僕は今病院に入院している。アルテミスで意識を失ってから目覚めた今も、ずっとこの病院にいる。
毎日決められた時間に生活する、色あせた退屈な日常。同じ時刻に僕の世話をしてくれる人が来て同じ時間に帰ってゆく、毎日がその繰り返し。
僕の元に戻ってきたCCMとジャッジも病院の中じゃ使えない。そんな僕の唯一の楽しみは週に二、三回来てくれる君の姿を見ることだ。
土曜日と日曜日は朝から、学校のある平日は午後に時々君は来てくれる。君が朝早くから来てくれるときは僕もいつもより早起きして、ベッドの横にある棚に立てかけてある君の写真に挨拶する。僕がいくら語りかけても、写真の中の君は何も返してくれない。ただ四角い紙の真ん中で柔らかな微笑みを浮かべているだけだ。
色白だけれど僕と違って健康的で、宝石を埋め込んだような綺麗な赤い瞳。黒と銀のコントラストが流れるような美しさを帯びた髪。九年の時を越えて巡り合えた君は少し大人びたみたいで目つきも少し鋭くなったけれど、僕への優しい語りかけは変わらない……僕の髪や手に触れながら学校であったこと、君自身のことも話してくれる。

今日は土曜日。君が僕に会いに来てくれる日だ。僕は今日も君の写真に挨拶する。これから君に会えるのはわかっているけれど、写真の中に閉じ込められた君は僕と同じで寂しそうだから。
朝食の後はずっと窓の外を眺めながら君が来てくれるのを待っている。カーテンを開けた窓から見えるのは決まった時間に通り過ぎる電車と駐車場に点々と停められた車、そこから出てくる人々。君の来ない日は寂しくて寂しくて死んでしまいそうなくらいだ。
行き交う人々の中に君の姿が見える。その隣に誰かがいる。二人で仲よさそうに笑い合って歩いている。あの子は君の知り合いなのかな。

――何だか胸の奥がもやもやする。君が来てくれたというのに、それなのに。

窓の外から二人の姿は消えた。もう病院の中に入ったみたいだ。僕は窓の外を眺めるのをやめてベッドに座った。
廊下に足音が響いている。いつもより数が多い。あの子も一緒に来たみたいだ。ドアをノックする音が聞こえたので僕は覗き穴から外を見た。君の姿が見えた。その隣にはきっとあの子がいる。僕は待ちわびてドアをゆっくりと開けた。
「おはよう、ユウヤ。今日は僕の友達も来るんだけどいいかい?」
入ってきたのは君一人だけ。あの子は外で待っているみたいだ。二人で来たんだからあの子もそのうち入って来ると思う。どうせ拒否権なんてないくせに。本当は誰にも邪魔されずに君と二人でいたい。でも君に嫌われたくないから僕はあの子が入って来ることを許してしまう。
「大丈夫だって」
ドアが開き、君の「友達」が入って来た。君や僕と同じくらいの年の男の子だ。柔らかそうな茶色の髪と優しそうな表情をしている。君の友達だからいい人には違いない。君のお世話をしてくれる人も皆いい人だったから。
それでも僕にとってはあの子の存在が君と僕の関係を脅かすように思えた。それほどまでに僕は君を他の誰にも渡したくないんだ。
あの子が僕に何か話しかけてきた。自分の名前とLBXについて。僕の代わりに君が僕のことを紹介してくれた。あの子がよろしく、と言って僕に向かって右手を伸ばしてくる。僕はあの子が何をしたいのかわからなかった。君は右手を出して握手をすればいいと教えてくれた。君の手よりも温かいあの子の手が僕の手をぎゅっと握ってきた。握手なんて初めてだった。
僕はベッドに座ったままで、二人が椅子を持ってきて座った。
「俺のこと覚えてる?」
あの子が僕に聞いた。どうやらあの子は僕のことを知っているみたいだ。でも、僕はあの子のことを覚えていない。僕は実験の後遺症で記憶の一部が欠落しているらしい。その中にあの子についての記憶はあったと思う。あの子は僕の何なんだろう。僕の友達だったのか、バトルをした相手なのかそれとも別の何かなのか……僕にはわからなかった。
この三人でアルテミスの決勝戦で戦った――君は確かそんなことを言っていたね。それで僕は暴走して意識を失って今はこんな状態だ。たとえ僕がアルテミスであったことを覚えていても、あの子に会ったことは覚えていないだろう。毎日病院でたくさんの人の顔を見るけれど、誰一人覚えられないくらいだ。だって僕には君の姿しか見えていないから。
二人はアルテミスの思い出話をしている。お互い違うチームで順調に勝ち抜いて、決勝戦まで辿り着いて。決勝戦でのことは僕のことを考えて話を途中で止めて……
「あれ以来よくカズが抱きついてくるんだよねー……」
また知らない人の名前が出てきた。君とあの子が知っていて、僕だけが知らないその名前。二人だけが知っている話題を僕のいる所で共有している。僕が何かを伝えられる瞬間なんてどこにもなくて。
「仲がいいんだな」
君はあの子に向かって笑っていた。僕には一度もあんなに目を細めて笑いかけてくれたことはない。天使のような微笑みは、すぐ近くに僕がいるのに僕じゃなくてあの子に向けられて。あの子は君に笑みを返して僕の知らないことばかりをまた話し始める。まるで、僕が最初からそこにいなかったかのように、ずっと。
僕以外の人に向けられる君の笑顔なんか見たくない。他の人に笑顔を向けるくらいなら、君の顔なんかなくなってしまえばいい。僕がくり抜いて奪い取ってあげるから。
僕は今酷い顔をしていると思う。だから長い前髪で表情を隠し、ジャッジを触るフリをしてあの子の話を聞かないようにした。


