暗く深い闇を背負い、淡い月の光を乗せて風を切るように降り立った一つの影。白銀に輝く金属の表面に映り込んだその影は周りに誰もいないのを確認し、開いた窓の隙間から猫のように音を立てず忍び込んだ。


――三日月が空に浮かぶ夜、奴は現れた。


無用心にも程がある、と少々呆れながら今いる部屋を眺める。暗い部屋には横に三つ、隅の方に一つのベッドが並んでいる。枕元の灯りは消され、規則正しい寝息に混じって変な寝言が聞こえる。
まずは隅にあるベッドから順に一人ひとりの顔を確認する。
二色の髪、これは違う。四人の中では薄い色をした髪、これも違う。並ぶベッドの真ん中で落ちそうになりながらも器用に眠る濃い色をした髪の持ち主、試しに長い部分を引っ張ってみたが違う。
残りは窓から一番遠いベッドだ。彼は暗闇の中をわずかな月の光を頼りに進んでみる。かけ布団を頭からかぶり、身動き一つしない繭の中に目当ての人物は眠っているのだろう。
ゆっくりと布団を引き剥がすと横向きに膝を抱えて眠るユウヤがいた。普段は後ろで一つにまとめられている髪の一房も、今は解かれている。長い前髪で隠れているので寝顔はよく見えない。
煌めくような金色の髪が深い紫の髪の上に重なる。思わず食べてしまいたくなりそうな瑞々しいシャンプーやリンスの香りがする。指で髪を掻き分けると甘い香りがさらに広がった。互いを強調し合う髪の色同士であるというのに、何故か不思議と溶け合っているように見えた。

「キリト……? こんな時間にな、に……? すぅ」
布団ではない奇妙な重みと感触を感じて瞳を開いたが、すぐにまた眠りに落ちてしまうユウヤ。しかし今度はなかなか目を覚ましそうにない。
一年前に初めて彼を見たときは得体の知れない恐怖に苦しめられいた。しかし、今は何事にも縛られず安らかな寝顔をしている。濃い色をした髪と病的な白さをした肌、そして柔らかそうなかけ布団。夢を見ているのか時々口が開いたり体が動いたりしている。
体を揺する、頬を軽く叩く……などと起こす方法はいくらでもある。ここで幸せを邪魔したら怒るだろうか。いや、温厚な彼を怒らせてみたい、そんな悪戯心が湧き上がってくる。

キリトはユウヤを少し横に転がすと、布団にこっそりと忍び込んだ。左腕にユウヤの頭を乗せ、右手で幼い子供をあやすように撫でてやる。ユウヤはすがり付くようにこちらに寄ってくる。二人の距離は限りなくゼロに近い。目尻から零れる涙を指先で拭き取ると、消え入りそうなくらい小さな声が聞こえた。
「ひとりに……しないで……」
小さく震える手で服をぎゅっと握り締め顔を埋めてくるユウヤ。もう指先では拭い切れないくらいに涙がキリトの腕を濡らし始めた。
「ずっと……ぼくと、いっしょにいてよ……」
弱々しく聞こえるのは、心だけが子供に戻ってしまったかのような甘え声。両親が生きていた頃はこのようにして甘えていたのだろうか。


「ん……夢?」
重い瞼を擦りながら開けてみると誰かの腕の中だった。どうやら腕枕をされているらしい。
幼い頃に父や母にしてもらったそれや、八神に引き取られて間もない頃に眠れずにしてもらったそれとも違う腕の感触。母親の腕のように柔らかくもなく、父親や八神の腕のように硬くもない、縞模様の袖を纏った細い腕だった。
こんな腕の持ち主など、思い付く限り一人しかいない。驚きのあまり声を上げようとすると手で口を覆われた。ユウヤは大声を出さないという素振りを見せる。
「……どうやってここに入ったの」
眠っている三人を起こさないように小声で話しかける。キリトは黙って窓の方を指差した。あそこの隙間から入り込んだそうだ。
「やばい、トイレトイレ……」
すぐそばで独り言と足音が聞こえる。急いでユウヤはキリトを巻き込んで布団を頭までかぶり、息を潜めた。勝手に入ってきたとはいえ、二人でいるのを見られてはならない。それも同じベッドの中でだなんて、そんなことはどうしても避けたい。
遠くから水を流す音が聞こえてきてからは、なるべく膨らみが一箇所になるように身を寄せて口を両手で押さえる。足元すらよく見えない部屋だ。余程のことではわかりはしないだろう。それでも必死に隠れようと小さくなる様子が可愛らしい。


「……行ったな」
「うん……」
実際にはほんの数分のことなのに、布団の中で息を潜めていた時間は恐ろしく長いと思えた。息がこもって暑い布団の中でほぼ酸欠状態だ。
ベッドから出たキリトに手を引かれ、朦朧とした意識のままユウヤは後をついていく。上から糸で操られているかのようにふらふらと足を進めれば、着いた所はシャトルの翼の上だった。通り抜けた場所はあの窓の抜け道だ。

夢なのか現実なのか、それともその境界線に立っているのだろうか。下から吹き付ける冷たい風に当たり、どうやら目は覚めてきたようだ。
地に着かない足をぶらぶらと揺らすとそれに合わせて長い髪も揺れる。曇りない夜空を見上げれば三日月が見える。
「あの月、初めて戦った日に使っていた武器の形に似てるね」
「クレセントムーン、日本語だと三日月だからな」
強力なハンマーを使う相手との戦闘を想定した練習もしてきたが、三日月型の刃から繰り出される攻撃はやはり凄まじいものだった。
あの日刃を交えた相手とこんな関係になるとは思っていなかった。晴れて恋人となった今でも、彼の考えていることはわからない。
満月を見た人は狼に変身するのなら、三日月に見詰められた人はどうなるのだろう。三日月には人を狂わす力があるに違いない。ただ一つ言えるのは彼にもそんな危険な魔力があるのかもしれない、ということだ。

「ユウヤ」
「キリト、なに……んっ」
唇が開いて名前を紡いだかと思えば、振り向いたすぐさま自分のそれに重ねられる。キリトからのキスは嵐のようにいつも突然だ。
予測不可能の気ままな風に乗せられて、ユウヤは翼の上で身を委ねた。
「今日はいつもの味、しないね」
このときもまた甘いコーラの味がするのかと思っていた。酸味の残っていない、唯一味わえるコーラの味だ。いつか二人で一緒に飲んでみたいと思うが、あの酸味がどうしても耐えられない。それ以上の苦痛など何度も経験したのにと、ユウヤは自分でも変に思う。
「飲んできた方がよかったのか?」
冷たい風が濡れたままの温かい唇に当たる。月光を受けて光る雫を舐め取り、ユウヤは三日月を背にしたキリトを見上げる。
「でも、十分甘かったよ」
こんなことを言えるのはきっと月のせいだ。
そよ風に吹かれて宙を舞う髪に、そしてユウヤの片手にキリトの指が絡まる。二人は三日月の魔法が解けるまで、この夜のように長く深い口付けを交わした。
空を飛んでいない、停まっているはずのシャトルの翼の上だというのに、何故だかふわふわと空を飛んでいるような気がした。

2012/05/20

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