もうひとつのはじまり シロガネ山にいる最強のトレーナー。 それを聞いたときにそいつはレッドだって思った。直感的に。 そしてそれは現実だった。 「…お前…レッド…だよな?」 「…」 外界と遮断されたかのような、真っ白な世界にいた彼は。 「…久しぶりだね、グリーン」 「!」 昔よりも少し高くなった背に、あまり変わらない声。 だけど圧倒的に変わっていたのは。 「……本当にレッドなのか…?」 昔は花が咲くようにほころんだような笑みを浮かべていた。 喜怒哀楽もころころ天気のように変わっていた。 それなのに。 「…そうだよ?」 「!」 にこ、と笑ったいまのレッドの顔には花が咲くことはなく。 まるで冷たくて触ればすぐに壊れてしまいそうな氷のような笑みを浮かべていて。 そして、何人も心に近づけさせないような重く冷たい雰囲気を纏っていて。 「…レッド…?」 昔のように、まるで向日葵のような笑みを浮かべて誰にでも心を開くような彼はそこにはいなかった。 そこにいたのは、おれの知らないレッドだった。 4年ほど前。 ジム戦を全部勝ち抜いてチャンピオンを倒して、僕がチャンピオンになった。 「チャンピオン、おめでとうございます」 チャンピオンになってから毎日のようにやってくる、人、ひと、ヒト。 そして誰もが口にするその言葉。 それは単純に嬉しかったけど、僕は別にチャンピオンになりたかったわけじゃない。チャンピオンという座が欲しかったわけじゃない。 僕はただ、みんなと一緒にいられたらそれでよかったのに。 それなのに、毎日呪文のように告げられる言葉。 「チャンピオン、おめでとうございます」 そしてそれが僕の足枷になった。 どこに行くのも、何をするのにも『チャンピオン』という言葉が纏わりつく。 まして僕のような子どもがチャンピオンだから、時には罵声も浴びせられた。 「子どものくせに」 子どもがチャンピオンじゃいけないの?大人ならいいの? そう聞いてみれば返ってくるのはまた罵声。子どものくせに生意気なこと言って、とか。 だけど誰かにチャンピオンの座を譲ろうとしてもそれは実力じゃないとだめだと言われ、挑戦者と何度もバトルするけど勝つのは僕で。 そのたびに言われる。 「強すぎる。さすがチャンピオンだ」 「負けたよ、強いね」 本当に僕が強いんだろうか。 誰もチャンピオンになりたくないから僕に勝とうとしてないだけなんじゃないかって思うときもあった。 強いって何なんだろう。 相手に勝つことが?相手よりも勝っていることが? 「強い子だね」 そう言われ続けるたびに、その言葉の意味がわからなくて強いということに恐怖を覚えるようになった。 僕が強いわけじゃない。この子たちが頑張ってくれているから。 強いというなら僕よりもこの子たちのことだ。それなのに周りは僕を強いと言う。 「きみは強いよ」 僕は強くなんかない。 どちらかと言えば弱いほうだ。 ここまで来れたのだってみんながいてくれたからだし、先にグリーンがいてくれたから。 僕が強いわけじゃないのに。 チャンピオンの座にいることが苦痛でしかない。 最強というチャンピオンの座に、僕の居場所なんて最初からなかったんだ。 「やはり、強いきみこそがチャンピオンに相応しい」 そう気付いたときからだろう。 人を寄せ付けないように、心が心にフタをして閉じ込めて。 僕は、笑えなくなっていた。 「…」 だから、誰も近づかないここに来た。 冷たく凍える、僕の心と同じ、白銀の世界に。 いつか誰かが、僕の心を溶かしてくれると信じて。 「で?なんで何も言わずに出て行ったんだよ。 あのときマジですげー大変だったんだぞ」 グリーンが愚痴のようにそう零す。 あのとき、というのは僕がいなくなったときのことなんだろう。 僕は誰にも何も言わずにここに来た。 だからみんなが驚いたのは確かだろう。チャンピオンがいなくなったって。 でも外界と遮断されたこの世界にいた僕にはそんなこと届かなかったけれど。 「チャンピオンがいなくなったって言って、そりゃあもうみんなで探して」 「…」 みんなが探したのは『チャンピオン』。 