから、ちょっとした出来心であんなことを言ったのだと思う。
頭の中では理解しているのだ。あれは冗談で言われたことなんだって。その証拠に、木葉君はあの後何も言わずに私の元を去って行った。もしも奇跡的に同じ気持ちだったなら、もっと決定的なことを言ってきたと思う。俺も名字さんのこと好きだから、とか。好きとは言わないまでも、俺も名字さんと同じ気持ちだから、とか。兎に角、両想いだって実感できそうな言葉を。
きっと木葉君がこの1週間私にしつこく声をかけ続けているのは、あれ冗談だからごめんね、と言うためなのだと思っている。だから私は、その言葉を聞きたくなくて逃げ回っているのだ。そんなことを言われてしまったら、本当に木葉君のことが好きだと思っている私の気持ちがぱあんと弾けて粉々になってしまいそうで、そうなったらどこであろうと泣き出してしまいそうで。


「なんで逃げてんの」
「よっちゃん…」
「木葉、ヘコんでたよ」
「だ、だって…私の気持ち、バレちゃったと思うし…」
「それはお互い様でしょ」


現状を招いた張本人と言っても過言ではないよっちゃんが、トイレの隅で無駄に時間を持て余している私のところにやって来て溜息を吐いた。やれやれ、とでも言いたげな表情をしているけれど、元はと言えばよっちゃんが木葉君に余計な情報を与えてしまったからこんなことになっているということに気付いていないのだろうか。
怒りたいところではあるけれど、今まで散々バレー部の応援に行くのに付き合ってもらっていたこともあり、大きな口を叩くことはできなかった。私を巻き込まずに1人で行けば良いじゃん、と言いながらも毎回一緒に来てくれていたよっちゃんには、これでも感謝しているのだ。


「お互い様って言っても、私と木葉君じゃ気持ちが違うもん」
「……違わないと思うけど。名前、何か勘違いしてない?」
「勘違い?」


よっちゃんは呆れ顔から怪訝そうな顔に表情を変えて私を見つめている。そしてまた大きな溜息を吐いた。


「分かった。私に任せて。とりあえず放課後、社会科資料室ね」
「え、なんで?」
「先生に資料整理手伝ってくれってお願いされちゃって。1人だと大変だから一緒にやってくれない?」
「それは…良いけど…」
「絶対だからね!」


よく分からないけれど、それだけ言い残したよっちゃんはトイレから出て行ってしまった。私に任せて、と言っていたけれど、木葉君に何か言うつもりなのだろうか。まあ、あの2人は仲が良いから何でも言い合えるだろうけれど。
私はトイレから出て、極力ゆっくり教室までの道のりを歩く。教室に入って木葉君の席の方を見れば、案の定、よっちゃんと話をしている木葉君の姿が見えた。何を話しているかは聞こえないし近付くことはできない。私はただ、あんな風に普通に話せるのって良いなあ、と2人の様子を恨めしそうに眺めることしかできないのだ。


◇ ◇ ◇



「社会科資料室?なんで俺が貴重な放課後の時間をそんなとこで潰さなきゃなんねーの?春高前で忙しいんだけど」
「名前にも行くように言ったから」
「え!?マジで?」
「感謝しなよ。木葉が行くとは言ってないからまた逃げようとするかもしれないけど…そこは自分で頑張って」
「お前、めっちゃ良い奴じゃん」
「私は名前のために頑張ってんの。泣かせたら許さないからね」


3年間同じクラスの女友達、ワタナベヨウコ。通称よっちゃん。彼女のお膳立てによって、俺は漸く名字さんに気持ちを伝えることができそうだ。
1週間前、ほぼ告白じゃないか?みたいなことを言った俺に、名字さんは何も答えてくれなかった。それどころか突っ伏したまま顔を上げてくれなかったので、これは時期尚早というやつだったのだろうかと焦った結果、なんとも宙ぶらりんな状態で逃げてしまったのである。
名字さんが俺目当てで応援に来てくれているということは分かった。しかしそれがイコール、俺のことが好き、と繋がるわけではない。好きとは違う憧れとか、羨望とか、まあ俺はそんな感情を抱いてもらえるほどすごい選手ってわけじゃないけれど、そういう対象として見られていた可能性だって無きにしも非ず。
だから俺は、ちゃんと伝えようと思った。好きと言うのは恥ずかしいけれど、言わないと伝わらないことはあると思う。なんとなく脈ありの手応えを感じているというのもあって、俺の心は結構屈強になっていた。名字さんだって、俺からの言葉を待っているかもしれない、などと自惚れもした。
しかしこの1週間は、まともに挨拶すらしてもらえない。勿論、こちらを向いてくれることもない。もしかして俺から決定的な言葉を聞きたくなくて逃げ回っているのだろうか。つまり、好きと言われたら困るということなのか。
1日目は、恥ずかしがって逃げているのだろうと思った。2日目も、まだそういう気持ちが尾を引いているのかもしれないと思い、自分の中で気持ちを落ち着けた。けれど、3日4日と経つうちに、これは恥ずかしさで避けられているのではないと分かり始めた。そうなると、俺の心はぽっきりと折れそうになった。
しかしそんな俺を奮い立たせてくれたのは、名字さんと俺の共通の友人であるワタナベヨウコだ。このままで良いの?と、シンプルに背中を押してくれた。そしてお膳立てまでしてくれた。俺のためではなく名字さんのためだと言っていたけれど、それはつまり、俺の自惚れが自惚れじゃないということだと解釈して良いのだろうか。まあ、その答えは、本人に確認することにする。
放課後の社会科資料室の前。俺より先に名字さんが教室を出て行ったのはしっかり見届けた。ワタナベにもアイコンタクトで頑張れと言ってもらった(ような気がする)。ふう。俺は息を吸って、そこにいるであろう名字さんに伝えたいことを何度も頭の中でリピートしながら扉を開けた。


