金緑石の善導を



朱は、珍しく強張った面持ちで渡り廊下を歩いていた。その傍らには彼女の初期刀たる陸奥守吉行が控え、二人分の重みが板張りの廊下をギシリギシリと軋ませる。……本来彼は非番であり、且つ近侍の任も解かれていた。だが、急に歴史修正主義者対策本部から人を迎え入れる事となり道場に居た彼を呼び立てる事となったのだ。……否。非番であった彼を態々呼び寄せた事、そして彼女の表情がただの客人ではない事を物語っている。
ただの客人であれば態々近侍を交代したりなどしない。担当官が来ただけならばここまで固い表情にはならない。此度の客は朱を審神者を教え導く者として一人の若人を任せたいという初老の男であった。
その肩書きは、歴史修正主義者対策本部・警備部所属『刀衆』第十班長。宛がわれた名は、島百合。
開いた応接室には既に、此方へと深々と頭を下げる白髪の男と主に倣うように頭を下げた三池派の二振が傍らに控えているのだった。





「朱様もお忙しいでしょうに急なご訪問のお願い、大変失礼いたしました」

並びに快いご快諾のお返事、感謝の言葉もございません、と島百合は頭を下げたまま重々しく謝罪の言葉を口にした。彼の目の前に腰を下ろした朱はいえ、と軽く被りを振ってどうか頭を上げてくださいと乞うように告げる。そもそも今回の急な訪問を許可したのは前回の顔合わせのタイミングで体調を崩してしまったからだ。先に迷惑を掛けたのは此方なのだから向こうが無礼だと気を病む必要は無いのだと諭せば漸く男は顔を上げ――その視線に射抜かれた。動揺を表に出す事は無かったが、そっと小さく吸ったばかりの息を吐きだした。正面を見ている朱は知る由も無いが、その男の初老を感じさせない佇まいと霊力に陸奥は目を細める。
恐らくは朱よりも干支が一周する以上は年上であろう島百合はしかし衰えを思わせない佇まいであった。白く染まり切った髪や目元、頬に掛けて刻まれた皺は確かに人間の身体としての衰えを刻んでいる筈なのに、纏う空気は静かだ。ピンと伸びた背筋や彼女を貫いた強い眼差し、何より肌を刺すように感じ取れる霊力が未だ現役なのを感じさせる。霊力に纏わる逸話を持つ三池兄弟を何の不足も無く従えている事からもそれは良く分かった。審神者として政府に召し抱えられていたらさぞ名を馳せる審神者になったであろう。傑物、格好いい老人というのは彼の事を指すのかもしれない、と朱は思う。

「お身体の方はもう問題ないのでしょうか?」
「ええ、勿論。うちは私が多少の無理を押すのを良しとしない刀が一定数居まして。仕事をしたくても直ぐに布団に戻されてしまうので養生する以外に他無いんです」

今日だって彼らが良しとしなければ迎え入れる事は無かったと思いますよ、と暫しの歓談。
そして歌仙が用意した熱い緑茶を啜った辺りで本題に入るとばかりに島百合が懐から一枚の紙を取り出した。電子化が一通り進んでいる2200年代において実物の書類というのは大抵、重要機密か個人情報の類を指す。今回彼が訪れた目的を鑑みればそれが履歴書であるのは直ぐに察しがついた。

「教育をお願いしたいというのは彼女の事でして。ソハヤ、大典太。少しばかり目を伏せてくれるか」
「拝見いたします。……陸奥」
「わかっちゅう」

彼の夕日のような瞳が瞼に隠れるのを待ってから手にした履歴書に視線を落とした。若い女性特有の丸っこい字で書かれたそれは真っ先に真名が飛び込んでくる。審神者業を続けていると中々目にすることが無い苗字と名前は珍しく懐かしいような物だった。真名『雲雀野 杏』、政府職員名『翡翠』。与えられた第二の名前の通り翡翠色の瞳が印象的な、豊かな栗毛の髪を流した女性がそこには写っていた。控えめに持ち上げられた口角が柔和な印象を与え、しかし線が細い見目は彼女が知る島百合が所属する組織にはさぞ大変になるだろうという感想を抱かせる。少なくとも病弱な身の上である朱には到底無理な仕事であった。職歴へと目を通せば現職……否、前職が本部総務部の受付係と書かれていて少しばかり目を見張る。机の上に書類を伏せ陸奥へと合図をしつつ元受付ですか、と呟いた。

