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「契約はどちらかが死ぬまで解除出来ない。そう説明しただろ」やはり高山はふくれている。
「契約させられた後にね」つられて、満もぶすりとして返した。
「まあ、過ぎたことを言ってもどうしようもないし」
けろりとして高山は言う。絶対にわざと言わなかったのだと満は思っている。「それより」と、大仰な態度で彼は花壇に腰掛けた。
「さっきの女の子、追いかけようぜ」名探偵の如く彼は足を組む。
「は、何で」突拍子のない彼の発言に、満は面食らう。
「点数稼ぎだよ、点数稼ぎ」言いながら、ゆるりと彼は立ち上がる。そして満の前に立って、「『お荷物』から昇格するチャンスだろ」とにやりと笑った。
なかなか痛いところを突いてくる。魔法使いを多数有する“協会”において、満は今のところただの「お荷物」だ。それは自分でもわかっている。無駄だとか邪魔だとか陰口を叩かれていることも知っている。資料の整理しかしていないのだからそれも無理はない。全く気にしていないわけではないが、仕方がないと割り切ってきたのだ。
満はふーっと息を吐いた。グラタンが食べたいな、などと思考を逸らす。もう夜になってしまう。金色の夕日は姿を消そうとしている。満はアパートへと足を向けながら、静かに返した。
「実際にお荷物だもの、私」
だから、と高山は食い下がってくる。「見返してやるんだよ、さっきの女の子を捕まえて!」
満だってこのままで良いと思っているわけではないが、無理に事件に首を突っ込む必要はないとも思ってしまう。協会は、不思議な事件を扱う全国規模の組織だ。名うての魔法使いなんていくらでもいる。何も満が関わる必要はないではないか。
どうも満が「うん」と言わないと納得しない雰囲気だ。やたらと息巻く高山に視線を戻し、満は訊いてみた。
「一時的に契約が切れるだけでしょ? 何か問題があるの」どうせしばらくすれば元に戻ってしまうのだから、放っておけばいいではないか。
「食うんだよ」不意に真面目な声音で彼は話し出す。
「俺みたいに人間として生きてる奴はともかく、そうじゃない奴は」そこまで言って、高山は言葉を切った。わざとらしく息を吐いて吸う。「飼い主を食うだろうな」
「食う?」よくわからない。
「言葉の通り、食い殺すんだよ。飼い主を」
高山は恐ろしいことをさらりと言う。満は慌てて高山から距離を取った。高山は呆れた様子で頭を掻いた。はあ、と溜息とも思しき息まで吐いてみせる。
「俺は食わねえよ」呆れたような調子で彼は言う。
「保証は?」満は一歩下がった。
「あのな」と高山が口を開く。そして何も続けずに閉じた。きょろきょろと辺りを見回す。挙動不審だ。何なんだ。満は更に高山から距離を取った。関わりたくない。だが、彼を置いて行くのはまずい気がする。
折角取った距離を、高山はずかずかと詰めてくる。接近を許した満は思わずたじろいだ。高山の表情は険しい。ああもう一体どうすればいんだ、自分は。戸惑っていると、高山がいきなり満の右手首を掴んだ。乱暴にどこかへつれていこうとする。
「ちょっと、ポチ」
抗議しようとした満を高山が遮った。
「ああそうだ」思い出したように、彼が口を開く。「契約が切れている以上、俺はお前の命令を受け付けない」
したり顔で彼は言ってくる。命令するときは「ポチ」と呼べばいいのだが、契約が切れているため、何と言っても彼には効かないということか。つまり、今、彼は野放しにされているといっても過言ではない――そこまで思い至った時点で初めて、満の頭を一抹の不安が過った。本当に、大丈夫なのか? 何をしでかすかわかったものではない。
「まあだから、これはお前への善意であり優しさだ」彼は何故か得意げに言う。
満の抗議に対し、「とにかく行くぞ」と彼は力任せに満を引っ張って行った。アパートから遠ざかっていく。ビニールが空しい雑音を立てていた。
食わない、と彼は宣言している。保険証も免許証も持っている男だ。殺人とも取れるようなことは迂闊にはしないだろう。歩かされながら考え、満はそう結論するに至った。
静かな住宅街をざくざくと歩く。迷路のように曲がり角の多い道を歩かされる。満の手を引く高山は妙にやる気に満ちている様子だった。彼の考えが理解出来ない。具体的に何があったのかも判然としないが、かろうじて何かあったことはわかった。
すっかり日の暮れた住宅街は、家からの柔らかな明かりでまだまだ明るい。時折隅に立っている外灯の明かりは頼りないが、それでも穏やかな住宅街に思える。しかし、何個目かもわからない曲がり角の先に見えた公園は、異様な空気を漂わせていた。
無機質な光で照らされた敷地の真ん中に、何かがいる。柵の向こうで黒い毛玉がうごめいている。大人が屈んだような大きさだった。その更に向こう、ブランコに先程の少女が座っていた。ゆらゆらとブランコを揺らしながら、黒い何かを見つめている。異様な光景だった。か細い電灯で照らされた少女の赤い服は、奇妙な程鮮やかに見えた。
高山が引っ張って行こうとするのを、満は何とか踏み留まろうとした。努力は空しく、ずるずると公園に近付いていく。満とは対照的に、高山はやたらとやる気になっていた。
「あの黒いのは何? 悪魔なの?」
逃げたところで見逃してはくれないだろう、と薄々は感じている。こちらから見えるということは、向こうからも見えるのだろうから。
「悪魔、のようなもの。居場所がなくて集まってるんだろ」
苦々しげに彼が吐き捨てる。刺々しい言い方だ。あの黒い毛玉が高山と同じ存在だとは、さすがに満でも思えないが、近しい存在ではあるらしい。