今から九年前―― トキオブリッジ倒壊による死者・行方不明者数百名、重軽傷者多数。倒壊事故により肉親を失った、数え切れない孤児達。その数が事故の悲惨さを物語る。 ある者は病院や施設に預けられ、またある者は里親に引き取られ、新たな生活を送ることとなる。 舞台はトキオブリッジ近隣のとある大病院。絶大な権力を誇る政治家であり、またの名を日本の黒幕――と呼ばれる男、海道義光の傘下である病院の一つだ。その中の一室で事は起きた。 「いけません、まだ安静にしてないと……」 「だいじょうぶだよ! ぼくはもう元気だもん!」 病室のベッドから抜け出した所を、傍にいた看護師に取り押さえられる四歳程の幼い少年。 父親から受け継いだ漆黒の髪とそれを控えめに彩る銀灰色、その下に覗くは母親譲りの真紅の瞳。小さくも愛らしい鼻と唇がちょこんと乗った白皙の顔と、健康的な薔薇色の頬。 ――少年の名を海道ジンという。トキオブリッジの倒壊事故で両親を失った孤児の一人。マスコミに囲まれ、写真を撮られている所を偶然通りかかった海道義光の孫として引き取られ、養育されることとなった。引き取られてすぐに改姓されたので、本名は一般には知られていない。現在それを知る者は彼と祖父、養育係の老人が一人。 「面会の時間まで大人しくお待ち下さい」 看護師の言葉にジンは頬を膨らませる。 面会の時間まで、まだ六時間はある。彼にとって退屈な病室で唯一の楽しみは祖父との面会の時間だ。 今いるのは、両親がいた頃に住んでいた家から遠く離れた知らない土地の病院で、入院してから流れた期間は僅か三週間。未だに、一緒に遊べるような年の近い友達と呼べる存在はいない。実際、年の近い者は複数いるのだが、そのほとんどが肉体に傷を負い、それ以上に心に深い傷を負っている。とてもじゃないが、無邪気に遊ぶなど考えられることではない。 彼の場合同じように心に傷は負っているが、施設に引き取られた子供達とは違い、ある程度の自由な生活は許されている。その上、両親が命がけで助けてくれたために無傷である。事故のショックから少し落ち着いたのか、事あるごとに病室を抜け出しては看護師達に連れ戻されているのだ。 「あと二、三日で退院出来ると思いますよ。この子も海道先生に引き取られるんでしょう?」 「ええ」 同じ病室のカーテン一枚隔てた所から、医者と知らない男の声が聞こえる。ここには右肩に傷を負った自分と同い年くらいの少年がいる。自分と同じく祖父に引き取られると知り、容態もほとんど回復した少年の元へ遊びに行こうと、ジンは周りに誰もいないことを確認してからぴょん、とベッドから飛び降りた。 カーテンを開けてそっと中に入る。少年はベッドにぼんやりと座ったまま、一点をじっと見詰めている。 「こんにちは」 大人以外の初めての来客に驚いたのか、少年は口を開け、ぱちぱちと何度も瞬きをする。しばらく新しい訪問者の顔を眺め、重い口を開いた。 「……こんにちは」 少年の声色は小さく、耳を澄まさなければ聞こえない程かすかなものだったが、ちゃんと挨拶を返してくれた。それだけでジンは頬笑みを浮かべた。 「君もおじいさまのかぞくになるの? じゃあ、ぼくと同じだね」 返事は来ない。それどころか、少年はジンのいる方向から目を逸らして俯いた。 表情を見せないように長く伸ばされた濃紫色の前髪と、昼空の月を思わせる蒼白の肌。髪で隠れていない方の瞳は闇のように黒い。 「かぞくじゃないよ。ぼくは先生のやくに立つとくべつなプログラムを受けるんだ」 特別なプログラム、それが何を意味するのかはわからないが、ジンにとってはその訓練が何か凄いもののように思えた。 「いいなー。ぼくはおじいさまにLBXのエリートプレイヤーにしてもらうんだよ! 今はかみやじゅうこうってところにぼくのLBXを作ってもらってるの」 神谷重工。国内のトップクラスの重工業社で、ブームが起こる前から玩具としてではなく兵器としてLBXも製造している。