「ええ。所謂受付嬢、という奴ですね」
「受付嬢から刀衆ですか。随分と劇的な転職だなあと」
「本人が一番そう思っているでしょう。スカウトしたのは私ですが、かなり戸惑っている様子ですし」

審神者の才能を左右する霊力には、先天性と後天性がある。
所謂生まれながらに持っていた力と、後から開花した力、という奴だ。しかし同じ力ながら先天性と後天性には差が存在する。勿論先天、後天関係なく霊力は夫々個人差がある物だが一般的に先天性は霊力が豊富な者が多く、後天性は先天性程の霊力を持たない者が多い。先述通り個人差があるのでその枠に囚われない者も居るが、大抵はこの枠組みに当てはまる。今や百振も夢じゃない所まで力添えしてくれる刀剣男士が増え、その顕現の要石となる審神者には膨大な霊力を求められやすい。先天性は本丸にて彼らを束ね上げる者として適性を持つが、逆に言えば後天性は本丸を任せられる程の霊力を持ち合わせていない、という事なのだ。……先天程霊力を持てない、後咲きの彼らはレッテルを貼られるのか?そうではない。そもそも霊力を持つ人間自体が珍しいものなのだ。今では審神者同士或いは審神者と刀剣男士の婚姻により子を設けた者も多い。そういった第二世代の子供たちは総じて霊力を持ち合わせている者が多く、審神者の数も増えたので感覚が麻痺しているのかもしれないが、希少でないなら一般市民から無理な徴集を行う必要も無かったのだ。
話が逸れたが、後咲きの者達を受け入れる部署が対策本部内にも存在する。その内の一つが、島百合が所属する組織であった。

「我ら『刀衆』――いえ、朱様には玄武と呼んだ方が耳に馴染みがあるでしょうか。我々は常に人手不足……というか、幾ら人手があっても足りない事は無い部署でして」
「確か、各国の演練場や万屋街の警備がお仕事でしたよね」
「ええ、基本的には」

審神者と成り得る力を有しながら審神者になれなかった者達が息付く部署は、四つある。
一つは『監察課』。監査部所属であり、定められた規定に則り本丸のみならず各部署が違反を起こしていないか精査する課である。審神者からの通名は『青龍』。
一つは『公安部』。通名『白虎』。嘗て存在した白虎隊の名を借りるが如く白い装束に袖を通した部署だ。主な仕事は荒事周り全般で、刀剣男士を連れた者とそうでない者の二つに分かれているのも特徴である。現世での歴史修正主義者対策本部へのデモ活動に介入したりと刀剣男士を余り表沙汰に出来ない事件は人間のみの班が担当し、警備部が手に負えない大掛かりな事件且つ刀剣男士の関りが認められた場合は男士を連れた者が対応すると役割に応じて二分されている。
一つは『捜査課』。公安部に紐づけられた課であり、その名の通り捜査を主な仕事とする。白虎以上に刀剣男士の力が必要になる所であり、審神者の新たな出陣先への先行捜査や本部部署での怪しげな動きを秘密裏に探り監察課に密告する、更には所謂グレー本丸やブラック本丸の動きに探りを入れたりと多くの事に危険が付きまとう部署でもある。彼方此方に飛び回る姿から名付けられたのは『朱雀』。
そしてもう一つが、『警備部』。警備部内でも刀剣男士を従えた者達を『刀衆』と呼ぶが、専らの呼び名は『玄武』だ。主な仕事は先述通り審神者が主に出掛ける場所である演練場と万屋街の見回り警備と何か起きた際の対処であるが、監察課の報告を受けて目星を付けた事件への関与人物の捜索や本丸摘発現場への応援など、公安部と捜査課の仕事を掛け合わせたような仕事も受け持っている。如何せん21か国もある審神者の所属国のみならず現世や戦場周りまで仕事の範疇に入っている白虎と朱雀は玄武以上に人手不足なのだ、と。
そこまでの説明を終えて多少温くなった茶を啜り舌を潤した島百合は肩を竦めた。

