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「あ、そういえば」
「何ですか」
遠野がショーケースにタルトを並べながら、ぼんやりとした声で言う。一体いつどこからこのタルトが出てきたのかわからない。ひなたはショートケーキを作っているのだと思っていた。
「高木さんは箒に乗れないの」
「乗れません。配達なら車で行ってきますけど」即答した。
三十を間近に控えた男が、目をきらきらさせて訊かないで欲しい。切実に。彼は確かに可愛い感じの顔ではあるのだが――いや、それよりもそのアップルパイはいつ焼いたんだ一体。
遠野はしょんぼりした様子でアップルパイをショーケースに並べ始める。本当に何でもありのお店だ。季節感も丸無視している。苺のタルトの隣にアップルパイを並べ、その隣には栗のモンブランが並べてあるのだから戸惑う。確かに食材は年中手には入るが、もう少し「旬」とか「季節」を意識してもいいと思う。いつか、クリスマスでもないのにクリスマスケーキを並べそうで怖い。
「映画の中では、魔法使いが箒で飛ぶ練習してたよ」
ぱっと遠野が顔を上げる。子どものようだ。実際そうなのかもしれない。
「映画は映画です。四輪が運転出来ればいいじゃないですかそれで」
「いやでも、箒は魔女の必須アイテムでしょ」
目をきらきらと輝かせて遠野は言う。もうすぐ三十路のおじさんなのだから、そんな幻想は早く捨てて欲しい。現実をもっと直視した方がいいと思う。
「しつこいなあ、高所恐怖症なんですよ私!」
高い所が怖くて何が悪い。箒から落ちたらどうすればいいんだ。もっと地に足の着いた生活をしたい。
遠野が残念そうにこちらを見てくる。あからさまに落ち込んでいる。少し可愛い。いやそんなことを考えている場合ではない。ひなたは無理矢理に遠野を奥へ追いやった。こんな押し問答をしていてもケーキは出来上がらない。
バイト辞めたいな。
ひなたはそっと溜息を吐いた。
* 拍手のお礼でした。