聞きたくない。見たくもない。僕以外の人と楽しそうにしているところなんて。
君は時々僕のことを気にかけてくれているけれど、あの子はずっと君のことを見ている。君と話すことに夢中になって僕がいることすら忘れてしまっているくらいに、あの子もきっと君のことが好きなんだ。
君と一緒に過ごした時間はあの子と比べると短いかもしれないけれど、僕の方があの子よりも早く君に出会っている。あの子は今までどれくらい君のことを考えていたんだろう。僕は九年間ずっと君のことを考えていた。僕の夢の中には君が毎晩現れる。君は僕だけを見て、僕だけに触れてくれる。起きているときはもちろん、眠っているときだって片時も君のことを想わなかったときはない。
君にとって僕はたくさんいる友達の中の一人だろうけど、僕にとって君はたった一人の友達。つまり、君にとって僕は君の世界の一部で、僕にとって君は僕の世界の全てだ。この世界は「君」と「僕」と「それ以外」で出来ているんだ。僕がいなくても君の世界は回るけど、君がいなければ僕の世界は動きを止めてしまう。
あの子はまだ何か話している。たくさん出てきた知らない人の名前。二人だけで共有する話題。僕にはわからなくて何も返すことが出来ない。
僕はあの子をどうしても好きにはなれない。あの子は明るくて優しいらしいからきっと友達から好かれているんだろう。あの子は何も悪くない。悪いのは僕なんだ。僕とあの子が君の取り合いをしたら皆があの子を応援する。同じ人を好きになってしまったばかりに僕は今こんなに辛い思いをしている。
あの子は僕に二人の仲の良さを見せつけるかのように話し続ける。あの子は君と毎日いっぱい話してバトルもしているんだろう。二人にとってはそれが当たり前のことだけど、僕はそれすら出来る状態じゃない。
あの子は僕と違って自由に何でも出来る。学校に行けばたくさんの友達に囲まれて、家に帰ったら両親と温かいご飯が待っているんだろう。例えるならば親鳥に巣の中で守られて育ち、自由に大空を舞う鳥のようだと思う。僕は巣から落ちて羽と歌を失い、人間に飼い殺され捨てられた鳥のようで……