「まあ、私は自分と自分の班が一番大事で可愛いんでね。他の部署に気を遣って譲れる程人は良くないんですよ」
「主はこう言うけど実際人手不足なのは本当なんだぜ。うちが管轄しているのは相模・備前・山城のベテラン審神者が集う古参国だ。大万屋街も週替わりで見回りを担当してるってのに十人足らずで回すなんて無茶苦茶だと思わないか?」
「……主は、玄武に転属する前は警備部でも政府高官を警護していたような人間だからな。手練れで俺達を従えても過不足ない霊力だから、人員を他の班に持っていかれているんだ」
「ははは。嘗て守っていた相手を場合によっては摘発し、本部働きが長く後天には珍しい霊力の持ち主だからと人員は持っていかれ。皮肉なもんです」

とはいえ身体の衰えには逆らえないのでね、と彼は軽く膝を擦ってみせた。理由を察知した朱はそうですか、と一瞬視線を落とし、そして再度島百合と視線を合わせる。

「それで、私が彼女に教えるべき事は審神者としてのノウハウ、でしょうか」
「ええ。本当なら自分たちが手取り足取り教えてやるのが一番なんでしょうが、先述通りうちは人員不足でして。頭である自分も現場に赴かないと回らないんです。正直彼女の指導役を置く余裕もない、ので。最近名教師と名を馳せている朱様にお願いに参じた次第です」

受付嬢としてある程度の刀剣男士の名前は把握している彼女でも、どの刀種がどのような強みを持ち、どのような場面に強いのか。歴史修正主義者の姿形や特徴。手入れの方法、刀装の作り方。本部所属の審神者達は鍛刀をする事は滅多に無いが、緊急時に即戦力を欲して鍛刀を試みる可能性も無くはない。呪具と対面してしまった、あると察してしまった時の心得や刀剣男士たちとの交流方法、覚える事は山ほどある。最低限の審神者としての知識やノウハウを叩きこむ事。それが朱への講師としての依頼であった。

「翡翠は受け答えを見る限り、真摯で真面目な性格なのでしょう。私がスカウトした際にもきっちり一日考えた上で話に乗ると答えてくれましたから。きっと良い生徒になるかと思います」
「それは僥倖。手のかかる子ほど可愛いと言いますが手が掛からないに越した事は無いですから。私の場合は特に」
「刀衆には九月一日付での移動となっています。ですので来週から朱様の都合の宜しいタイミングで六日間の短期研修という形で教鞭を執って頂きたい」
「成程。彼女は八月頭の健康診断か何かで後天性と判明したんですかね。因みに彼女は今?」
「仰る通り、八月の頭にあった総務部の健康診断にて判明しました。翡翠は現在有休を取って移動手続きや引っ越しの準備を進めています。一昨日には自分の相棒となる刀剣男士を顕現しましたよ」
「ほう。どなたかお伺いしても?」
「豊前江です」

彼女は『持っている』タイプの審神者かもしれません、と意味深な含み笑いをした後にただこの豊前、少々難ありでしてと続ける。何でも彼女が選んだ豊前江は退役で解体された本丸から政府に協力すると望んで協力刀剣となった個体なのだが、その退役した審神者が刀剣男士を神様寄りに見ている人間だったそうで食事を摂らないのだという。……刀剣男士を物と見るか人と見るか神と見るか、はたまた妖と見るかはその審神者によるが、恐らく豊前の前の審神者は神道に近しい審神者なのだろう。大抵刀剣男士を神扱いするのは神道に所縁があったり神社や巫女の子息の事が多い。しかしまあ、審神者になったばかりの翡翠にとってはやりにくい事他無いだろう。ヒトの形をしているのに、飲まず食わずでも平気な自分と違う存在。委縮し怯えていないのが救いだったが、島百合から昨日は泣き落としに近い形で食べて貰ったという話を聞いて会ってもいない彼女の困り顔が目に見えるようであった。

