遣らずの雨

二月十四日から丁度一ヶ月後の今日、三月十四日。女子が想いを寄せる男子にチョコレートを贈るバレンタインデーに対し、それを受け取った男子がお返しをするホワイトデー。そんな今日は美しく晴れ渡る日曜日だ。
ミソラ商店街は学校や仕事のない者達で賑わっている。バレンタインデーに告白を成功させたのか、通り過ぎる人影の中にカップルと思われる男女がちらほらと見受けられる。
舗装された道路を歩く人々の靴音の中に混じる、聞くことも珍しい音が鳴り響く。この時代の若者の履物としては大時代すぎると言ってもいい程に奇妙な音を鳴らす履物――下駄の音だ。いや、古めかしいのはそれだけではない。長ランを素肌の上に羽織っただけの上半身、頭の上には学生帽。かつてミソラ第二中学校の番長の椅子に座っていた、郷田ハンゾウだ。
「かつて」なのは卒業を控えた日に別の者に番長の座を譲り渡したからである。その者は今うまくやっているだろうか、などと考えながら郷田は階段を一歩ずつ上っていく。
向かった先はゲームセンターだ。自動ドアが人の存在を感知して開き、話し声や機械の電子音が吹き荒ぶ風のように外部に漏れた。郷田は入って右奥にある展開されたDキューブが点在するコーナーに行き、適当にそこらにいる者達にバトルを挑んだ。
しかし、以前からここで肩を並べてきた者は不在である。ルールとしてストリートまたはスタンダードレギュレーションのため破壊は原則として禁止、これを破れば反則負けとなる。四、五人を倒すと飽きたのか、郷田はゲームセンターを出た。
(暇だな……でもやることもねえしどうするか……)
郷田はぶらぶらと商店街を歩き始めた。まだ朝なので家には帰りたくない。今家に帰ったとしても面倒事になるだけだ。
郷田も四月からは高校生だ。将来のため社長としての在り方を父親に長々と説かれ、母親からはまだ十五だというのに次々とお見合いの話が持ちかけられてくる。親に人生のレールを敷かれるのが嫌で郷田は「彼女が出来た」などと嘘を吐いて家を飛び出したところだった。もっとマシな嘘はなかったのだろうかと、郷田は思い悩んだ。
すぐ近くの店から女の甘えた声と男のやれやれ、とでも言いたそうな声が聞こえる。見たところまだ学生のようだ。そういえば今日はホワイトデーだったな、と郷田は思った。思えば今まであまり意識したことはなかった。毎年母親や女子社員達から義理で貰ったチョコレートのお礼には小さなクッキーを一つずつ配っていたが。


――郷田は一ヶ月前に食べたチョコレートケーキの味、そしてそれを作った人物のことを思い出した。
記憶の中で揺れる水色のリボンと紫紺色をした髪の甘い香り。自分の手ですっぽりと覆い隠せそうな小さな白い手と柔らかな感触。スラムにいた女子達に比べると控えめな薄化粧だが、紫色のアイシャドーが似合う可愛らしい二重瞼。自分にないものを持つ少女、ミカのことだ。
あんなにいいものを作ってくれた彼女を無視する訳にはいかない。郷田はお返しは何がいいかと頭を捻った。ある限りの知恵を振り絞り、なんとか考えを導き出す。母親が見ていたドラマの中のある光景が浮かんだ。男性が女性を食事に誘うシーンだ。
よく行く場所といえばブルーキャッツだったが、一ヶ月たった今もマスターは帰ってきていない。耳に入ってくる噂話はどれも信憑性の乏しいものばかりだ。真実を知っている者は黙して何も語らない。
他にどこかいい所はないかと考える。牛丼、焼肉、ラーメン……学校の帰りに仲間や後輩を連れてよく食べに行った。
(相手は女だぞ、あいつらとは違うんだ……)
結局何も思い付かなかったのか、郷田はCCMを取り出した。二つの鈴がチリンと音を立て、履いている下駄とよく似たCCMが現れる。本人に直接聞こうというのだ。
シーカーの初任務前、何かあった時のためメンバー全員で電話番号を交換した。任務でミカとは何度か電話で話したことはあるが、任務以外で電話をかけるのは初めてだった。


