今日は地獄だ。 やっと出来上がった書類のデータが入ったメモリーがコーヒーの中へとダイブをした。 慌てて取って拭いてみたけど起動するはずもなく、もう一度その書類を作るべくおれは今パソコンに向かっている(ある意味メモリーが新品でデータがそれだけだったのは不幸中の幸いだけど) 「…本体にも保存すればよかった…」 メモリーだけにしか保存しなかったおれがバカだった。 それでも途中まではパソコン本体にも保存していたから、そこから再び資料を見たりして作業を進めている。 「…そういやレッドのやつ静かだな」 ふとリビングにいるであろうレッドのことを思い出す。 いきなり夕方ぐらいにやってきてびっくりしたけど、嬉しかったりもする。だけどおれがこんな状態でレッドにはまったく構ってやれていない。 そういや前におれが家で仕事ばっかしてたら暇になって、構ってかまってと言ってきたことがあったっけ。 今回それがないのを少し寂しく思いつつも、いまはこれを終わらせるのが先だとパソコンに向かった。 すると、そのタイミングでポケギアが鳴る。 「誰だ?」 ポケギアを開いてみると着信は姉さんからだった。 「もしもし? どうしたんだよ、姉さん」 滅多にかかってこない人物からの着信に、何かあったんじゃないだろうかとどきどきする。 でも姉さんから返ってきたのは、 『いま忙しい?』 「まぁそれなりに…」 『じゃあ、別にいいわ。 大した用じゃないし』 あっさりすぎる内容でため息がでた。 「何だよ、それ。 つーか、いろんなやつにおれの番号教えるのやめてくんない? けっこう困ってるんですけど」 『あら、うちの弟は人気者ね』 ふふふ、と笑う声が聞こえて、これは何を言っても無駄だな、と思う。 姉さんはレッドに負けずマイペースだし。 『あ、レッドくんいる?』 「いると思うけど…代わろうか?」 すると姉さんの口からレッドの名前が出てきてそれに少し驚く。 レッドがマサラに帰るのはほとんどないし、それにマサラに帰ったからと言って姉さんに会うわけでもないし。 でもまぁちいさい頃は一緒に遊んだりとかもしたし、姉さんからしてみればレッドはもうひとりの弟みたいな感覚なんだろうか。 レッドがシロガネ山から初めて下りてマサラに帰ったとき、すげー喜んでたしな。 『ううん、グリーンから伝えて。 上手くいった?って』 「上手くいった?何だよ、それ」 『じゃあね』 「えっ、ちょ…」 そして用件らしいことを言い残すと、姉さんからの着信はあっさりと切れてしまう。 ここでそもそもの用事は何だったんだろう、と思いつつも、姉さんが大したことないって最初に言ってたからほんとに大したことはないと思う(前科がある) 「…もしかして用事ないけど掛けてきた、とかじゃねーだろうな…。 あ、レッドに伝言、伝言…」 自分の姉ながら謎すぎる。 それでも頼まれた伝言というのをレッドに伝えるべく、レッドがいるであろうリビングへと向かうと何かいい匂いがしてきた。 「何だ?」 匂いの元を辿っていくとそれはキッチンで、するとそこにはレッドが立っていた。 「レ、レッド?何してんだ?」 「…お腹空いたからごはん」 「えっ?!もうそんな時間?!」 なんでキッチンにレッドがいるんだ、とどきどきしながら聞いたそれの答えをぼそっと呟かれて、それに慌てて時計を見てみると、すでに20時前だった。 「ご、ごめん、レッド」 「…大丈夫」 「…つーか、飯作ったんだ…?」 レッドがお腹が空いたからと言ってキッチンに立っているなんて珍しすぎる。料理ほとんど出来ねーし。 それに前にエプロンつけて唯一できるカレーを作ってくれているレッドに欲情してキッチンでヤってしまってからは、レッドはキッチンに近づくこともなかったというのに。 (そこまで腹減ってたのか……マジでごめんな、レッド…) 「グリーンも食べる?」 