「報告によると飲食を拒絶している訳では無くて、まだ馴染みが無いから戸惑っている……という風でした。味もしっかりと感じ取れるようですし、慣れの問題かと思います。後は豊前は彼女にとって言わば初期刀です。そう顕現数を増やせない彼女にとって唯一無二の存在と成り得るでしょう。翡翠を問題なく補佐出来るように食事を含め教育と、後は練度が若干低いので朱様の刀剣男士に扱いて貰えれば」
「……成程。これは翡翠さんより豊前様に手が掛かりそうですね」
「!……引き受けて頂けますか?」
「ええ。先日のご迷惑の件もありますし、審神者候補生とは違って多少手間取るかもしれませんが」

審神者だけでは歴史修正の阻止は叶わない。審神者と審神者を援助する関係あってこその歴史修正主義者対策本部だ。実際に敵を殲滅する命を受け最前線に立つ審神者もまた、本部所属の人間である。後進の人間を支え守る同士を育てる事もまた、必要であろう。

「陸奥も構わないよな?」
「聞くんならいいと答えるがけに先に聞いてくれんかのう」
「はは、悪かったよ」
「構わんぜよ。但し体調を崩したら即刻中止やきな」
「分かってる。何より国広辺りが黙ってないだろう」

一体何度言えば気が済むんだ――という新しく受け持つ教え子の名前と同じ瞳を持つ彼のそれはそれは低い、あからさまに不機嫌な声が聞こえた気がして肩を竦める。その遣り取りを見ていた島百合は朱が入室した時と同じように同伴刀剣を伴って深く深く頭を下げた。

「まだうちの子ではありませんが。これから同士になる翡翠と豊前をどうか宜しくお願い致します」
「確かにお預かり致します。次に島百合さんの所に二人が顔を出す頃までには、立派な審神者に仕立てましょう。……お約束します」





真っ白な壁に自分の姿が映りそうなほど磨かれた床。壁に貼りつけられたホワイトボードは汚れ一つ無く、整えられた設備はどれを取っても最新式であった。宛がわれた部屋は二人を迎え入れるにはちょっと広すぎる様な気もしたが、対策本部の会議用の一室を講習用にと使用権を取り前準備の殆どを調えてくれた島百合の厚意として有難く受け取っておくこととする。それはそれとして、この白さは病室を思い出させて少し落ち着かなさそうに意味も無くストールを調節していた朱に陸奥が主、と呼び掛けた。

「足音と気配がするき。来たみたいやの」
「そうか。出迎えるとしよう」
「ご自分で大丈夫ですか?」
「問題ないよ、一期。体調は安定しているしこれ位何てことない」

講習初日の同伴刀剣は陸奥と一期であった。陸奥は豊前の手合わせ役として、一期は弟たちが多く導く役割は得手だろうと踏み、どちらに付いても問題ない男士として買ったのである。そうして彼女が立ち上がった直後に、控えめなノック音がした。ジャストタイミング、という奴だったらしい。どうぞ、と声を掛ければ矢張り控えめな失礼します、という声と、真逆の邪魔するぜ、という溌溂とした声が響き横開きの扉がするするとつっかえなく開いた。

「翡翠さんと豊前様ですね?初めまして、こんにちは」
「あ、えっと、はいそうです。お初にお目に掛かります、翡翠と申します」
「呼ばれての通り、豊前江だ。俺を知ってるって事はあんたの本丸には俺が居るのか?」
「ちょ、豊前……ええと、貴女が講師の方ですか?」
「気にしなくていいよ。ああそうだ、君たちを担当する朱という。此方は私の初期刀の陸奥守吉行、と同伴として連れて来た一期一振だ。私と同じく君たちに色々と教える立場になる。どうぞ宜しく頼むよ」

咎める様な翡翠の声に被りを振って答えた朱は豊前の質問にも同派の皆と仲良くやっている、という言葉で答えとした。そうかそうか、と嬉しそうな豊前を伺うように見上げる翡翠、と矢張り出会ってまだ一週間程度だからか咎められる程度にはなっても微妙な距離を保つ翡翠に苦笑しつつ、その彼女が履歴書で見た姿とは違いショートになっている事を緊張を解す意味も兼ねて指摘すればほんの少し頬を赤らめ、髪を撫でつけながら翡翠は答える。