ミカはすぐに電話に出てくれた。
「もしもし、ミカか? バレンタインにチョコくれただろ、お返しに何か欲しいものってないか?」
所持金には余裕がある。あのケーキを作るのにいくらしたかわからないが、市販のケーキの値段を見ると同じくらい高いのかもしれない。
少しの沈黙の後、
『お返しは買わなくてもいいから……、あたしとバトルして下さい』
――特別なものはいらない。郷田さんが受け取って食べてくれたから。唯一望むのなら、特別な時間がほしい。
沈黙の間ミカはこう思っていた。思っていることを言えばいいのだが、片思いの相手に言えることではなかった。電話での沈黙は直接人と会話している時のそれとは違う取られ方をすることがある。ミカはこの言葉を言うのが精一杯だった。
郷田はミカの居場所を聞いた。偶然にもミカは商店街の中にいるようだった。郷田はミカに待つように言ってそこへと向かおうとした。
目的地に一番近い道にある花屋の前を一旦通り過ぎ、郷田は振り返った。
何種類もの色鮮やかな花、大輪の花、少し珍しい花が店の前に並んでいる。客はそれらを見て綺麗だ、などと感嘆の声を上げている。郷田が目にしたのは端の方にある青い花だった。目が離せなかったのか、足を止めて花屋に立ち入った。
買った花をバトル後に渡そうと郷田は思った。運悪く店から出てすぐに雨が降り出した。叩き付けるような雨で地面は色を変え、傘を持たない人々は走り出した。
ミカに待っているように言った場所には雨宿り出来るスペースがない。確かこの近くにいるはずだ。傘を持っているといいのだが。


◇◆◇◆◇◆


屋根のない建物の前でミカは一歩も動かずに待っていた。服は雨で体に貼り付き、下を向いて胸元を押さえている。雨が降れば店の中に入ればいいものを、郷田に見付けて貰えなかったらと、ミカはずっと外で待っていたのだ。
「ミカ!」
顔を上げるミカの前髪からはぽたぽたと雫が垂れ、気合いを入れたメイクも雨でほとんど流れてしまっていた。
「郷田さん……」
雨のせいかミカの着ている少し大きめのサイズの服は体のラインに合わせてぴったりと貼り付いていた。透け始める服を見ないように郷田は目を逸らし、傘の代わりにするためにミカが入れるくらいまで長ランを広げた。
「こんなもので悪い」
自分の半分程の小さな歩幅、歩きにくいだろう高いヒール、しかも滑るかもしれない。ミカの歩行速度に合わせながらも、なるべく屋根のある所まで急いだ。
本当はゲームセンターかキタジマ模型店でバトルをするつもりだった。二人とも雨に濡れた今はそれどころではないだろう。気が乗らないが郷田はミカのことを思い、家に電話をかけた。十分程してから使用人が運転する車が来た。


「帰ったぞー」
プロメテウス社の敷地内にある豪邸が郷田家だ。下駄を脱ぎ散らかして雫を床に垂らしながらドカドカと家に上がりこむ郷田と、ドアの陰から中の様子を伺うミカ。思ったよりも早い息子の帰宅と見慣れない客に母親が駆けつけ、ミカに上がるように言った。
「……お邪魔します」
郷田の母はまさか本当に言っていた「彼女」とやらを連れてくるなどと思っておらず、しばらく呆気に取られていた。ミカが雨でびしょびしょに濡れているのを見ると、慌てて風呂場に連れて行き濡れた服と下着の代わりを買ってくるためにサイズを聞いた。郷田は母に言われ、社内のシャワー室に行った。




風呂場でシャワーを浴び、新しい服でのバトル。結果は惜敗に終わったがミカは郷田との時間を過ごせたのか、どこか幸せそうに見えた。
「やっぱり、強いな……」
ミカはDキューブの中に倒れた愛機、アマゾネスを拾い上げた。郷田との念願のバトルも果たせた。お金では買えない小さな幸せを手に入れることが出来た。今は他に何も望もうとは思わなかった。
二人でいた時間はあっという間に過ぎていた。郷田の母はミカをえらく気に入ったらしく、二人がまだ食べていなかったので昼食をごちそうしてくれた。


郷田はミカが家に帰る前に玄関で呼び止めた。

渡したのは花屋で買った青い『アイリス』の花。
雨上がりの空には虹がかかっていた。

『あなたを大切にします』

2012/03/14

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