あの子が何かを言うたびに君は相槌を適度に打っている。君も僕もかなり無口な方だからあの子ばかり話しているように思える。でも、君は僕といるときの方がよく話してくれる。それは僕の分まで話してくれているんだと思うことにした。
「そういえば二人ってどんな風に出会ったの?」
突然あの子が話題を変える。君は僕のことを幼なじみで初めての友達だと言った。僕にとっても君は幼なじみで初めての友達。そして僕が君に抱いている感情はとっくの昔に友達という感情を超えている。僕にとって君は初恋の相手で大好きな人。僕がその感情に気づいたのは何年も前のことだ。寝ても覚めても君のことが頭から離れなかった。一度会って遊んだだけなのに、その姿をいつも求めてしまった。君のおじいさんのために生きるというのは嘘で、本当は僕は君のためにずっと生きてきたんだと思う。僕は君を頼ってばかりだけれど、もし君と僕の立場が逆だったら君は僕を頼ってくれたのかな。僕だけのことをずっと考えて、僕だけをずっと見て、僕のことを好きって言ってくれて。そうしたら僕も同じことをしてたって返してあげるのに。
「へー……でも、会えて本当に良かったよね。生きているのに何年も会えないだなんて俺には耐えられないや」
その言葉と君とあの子の知らない話題を共有出来たことに、少しだけ優越感を得た気がした。本当はすぐにでも会いたかったけど、僕はいつまでも待っていられる。たとえどちらかが先に死んでしまっても、僕は君に会いに行っていたはずだ。会えなければ会えないほど想いは強くなっていくばかりでとどまることを知らないから。


あの子は時計を見て椅子から立ち上がる。それに続いて君は一度僕の方を見て立ち上がった。二人は荷物を持って、帰る準備をしているようだ。僕が君の服の裾をつかむと、君はあの子の家に泊まりに行くらしい。
「明日は来れないんだ。また来週来るよ」
午後六時三十二分と数秒。君はそれだけ言い残してあの子と一緒に僕の元を去った。
明日は日曜日。いつもなら二人で過ごしているはずの時間だ。それを君はあの子と一緒に過ごすみたいだ。二人で何をするつもりなんだろう。
一人、三人、五人――奇数は嫌いだ。誰かと誰かが二人で一緒になれる代わりに一人がいつも余る。残った一人は余っていて可哀想だからと二人の中に入れてもらう。中心にいる一人は好きな一人だけにしか一度に注意を注げない。二人の話を同時に聞いて話せるなんて昔の偉い人のようなことは今の時代じゃもう誰も出来ないと思う。三人の中の一人はいつの間にか「初めから二人だったかのように」その中から消えてしまう。その一人は運よく新しい一人を見つけるかもしれない。そうして三人は二人になって、一人と一人がまた二人になる。
僕の場合はきっと違う。新しい一人なんて、決して見つけられはしない。僕には君しかいない。君が他の誰かと一人になるのなら、僕は一人をやめて零になってやる。あの子ともう一人が二人になったら君も一人になって、僕と二人になればいい。もう奇数は消えて誰も辛い思いをしなくて済むんだ――


僕は一人で窓から二人が見えなくなってもいつまでもその姿を見ていた。君は一度も振り返ることもなくどこかに行ってしまった。
僕の頬を何か温かいものが伝う。窓の下をそれはぽつぽつと雨が降ったように濡らしていた。鼻も痛いし唇が震えて歯がガタガタと音を立てる。僕は君がどこかに行ってしまったから泣いているんだ。
君と会えないのはたったの一週間。僕が君を想い続けていた九年と比べてもはるかに短いのに、それが千年、一万年のように長い時間のように思えてくる。寂しくて悔しくて僕は潰れて死んでしまいそうだ。それでも僕は君と会えることを信じてずっと待ち続けるんだ。


夜、僕はこっそり病室を抜け出して中庭に出た。ここにはよくCCMを触っている人がいる。
病院の中ではCCMのように電波を出すものが使えない。だから君を驚かせようと思っているのに、ジャッジを動かす練習すら出来ない。
電話をするのに公衆電話を使っている人もいるけれど、僕にはお金がなかった。だから僕は君にメールを送ってみようと思った。僕のCCMの電話帳に一つだけ登録してある名前、それが君だ。
前のCCMはアルテミスでどこかに行ってしまったから君が新しいものを持ってきてくれた。前と同じ灰色の中にオレンジのボタンに、新しくついているのはお揃いの黄色のストラップだ。
電源を入れると、Welcomeの文字が現れる。メニューと書いてあるボタンを押すと、アイコンがいくつも出てきた。その中からメールを選び、新規メールを作成する。メールなんて今まで一度も打ったことはなくて、僕のメールアドレスは初期状態のランダムな英数字のままだった。これじゃいくら頭のいい君でも覚えられないから僕が元気になったら新しく変えようと思う。
タイトルはそのままで、僕は下ボタンを押して本文に取りかかった。僕が君に初めて送る、自分の気持ちをメールの文字に込める。「会いたい」と。
一番上に戻ってあて先を選ぶ。他に誰も載っていないので、一番上に君の名前が出てくる。君の名前を選んで決定ボタンを押して送信した。「送信完了」と画面に出たので僕はCCMの電源を切ってまた病室に戻った。