「刀衆は足を使う仕事だと伺っていますし、何より心機一転というか、こう、気合を入れる意味で切りました。へ、変ですかね……実はここまで短くするのは初めてで」
「いーや?前の長かったのも似合ってたけど、短いのもよく似合ってんよ」
「そう、かな」

朱が答える前にあっけらかんとそう告げた豊前に対し、照れたように編み込んだサイドの髪辺りを触る翡翠と快活な笑顔を浮かべて本当だって、と顔を覗き込む彼にほう、と朱は視線を細めた。前情報として彼女が受付嬢時代に前主の護衛役として随伴していた時に面識があった、という話は聞いていたが思った以上に豊前は新たな主に対して好意的だ。勿論朱も感じ取っている霊力の清らかさもあるのだろうが、彼女の性格的な面も大きいのかもしれない。刀剣男士との向き合い方については翡翠の意識を少し変えてやるだけで上手く噛み合うかもしれないな、と密かに口角を持ち上げた朱はさて、と柏手を打つように手を叩いた。思った以上に良く響いた音にぱっと目の前の二人は講師へと向き直る。

「緊張も多少は解れたかな?では早速だが講義を始めたいと思う。何せ時間は有限だ。君たちを六日後には刀衆に配属できるだけの立派な審神者とその初期刀に仕立てなくちゃいけないんだからね」
「……初期刀?俺が?それは歌仙たちを指す言葉じゃないのか?」
「一般的にはそうやが翡翠にとっての『はじまりの刀』はわれやろう?」
「……そう、か。考えても無かったな。俺が主の、初期刀」

変な気分だ、と言葉とは裏腹にくしゃりと笑う様は全く悪い気はしていないのだろう。寧ろ嬉しそうでさえある。初期刀、と小さく呟いた翡翠は深く息を吸ってゆっくりと吐き出した。再び朱を見つめた瞳は覚悟が決まった眼差しである。彼ほどではないが力の籠った良い目は、上司の姿を思い出させて行くべき定めだったんだろうなとさえ思わせた。

「何せ一週間未満の超短期研修だ。翡翠さんには審神者のノウハウから必要な技術、知識、覚えておいて損は無い事を私の知る限り叩きこむし、豊前様は初期刀として必要なもの全てを教え込むし、加えて練度を上げておいて欲しいとも言われているから鍛錬も込みの私が受け持った中でも随一のスパルタになると思うが……覚悟の程は?」
「俺は勿論。主の為なら何だって食らいついてやるよ」
「……私は、正直まだ、ちょっと怖いです」

翡翠にとって今の状況は非日常だ。新しい事が次々に降りかかって来てキャパシティーオーバーを起こしてしまいそうな程に。それでも、彼女の瞳の強さは変わらない。恐怖はあるが、立ち向かうだけの強さは併せ持っていた。本当に嫌ならば逃げ出せたのだ。島百合もスカウトした際に逃げ道を用意してくれていた。けれど、翡翠は逃げなかった。同じ日の繰り返しから、違う明日が訪れるこの道を進むと自分の意志で、決めたのだ。日常から、非日常へと飛び出す事を、自分で決めたのだ。それが、何よりも翡翠にとっては大事な理由であった。

「でも、自分で決めた事なので。頑張ります」
「俺も一緒に頑張るかんな」
「……うん。豊前。頑張ろう」
「おうよ!」
「その意気だ。では早速講義を始めよう。用意した席に二人とも着いてくれるかな」
「はい。先生、宜しくお願いします!」

初めて翡翠から出た威勢の良い声に朱は嬉しそうに口の端を持ち上げる。自身への発破も込めたその声に生徒に負けていられないな、と呟けば聞こえていた一期も陸奥も同じように夫々の笑みを浮かべながら頷き、彼女自身もこれから始まる研修の間はどうか体調を崩さぬように、と願いを込めて何時もよりほんの少しだけ声量を上げるのだ。では先ずは、審神者の名の由来から始めよう――、と。




追記:夢主の名字は本来は二文字で「ひばりの」ですが環境文字として弾かれたので「雲雀野」になっています。辛い。




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