「大人しく服を脱いで貰おうか」
「や……やだ! 絶対、やだ!」
部屋の隅に追い詰められ、壁に押し当てられた手で行く手を阻まれる。命令を下すのはこの家の新しい主。それに対してブンブンと激しく首を振るのはただの住人である僕で。僕が首を振るたびに長く伸びた髪も揺れる。
「ユウヤ、脱がないと何も出来ないだろう」
「やだ、ジン君……お願いだからやめて!」
ジン君は僕が逃げないように右手で僕の左腕をつかみ、左手で一気に上着のチャックを下ろした。僕が上に着ている服は白いシャツだけになった。抵抗出来ない僕にジン君は容赦なくそれに手をかけて引き上げる。首の辺りまでシャツの裾が来た。両手を上げるように言われるけれど僕は嬉しくもないのにバンザイなんかしたくない。確かに僕はジン君が大好きだけど、今はちっとも嬉しくない。
「や、やだぁ……んっ」
ジン君は嫌がる僕の唇に指を押し当てる。この後のことを考えるとそれだけで僕はシャツが脱がされることを許してしまう。ズボンもいつの間にかどこかに行った。あっという間に僕は下着一枚にされてしまった。
「あと一枚だ」
「うぅー……」
僕は後ろを向いて最後の一枚を脱いだ。床にストンと落とされたそれは回収され、かごに入れられる。ジン君がタオルを持ってきて僕の腰に巻き付ける。
すぐ近くのドアの方から水音が聞こえる。それを恐る恐る開くと白い湯気がもくもくと出てきた。この感覚だけで僕の顔は引きつった。
「お風呂やだあぁぁぁ……」
時刻は午後七時、少し早めの入浴の時間――
僕の悲鳴だけが浴室の中でエコーを帯びていた。


僕を入浴させること、これがにジン君にとっての一日の最大の仕事だ。
一年前、アルテミス決勝戦で僕は意識を失って病院に運ばれたらしい。回復の見込みがないとまで言われたけれど、奇跡的に意識を取り戻した。後遺症として記憶などには影響が残っていた。ある日録画されていたアルテミスでのバトルを見た途端、記憶を取り戻した。
体中に埋め込まれた機械を取り除く大手術を終え、僕は退院することとなりジン君に引き取られた。
記憶を取り戻してからは基本的な日常生活も大体は一人で出来るようになった。学校にはまだ通えていないけれど、なんとかジン君や他の人たちが学んでいることもわかるようになってきた。理数分野に関しては研究施設で学ばされたから、中学校で習うそれをはるかに超えた専門的な知識を持ち合わせている。でも国語や社会はよくわからない。

ジン君は腕まくりしたシャツ一枚と膝の少し下まで折ったズボンで浴室の中まで入って来る。僕は椅子に座ってじっと待つ。今から髪を洗ってもらうんだ。僕のために買ったシャンプーハットをかぶせてシャンプーを泡立てる。ただの液体がもこもことした泡に変わり、頭の上で広がっていく。シャンプーハットからぽたぽたと垂れる泡がタオルの上に落ちては染み込んでいった。
「まだ?」
「次はリンスだ」
シャンプーの泡をシャワーで流して次はリンスが付けられた。頭のてっぺんから髪先まで甘い香りのリンスが伸ばされる。おいしそうな香りはジン君のと同じだから好きだけど髪に付いた白いべたべたは少し嫌だ。
ジン君はボディソープをスポンジで泡立てている。背中をごしごしと洗ってくれた。続いて左腕。下半身と傷のある右腕は自分で洗った。泡まみれの僕の体をジン君は洗い流してくれた。体中に温かいお湯がかかる。シャワーが止まると僕は飛沫を飛ばした。
「今から二十分は浸かってもらう」
ジン君は僕の頭にタオルを巻いて浴室を出ていった。今ここには僕しかいない。
怖いから大きな浴槽の隅に体の半分を浸し、風呂場の外で待っているジン君に何度も呼びかける。この時間は好きじゃない。初めて会ったあの日から再会するまでの九年より、入院してからの月日より、学校に行って会えない時間(メールと電話はする)よりも長く思える二十分。あまり僕を甘やかすと僕が何も出来なくなってしまうからとジン君はこの時間だけは僕に構ってくれない。僕がお風呂嫌いな理由の一つがこれだ。
もう一つは僕が水やお湯の中が嫌いなこと。科学者の人たちが研究などと言って僕に機械をいっぱい付けて変な液体の中に入れられたりしたから。そのときに右肩の傷がひどく痛んで僕はいつも泣いていた。
訓練で体を動かすこともあった。汗をかいても無菌室に入れられて変な霧を吹きかけられて殺菌されるだけだった。入浴が許されるまでは蒸しタオルで体を拭いてもらっていた。だからお風呂に入るのも慣れていない。
「まだー?」
「あと一分だ」
僕はカウントダウンを始める。十秒ごとに僕の体はどんどん浴槽から離れようとする。あと三秒、と言われたときは片足だけが浸かっていた。二十分がたつと僕はそこから勢いよく飛び出した。巻いていたタオルがほどけたのも気にしないで僕はバスタオルを広げて待っているジン君の元へ飛び付いた。真っ白でふかふかの温かいタオルに包まり僕はジンに体を預ける。僕の体に付いた水滴を拭いてもらって頭もわしゃわしゃと拭いてもらう。それからパジャマを着る。くしゃくしゃになった髪はドライヤーで乾かされ、ブラシでとかしてもらう。
初めて出会ってから十年。お互い背も伸びて声も少し変わった。 僕の方は髪も伸びた。入院してから一度も切らなかった髪は肩甲骨の下まで伸びている。心も体もどんどん大人になっていく君と、体だけ大人になって心は子どものまま変わらない僕。僕は甘えるだけ甘えっぱなしだけど君は全然怒らない。今まで不自由な環境にいたから大目に見てくれているんだと思う。
僕の濡れた髪はほとんど乾いた。後ろから抱き締められ髪をジン君は指に絡ませる。するりとそれはほどけて元の真っ直ぐに戻った。
「僕も入るから少し待っていてくれ」
「明日から一緒に入ろうよ」
「え? ……いや、わかった」
僕が一緒にお風呂に入りたいって言ったらジン君は何故か戸惑っているように見えた。恋人として甘えるのはいいけれど、僕はいつまでもジン君に依存してはいけない。僕はジン君を困らせないために「普通の」人間生活の練習をした。例えば食事。研究施設にいた頃は一日一回のパンと水と栄養剤や点滴で生かされていた。箸どころかスプーンも使わない生活を九年送った。今は箸でもなんとか落とさないで食べ物をつかめるようになった。
一人のときは寂しいけれど、ジン君は戻ってきてくれるから待っていられる。途中手伝ってもらったけれど今日はお風呂にも一人で入れた。
ジン君を喜ばせるためなら好きじゃないことだって我慢する。そうしたら大好きなこともしてくれる。毎日毎日出来ることが少しずつ増えていく。改造された体はこれ以上元に戻らないけれど僕も普通の人間に近付けたのかもしれない。