◇◆◇◆◇◆


次の日曜日の朝。君は来てくれないけれど、僕はいつ君が来ても大丈夫なように早起きして君の写真に挨拶する。それから朝食を食べて、いつものように窓の外を眺める。今日は天気も良くて気温もちょうどいい。二時間くらい外を眺めてから、僕は夕食の時間まで布団に入ろうと思った。
僕の部屋のドアがノックされる。看護士の人が僕の様子を見に来たんだと思った。僕はしぶしぶとベッドから起き上がり、覗き穴から外を見る。
「!」
覗き穴から見えたのは君の姿と、後ろに何人か人がいる。昨日見たあの子の赤いスニーカーと何足かの靴と下駄が見える。
「大勢で来てすまない。本当は来週渡すつもりだったんだが……」
僕はドアを開けて君とその後ろにいる人たちを部屋に入れた。まず、君とあの子が入ってくる。それに続いて同い年くらいの髪の短い女の子と不良っぽい格好の男の子、下駄を鳴らす背の高い僕よりたぶん年上の人が入って来た。その後ろにリボンで髪を二つにくくった女の子とオレンジ色の服を着た体の大きな男の子が入って来て、ドアを閉める。自分を入れてこの部屋には全部で八人いる。八人もいるから部屋が狭く思えるくらいだ。
君は袋から何かを出して僕に渡す。色とりどりの紙で作ったたくさんの鳥と四角い紙だった。紙には字が書いてある。クセの強い字に大きくて枠からはみ出た字に丸くて読みにくい字……隅の方にひっそりとある綺麗な字は一目で君のだとわかった。
「君のことが心配で昨日急い……」
言葉の途中で君は僕の座っているベッドの上に倒れてくる。それを何人かが後ろから支えている。君は目を閉じていて寝息を立てているようだった。僕は前から君の体を支えて膝の上に寝かせた。
「少し前からジンの提案で千羽鶴を折っていたんだ」
あの子が僕に言った。他の人たちが言うには、あの子の家に皆で集まって泊りがけで僕のために千羽鶴を折っていたらしい。本当は来週に渡すつもりだったけれど、僕のメールを見た君は心配して一人で徹夜して千羽鶴を完成させていたという。
「ジンってば俺たちが寝てる間に一人でほぼ全部終わらせてたんだよ。それだけ大切に思われて羨ましいな」
僕は膝の上でぐっすりと眠っている君の髪を撫でてあげた。天使の輪を浮かべる黒い髪は今日も綺麗に梳かされていて、僕の指が引っかかることなく通り抜ける。
君と僕以外の六人はお別れを言って帰っていった。部屋に残ったのは君と僕の二人きり。僕はそれが嬉しくてたまらない。また君が僕の元に戻ってきてくれた、ただそれだけで。僕の想いが届いたから君は来てくれたんだって思った。徹夜して疲れているみたいだから今日はずっと僕の所で休んでいって欲しいな……



後日、中庭でCCMを開く。君は僕のメールを読んでくれたみたいだけれど返信は来ていなかった。僕は君に送ったメールを送信メールと書かれたアイコンを選んで見てみる。
本文には「会いたい」ではなく、「いたい」とだけひらがなで書かれていた。僕が文を打ち間違えたみたいだ。それを君は「痛い」だと思って心配して来てくれたんだと思う。僕の「いたい」は「痛い」じゃなくて「居たい」ってことだ。確かに僕は三人でいたとき心に痛みを感じたけれど、今はもうどこも痛くない。「居たい」って願いも叶ったんだから。

僕はまた一週間、君がここに来てくれるのを待っている――

2012/02/19

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