四丁目の魔王様

(待てと言われて誰が待つ)

 上着のポケットに入れていた携帯電話が震える。メールの受信を知らせる青いランプが点灯する。暗がりの中でその明滅はやけに目立つ。このままにしておくわけにはいかないので、春菜は渋々携帯電話を取り出した。そっと開く。微かな音でも命取りになることがある。ボタンを連打して新着メールを既読にすると、内容は確認せずに携帯電話を閉じてしまった。再びジャケットのポケットに突っ込む。

 童心に返るとはこういうことだろうか。どきどきする。見つかりたくないようで見つけて欲しい、複雑な気持ちだ。この歳でかくれんぼをするのもそれはそれで面白い。外では、どたどたと荒い足音が鳴り響いている。

 ほんの少しだけ開けた襖から光が射し込んでいる。運良くあまり物の入っていない押し入れを見つけたのだ。寝具に寄りかかりながら、発見されるのを待つ。小学生が相手なのだから、適度に隠れて適度に見つからなければならない。膝を抱えて座っていると、何だか叱られて閉じこめられているかのような気分になってくる。

 足音が遠退いていく。別の場所へ探しに行ったのかもしれない。何しろ無駄に広い屋敷だ。春菜は全ての部屋を見たことがなかった。それでも管理が行き届いているのだから恐ろしい。謎だ。

 再び携帯電話が震える。煩わしい。メールかと思ったが、振動は長々と続いている。押入れの中が白い光でちかちかと照らされる。電話だ。携帯電話を見てみれば、ここの家主の名前がディスプレイに表示されていた。げ、と思わず口に出してしまう。出るべきか、どうしようか。かくれんぼの途中なのだが。

 ぱあん、と襖が開け放たれた。橙色の光が押し入れの中へ入ってくる。眩しい。春菜は瞬きした。ちかちかする。見つかってしまったのか。顔を右へ向ける。紺色の布が見えた。あ、と声が零れる。携帯電話を慌ててポケットの突っ込む。

「お前、何してんの」ちょっとだけ不機嫌な声が降ってくる。

 訝しげな表情で、家主である真崎が押し入れを覗き込んでいた。黒縁の眼鏡なんて掛けて、粋な感じに着物を着こなしている。逆光で少し表情が見にくい。傍目から見たらかっこいいのだろう。

「いや、ちょっと、かくれんぼをば」春菜は言い訳じみた言葉を絞り出す。どうして焦らなければならないんだ。

「俺のメールも電話も無視して?」彼は口を尖らせる。

「え、あー、ごめん。携帯、バッグの」中、と言い掛けた春菜を彼が遮る。抵抗する間もなく、携帯電話が抜き取られてしまった。ひらりと彼は携帯電話を掲げる。

「これは何だろうな」にっこりと彼は笑ってみせた。

「いやいや、この世の中、いくら携帯が便利だからって、使えない時もあるでしょ?」春菜は半ば自棄になって言葉を捻り出す。

「たとえば、どういう時だよ」

 真崎は冷ややかな目を向けてくる。春菜は焦る。困る。上手い言葉が出て来ない。何でこんな思いをしなければならないのだ。ただかくれんぼをしていただけなのに。春菜は勢いに任せて言葉を吐き出した。

「せ、世界を救ってる時とかだよ!」完全に自棄になっていた。

「せめて、授業中とか電車に乗ってる時とかって言えよ」

 彼の視線は冷たい。呆れられている。変なことを言った自覚はある。重々承知している。春菜は俯いた。膝を胸の方へ引き寄せる。ああもう頼むから一人にしてくれ。かくれんぼをしている時に、わざわざ絡んでこなくてもいいじゃないか。

 女の子の可愛い声が耳に届く。探されている。このままでは見つかってしまう。あの子が彼を見逃すはずがないのだ。見つかるのは構わないが、こんな形で、こんな状況で見つかりたくはない。

「オニは里沙か」

 廊下の方へ視線を向けながら、真崎がぽつりと言う。彼はどうも気配で人がわかるようなので、春菜もそうやって見つけたに違いない。それにしても、わかっているならさっさと行って欲しいのだが。

「かくれんぼの邪魔しないでくれる?」

 ぶすりとして春菜は応えた。彼はにたにた笑う。出来ることなら殴ってしまいたい。この端整な顔を殴ることが出来たらどんなにいいだろう。だが、分別のある人はこんなことしない。したくてもぐっと堪える。それが大人だ。春菜は右手を握り締めるだけに留めた。

 ぱたぱたと軽い足音がこちらに近付いてくる。嫌だ。彼に見つかっているところをあの子に見られたくはない。何となく嫌だ。どうしてここにいるのだろう、なんて根本的なことまで考えてしまう。混乱している。何かが頭の中でぐるぐるしている。

 彼がにやりと笑んだ。何を考えているのか、すっと立ち上がる。襖をゆっくりと閉める。辺りが暗くなっていく。隙間から少しだけ光が零れている。襖越しにくぐもった声が聞こえる。

「いち兄、何してたの?」

 里沙の可愛らしい声が聞こえる。小学校低学年はまだまだ純粋だ。名前が一だから「いち兄」と呼ぶくらいに純粋なのだ。

「捜し物」優しげな声で真崎が答える。猫と子どもには基本的に優しいのが彼の特徴である。
「あのね、お姉ちゃん見なかった? かくれんぼしてるの」

 お兄ちゃんも見つからないんだよ、と彼女は少し不機嫌そうに言う。彼女の兄はとんでもないところに隠れているに違いない、と春菜は思った。

「いや、ここでは見てないよ」

 彼がそっと答える。そっかあ、と里沙の呟きが聞こえる。少し聞き取りにくい。遠ざかっているのかもしれない。やがて、ぱたぱたと走っていく足音が聞こえた。部屋が静かになる。

 春菜は、隙間からそっと外を伺った。逆光で真崎の姿が暗い。里沙はいなかった。そろそろと襖を開ける。四つん這いの状態で逆光の真崎を見上げてしまう。

「貸しだからな」
「え」

 真崎は優しく笑った。携帯電話を軽く放られる。慌てて春菜はそれを受け取った。不在着信を示す白色のランプが点滅していた。受け取れなかったらどうするつもりだったのか。春菜はほっと安堵した。そして気付く。

 魔王様に借り。怖い。怖過ぎる。春菜は携帯電話を握り締めて彼を追ったが、追いつく前にオニに捕まってしまったのだった。


end.

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