僕はお風呂から上がってくるジン君を待ちながらベッドの上をごろごろと転がっていた。濡れた髪じゃないから怒られない。ベッドのカーテンを閉めてジン君が戻って来るまで寝たフリでもしていようかな。それとも広いベッドの上でもう少し転がっていようかな……
結局、もう少し転がっていることにした。柔らかくていいにおいのするベッド。シーツの上で丸めた布団に抱き付いて転がる。羽毛の入った布団からふんわりといいにおいが広がる。僕は催眠術にでもかけられたかのように眠くなる。布団にしがみ付いたまま見ていたのは天井で、その天井も僕が目を閉じたら真っ暗になった。



――ここはどこだろう。僕はジン君を待っていたらいつの間にか夢の中にいるみたいだ。黒と灰色だけが色を付ける、無彩色の世界。時々他の色の付いた夢も見るけれど、この二色はジン君と僕の色。他の色なんていらない。でもあと一つだけ色を加えるとしたら赤色がいい。赤色は僕と仲間が涙と一緒に流した血液の色。そうじゃなくて君の宝石みたいな目の色の赤。綺麗な赤い瞳を夢の中でも見ていたい。
「君の赤い瞳の色が見たいな……」
僕がそう願ったら黒と灰の夢は赤い色が付いた。ルビーのような赤を湛えた二つの丸い瞳に僕が映っている。僕を近くで見ているから瞳孔も少し大きくなっているのがわかる。
「……ユウヤ? なんだ、また寝てるのか」
左目にぼんやりと映る赤い色。それがゆっくりと黒く変わってゆく。ジン君の長いまつ毛が僕のまつ毛に重なった。夢なのか現実なのかわからないほわほわとした感覚のまま僕も目を閉じる。唇に押し当てられた柔らかい感触とほのかな温かさでこれが現実なんだとわかって。唇が離れた後は腰を起こして手を広げて腕を伸ばす。しっかりとジン君を抱きとめて何度も唇の先が触れるくらいのキスをする。さらに深く、もっと深く口の奥深くまで忍び込んで……
「大好きだよ……ジン君」
「ユウヤ……僕もだ……」
ジン君はこうやって毎晩僕に語りかけてくれる。僕の意識がないときも、入院中で寝ていたときも僕に語りかけてくれたらしい。そのときは何て言ったんだろう。聞いてみたけれど恥ずかしがってジン君は教えてくれなかった。
「ねえ……もっとしよ?」
僕はジン君と一緒にベッドに倒れ込んだ。広いベッドだから僕が一人で待っていたときみたいにごろごろと転がれる。僕がジン君の上に覆いかぶさったり、ジンが僕の上に覆いかぶさったり。
ジン君にとかしてもらった髪は色んな方向に散らばった。せっかくとかしてもらった髪もまたとき直し。髪が今よりもっと短かったときはそんなことにならなかったのに。僕の髪が伸びれば伸びるほど心も髪も君に乱されて。
でもこの時間と髪をとかしてもらう時間は好き。ここに引き取られた僕に君の全てを捧げてくれたように、僕も君に僕の全てをあげる。心と髪だけでなく、僕の全てをかき乱してほしい。お互いがお互いなしじゃいられなくなるくらい僕も君を乱してあげる。僕が学校に行けるくらい元気になったら、君の今よりもっと可愛い姿が見たいな……

2012/01/25

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