「よっちゃん遅……えっ、な、なんで木葉君っ……!?」
「騙したわけじゃないんだけど、ちゃんと話したくて」


振り返って俺の姿を認めるなり、ものすごい勢いで顔を背けられてちょっと傷付く。けれど、ここで足踏みをしているわけにはいかない。今日こそは伝える。そう決心してここに来たんじゃないか。
俺は資料室の奥の方にいる名字さんにゆっくりと近付いた。名字さんは俺が近付いてくることを気配で察知したのだろう。俺に背を向けたまま、どんどん部屋の奥へと進んでいく。しかし、すぐに壁にぶち当たってしまった。そうなれば、後は俺が距離を詰めるだけ。


「名字さん、あのさ、俺、」
「ごめん、木葉君!私、えっと、あの、教室に忘れ物したかもしれなくて!取りに、」
「名字さん。お願い。聞いて。逃げないで」
「……っ」


背中を向けたままの名字さんを逃がすまいと壁際まで追い込んだ俺は、言葉でも名字さんを制した。制したというより、懇願することで名字さんの優しさに付け込んだという感じだろうか。
何にせよ、とりあえず逃げるような気配は感じられなくなった。そのことに、少しだけ胸を撫で下ろす。


「ちゃんと言ってなくてごめん。1週間前、すげー中途半端なこと言って困らせたかもしんないんだけど、」
「だい、じょうぶ。中途半端なままで、大丈夫、だから」
「……告白もさせてくんねーの」


フラれるなら、それはそれで良い。良くはないけれど、名字さんが決めたことなら仕方ないと受け止めようと思う。しかし、好きだとも言わせてもらえずやんわりとフラれるなんて悲しすぎる。脈ありなんじゃなかったのかよ。やっぱり自惚れだったのか。俺の中に暗雲が立ち込める。


「待って、告白って、」


しかし、その暗雲が途端に晴れた。名字さんがくるりと身体を反転させてこちらを向き、俺を見上げてくれたからである。その綺麗な瞳には、驚愕の2文字が映っているように見えた。


「名字さんにちゃんと、好きって言いたくて」
「木葉君が、私のことを……?」
「それ以外なくね?」
「冗談じゃなくて?」
「そんなにチャラくないよ、俺」
「俺以外の奴見ないでねって、あれも、本気で言ってくれたの?」
「そうだけど、改めて確認されるとそのセリフ恥ずかしすぎるな…」


じわじわと込み上げてくる羞恥心を隠すために口元を手で覆って名字さんから視線を逸らせば、直後、そんなの夢みたい…と、こちらこそ夢みたいな呟きが聞こえてきて、すぐさま逸らした視線を元に戻した。名字さんは両手で口元を覆っていて、俺達はお互い、同じようなポーズを取っている。


「わ、私の気持ちは、もう、バレちゃってると思うんだけど、」
「…バレてないよ」
「え」
「俺も言ったから、ちゃんと聞かせて?」


自分の声帯がこんな柔らかな声を出せるなんて知らなかった。猫撫で声とはまた違う、相手をただ慈しむ気持ちが込められた声音。名字さんはその声のお陰か、渋りながらも小さな声で、しかし辛うじて聞こえるボリュームできちんと言ってくれた。
私も木葉君のことが好きです、と。
視線を交わらせて、すぐに逸らして、またちらっと様子を窺うようにお互いを見つめて、またすぐに逸らして照れる。我ながら、なんてこっぱずかしい青春をしているのだろうと思ってむず痒くなった。けれど、悪い気はしない。むしろ最高だ。
ここで抱き締めて、キスをして……ってしたい気持ちは山々だけれど、泣かせてしまったら俺達のキューピットであるワタナベに大目玉を食らいそうなので必死に堪える。
でも待てよ?嬉し泣きだったら問題ないんじゃね?そんな都合の良い解釈をした俺は、名字さんにそっと手を伸ばした。