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 交通事故に気をつけましょう、と様々なテレビ番組で言われた。

 満場一致で今日の運勢は最悪だった。テレビの中で最下位の嵐。十二星座だろうが血液型だろうが誕生月だろうが最下位だった。こんな日もあると気を取り直そうとしたが、そう上手くはいかなかった。小さな失敗をこつこつと積み重ね、セシリアは全くもって憂鬱なままベッドに潜り込む羽目になったのだった。

 そして、「ちょっと出かけてくる」と午前中に外出したきりだったニールが酔っ払って帰ってきた。やはり運勢が最下位な一日は、そう簡単には終わらないらしい。可愛らしく端整な顔に、何故かは知らないがご機嫌な表情を浮かべつつ、彼は扉から数歩進んだところに座り込んでいる。赤色の髪を乱してだらんとした彼を見下ろし、セシリアは深い溜息を吐いた。呆れて眠気も吹き飛ぶ思いだ。

 ぼんやりと玄関の照明が彼の姿を映し出す。奥の部屋の窓から飛び込んでくる車のライトが部屋を照らす。ちかちかと明滅する。不思議なことに、童顔な彼がより幼く見えた。

「いつも思うんだけど、ちゃんと自分の部屋まで行ってくれる?」

「むり」
 ふわあ、と欠伸をしながら彼はこちらを見返した。疲れたあ、水、と駄々っ子のように訴えてくる。あまり呂律が回っているとは言えない有様だった。

 セシリアは再び溜息を吐いた。駄目な大人だな、と思いながら水を注いでくる。セシリアが水を持ってくる間、彼はもごもごと言葉らしきものを発していた。いっそ、この冷えた水を頭からかけてやろうかとセシリアは考えた。そうすればどんなにか気分が良くなるだろう、と誘惑に駆られたが、冷静に後片付けのことを考えて思い留まった。屈んで彼に水を渡す。

「何してたの」大方、ただ飲んでいたわけではないのだろうとセシリアは考えていた。

 彼は後ろめたさを全く感じさせない笑みを浮かべた。「小遣い稼ぎ」

「儲かった?」すっかり空になったグラスを受け取りながら訊いてみる。

 そりゃあ、もう、と彼はけらけら笑う。鞄を二度三度叩いて稼いだことを示す。それから彼は神妙な顔つきになって、グラスを持つセシリアの右手に触れてきた。熱を帯びた指が、包み込むようにセシリアの手をなぞる。

 ねえ、と彼が不意に柔らかな声を出した。「しない?」

 暗い色をした彼の目はアルコールの所為か潤んでいた。やんわりと左手で彼の手を離そうとしながら、セシリアは彼から視線を逸らした。こんな夜中に人を叩き起こしておいて何を言うんだ、こいつは。

「しない。さっさと寝なよ」

 白い光が瞬く。その鋭さにセシリアはつい視線を動かしてしまう。彼が蠱惑的に映る。そのまま、ふっと彼は自虐的な笑いを零した。どうしたの、とつい訊きたくなるような笑みだった。

 右手が熱い。一瞬だけ右手を強く引かれて、セシリアは前のめりになった。その隙に彼が抱きついてくる。首に腕を回し、肩に顔を埋めてくる。セシリアは思わず床に膝をついた。

 耳元で、彼がくすくすと艶っぽい声で笑う。「やさしくするよ?」

「気遣っていただかなくて結構」セシリアはグラスを床に置いた。両手で彼の肩を押し返す。「ていうか、あんたがしたいだけでしょ」

 セシリアの指摘に彼は至極楽しそうに笑った。笑っただけで彼は特に何も言わなかった。また、明滅。目が眩むような白い光に赤色が混じる。電車の音が遠くで聞こえる。楽しそうに笑いながら、彼が首筋に口付けてくる。触れたところがやけに熱い。

 そうだ、時間。セシリアは必死に目の前の現実から目を背けようとした。もう次の日になる。次の日になったら運勢は改善されるのだろうか。酔っ払いの相手なんて御免被りたいところなのに、明滅する光に呑まれてしまいそうになる。肩に添えられた手に力が上手く入らない。

 噫、これでは自分も同じ穴の狢ではないか、と思った瞬間。
 耳元で彼が名前を呼ぶのと同時に、甲高い音が耳をつんざいた。

「な」と、セシリアは間抜けな言葉を吐いていた。さすがに、一瞬動きが止まる。ニールはぼんやりと「あ?」と言っただけだった。

 ブレーキ音だった。甲高く不快な音がいつまでも耳に残るような気がする。深夜のブレーキ音は心臓に悪い。心臓がどきどきしていた。知らず息を詰めていたらしく、セシリアは長い息を吐き出した。体が、うわん、と揺れている感覚がする。今更ながら足が痛くなってきた。

 事故でもあったのかと確認しにベランダへ行こうとしたら、彼が手に力を込めてきた。ぐっと襟を掴まれる。何に対するどういう怖さなのかはわからなかったが、セシリアは本能的に恐怖を感じていた。

「どこ行くの」さすがに酔いが醒めたらしく、呂律がはっきりしている。
「いや、ちょっと外の様子を見に」何故か言い訳がましい口調になってしまう。

 ふうん、と彼は言うだけで、一向に解放してくれる様子はない。それどころかじりじりと体重をかけられる。重い。足が痛い。耐えきれず、そのまま床に押し倒された。どん、と鈍い音がした。後頭部を強かに打つ。頭と背中が痛んで、足がじんわりと痺れを訴える。

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