「あ、おう。食べる。 何作ったんだ?カレー?」 心の中でレッドに土下座をすると、レッドから聞かれたそれにふたつ返事で頷く。 確かレッドが作れるものはカップめんとカレーだったはずだからそう聞いてみれば、レッドが何かを皿に盛っておれに渡してきた。 そもそも漂っている匂いがカレーじゃないのに、カレーと思い込んでいたおれは渡された皿を見て驚いた。 「……マジで?」 皿に盛られていたのはカレーではなく、肉じゃがだった。 実はおれ、肉じゃが好きだったりする。 偶然とはいえ、すげー嬉しい気持ちになった(レッドに肉じゃがが好きだとか言ったことないと思うし) けど、肉じゃがの作り方なんてレッドは知っていたんだろうか。カレー同様、コトネに教えてもらったとか? するとおれの視線でわかったのか、レッドがぼそっと呟く。 「………教えてもらった、グリーンのお母さんに」 「へ?」 そして予想外すぎる人物の名前が出てきて、おれが一瞬呆気にとられていると、レッドがぼそぼそっと更に続けて言う。 「…今日マサラに行ったらたまたま会って、グリーンのこといろいろ聞かれて話して…それでなぜかグリーンは肉じゃがが好きって話になって。 そしたら、作り方教えてくれるって言うから…」 「…」 そう告げてくるレッドの顔は真っ赤だ。 つーか、今日マサラに行ったってうち来る前か?予告もなしにうちに来たのが夕方だったから。 それでも、作り方を教えてくれると言われても断ることも出来ただろうに、ちゃんと教えてもらったレッドが愛おしすぎる。 なんかこれって、旦那の好物の作り方を旦那の母親に教えてもらう、みたいな新妻のするようなことじゃね? (え、なにこれ。すげー嬉しいんですけど) 「…カレーと作り方似たようなもんだから大丈夫って言われたけど…味は保障しない」 そしてレッドがおれに箸を渡してくる。 それに我に返ると箸を受け取って、肉じゃがを口に運んでみる。 「………美味しい」 「!」 「おれの好きな味だ…。 すげーよ、レッド。美味しい」 「…ほんとに?」 「ほんとだって。 すげー美味しい」 おれ好みの少し甘めの味付けは母さんの作った肉じゃがよりも美味しいかもしれない。 なんてったって、あのレッドが作ったんだし。 するとレッドが、肉じゃがをぱくぱくと食べているおれの顔をおそるおそる窺うように見てくるから、それににこっと笑ってやる。 「上手くいった?」 「え?」 そしてそこで姉さんから頼まれていた伝言をレッドに伝えてみる。 きっと姉さんのこの台詞の意味は肉じゃがのことなんだろう。レッドが作り方教わったのたぶん知ってるだろうから。 「姉さんがさっき電話してきてさ、レッドにそう伝えろって」 「…ナナミさんが?」 「そ。 で、上手くいった?」 すでに空っぽになった皿をレッドに見せてやると、レッドの顔がぱあっと明るくなって嬉しそうにはにかんだような笑みを浮かべた。 久しぶりに見たようなその笑顔に思わず顔が熱くなるのがわかる。 (かわいい。かわいい。かわいい。 好きだけじゃ足りねーぐらいに好きだ) 目の前の愛しい存在を見ながら、今日が地獄だと思ったのは間違いだったと心の中で呟く。 だって偶然とはいえ、おれなんかのために料理教えてもらって、そしてそれを作ってくれて。 地獄なんて有り得ない。むしろ天国だ。データが消えて奮闘してるおれに神様がご褒美をくれたんだろうか。 するとレッドが上機嫌な顔でおれを見てくると(まじでかわいい)、姉さんの伝言である質問の答えをおれに返してくれた。 「うん」 とびっきりのご褒美とも言える、柔らかい笑みを浮かべて。 将来はきっと愛妻家 ただし、レッドの料理の腕がそれで上がったかどうかは別の話だった。 (…このゴースみたいな物体は一体…) 「……オムレツ」 「ええ?!」 |