そんなことは昔から重々わかっていたのに、今更ながらに胸が痛む。 僕はまだ、『チャンピオン』なんだって。 「……おれ、お前が変だったのわかってたんだ」 「…え?」 するとグリーンがため息まじりに、何かを決心したかのようにそう口を開いてきた。 「チャンピオンになってからしばらくは嬉しそうだったし楽しそうだったけどさ、しばらくしてからお前、笑わなくなっただろ」 「!」 「あとあんま喋らなくなった」 グリーンの言葉に驚いた僕がグリーンを見ていると、そんな僕とグリーンの目が合った。 それに戸惑いの色を浮かべていると、グリーンがふっと苦笑した。 「チャンピオンになったのになにが不満なんだろうって思ったけど、違ったんだよな」 「…」 「あそこはお前の居場所じゃなかったんだよな」 「…!」 最強というチャンピオンの座。 そこには本当に強い者しか座ることは出来ない。 それと同時にそこに座るには強くあり続けなければならない。 『きみは強いよ』 周りからそう言われて、それが苦痛だった。 『きみは強い』 そう思い込まされるように、そうあり続けさせるような、僕にとっては悪魔に思えるその呪文にすべてを閉じ込められた。 泣くことも。迷うことも。立ち止まることも。 前を向くことだけしか僕には与えられなかった。 だから、笑うことさえ苦痛になった。 「確かにレッドは強いけどさ、チャンピオンっていうかんじじゃねーもんな」 ははっと笑ってそう言ってくれるグリーンの意図はわからない。 それでも、このときの僕にはそれだけで十分だった。 「チャンピオンのレッド、っていうよりもおれにとっては、幼なじみのレッド、のがしっくりくる」 「…っ」 「まぁ半分負け惜しみなとこもあるけど」 「…っ…」 最強のチャンピオンの座に、僕の居場所なんてない。 そう思ったからここに来た。 冷たく凍える、僕の心と同じ、白銀の世界に。 「…なぁ、なんか喋れよ。 笑えっつーのは無理だろうから」 「…?」 「さっきお前見たときに別人だと思ったんだ。 昔みたく笑わねーし、オーラはなんか重いし冷たいし。 レッドなんだろ?おれの幼なじみの」 「……っ」 どこか困ったような顔で笑うグリーンの手が僕のほうへと伸びてきた。 そしてその手が僕の頬をきゅっと抓る。抓る、というよりも触れる、というぐらい優しく。 「…っ…」 それでもこのときの僕は、おれの幼なじみの、という言葉にすべてを占められていた。 4年ほど前にグリーンからチャンピオンという称号を奪ったのは僕なのに。 あのときグリーンがどんなに悔しがっていたか知ってる。 だからこそ、グリーンが僕のことをチャンピオンじゃなく幼なじみだと言ってくれることがすごく嬉しかった。 「………グリーン…」 「へ? ああ、うん?どした?」 「…っ…」 4年という長い歳月。 僕にとっては止まっただけの時間。 だけどグリーンにとっては進んだ時間だったんだ。 「…なんだそれ。 変なやつだな。 まぁそういうとこは昔と一緒か」 それ以上何も言わなくなった僕を見て、グリーンが苦笑しながら僕の頭を撫でてくる。 それをされるがままにしていると、目が合ってふっと優しく笑われた。 「でもレッドが無事でよかった。 つーか、こんな寒いとこでよく平気だな。 なぁ下りてこいよ、おれん家泊めてやるから」 「…え?」 「実はな、おれトキワのジムリーダーやってんだぜ。 すげーだろ?」 眉を寄せて怪訝そうな顔をしていたかと思えば、きらきらと顔を輝かせて楽しそうに話してきたり。 そんなグリーンを見ていると、僕のなかで何かがチクッと音を立てた。 きっとこのままここでひとりきりで生きて行くんだろう。 そんなことを当たり前だと思ってた。 心のどこかでは、いつか誰かが僕の心を溶かしてくれると信じながら。 「もうレッドには簡単に負けたりしねーからな」 「…」 「つーわけで、帰ります。 ほら、行くぞ、レッド」 「…」 そして、それがきみならいいなって、ずっと思ってたんだ。 ayu hamasaki/A Song for XX |