LBXの発明後、製造法が世に公開されるより前から秘密裏にそれは行われていたのだ。 「ぼくも作ってもらってるんだ。ジャッジってLBX」 ジンは今自分のために作られているLBXの名前をまだ知らない。知っているのはエリートプレイヤーになるという使命と、そのために自分専用のLBXが今作られているという事だけだ。 「ねえ、いっしょに見に行かない? ぼくここから行けるひみつのぬけみちを知ってるんだ」 「いいよ」 「やったあ!」 二人は見回りをする看護師や時々通りかかる医者に見つからないよう、万全の注意を払って自分達のいる病室、さらには病院までをも抜け出したのだった―― ◇◆◇◆◇◆ 閑散とした病院の外を二人の小さな足音が響く。 太陽は頭の真上。入院してから初めて浴びる陽の光に少年は少しふらふらする。 一人なら平気なのだが、今日病室を抜け出すのは二人。少年の事を思い、木陰を通って大通りに出た。 「この時間はね、いつもかみやじゅうこうのトラックがここでにもつを入れてるんだよ」 身長の何倍もある大きなトラックのコンテナに荷物が詰め込まれているところだった。荷物の陰に隠れ、気付かれないようにこっそりとトラックの中に忍び込む。暗くて狭いトラックの中は両親を亡くした海の中のようで、少し怖くなる。それを心配した少年は震えるジンの手を優しく握った。 道路を走るトラックはガタガタと大きく揺れている。中に人がいることを知らない運転手は、乱暴にハンドルを回した。途端、荷物はこちらに降ってくる。押しつぶされないように近くにあった、大きく子供二人程度なら入れそうな箱の中に隠れた。箱の中は狭く、少しの身動きすら許されない。しかし、こちらにどんどんぶつかってくる荷物の下敷きになるよりは何倍もマシだった。 トラックの激しい動きにも大分慣れてきた。今、自分達はどの辺りにいるのだろうか。このトラックは本当に神谷重工に向かっていくのだろうか……と、様々な不安がよぎる。 運転手が急ブレーキを踏んだ。その拍子に荷物が自分達の隠れている箱の上に降ってくる。幸い手前の方にいるのでそれ程被害を受けず大丈夫だと思われるが、密室の中で反響する衝撃音だけを聞くと恐ろしい。 「だいじょうぶ? えっと……」 まだ、二人はお互いの名前を知らなかった。二人は名前を名乗る事すら忘れる程に、打ち解けているようだった。 「ぼくは海道ジンっていうんだ」 「ぼくは灰原ユウヤ。……海道? じゃあ、先生のまごってきみのことなんだ」 「ねえ、ユウヤって呼んでいい? ぼくのことはジンでいいよ」 トラックは二人の出会いを祝福するかのように、今は穏やかに揺れていた。もうすぐ目的地に到着するのだろうか。 トラックは止まり、明るい光が差し込んでくる。暗いトラックの中から急に明るい場所に放り出され、目が慣れるまでには時間がかかった。ジンは小声で言った。 「着いたみたいだね」 箱の隙間から外の様子を伺う。隙間からはヒゲ面の男の顔が見えた。 「おいおい……テープ貼り忘れてるぞ。コウスケ様に差し上げる物が入ってるんだ、何とかしてくれ」 二人で覗いた隙間はガムテープでぴっしりと閉じられ、箱が男によって持ち上げられた。 「出られなくなっちゃったよ? ぼくたちどこに行くのかなあ……」 「わかんない……」 隙を見てはこの中から抜け出ようとしたのだが、二人の計画は失敗した。しかも、二人が入っている箱はどこかに運ばれてゆく。その箱の行方は―― ◇◆◇◆◇◆ 「コウスケ様、お届け物です」 男の声が聞こえる。箱は床に置かれ、長時間揺られていたが、二人は疲れの色などを一切見せなかった。 扉を閉め、男は去った。 「このボクに献上品か……美しい」 さっきの男の低い声とは違い、今度は若い男の声が聞こえた。大人びた口調とは裏腹に幼さを残す、独特の声音を奏でる人物。彼は期待に胸を膨らませながら箱を開けた。 「開いたね!」 「開いた」 箱の中から顔を出す二つの丸い頭。一つは黒の中に少し見える銀灰色、もう一つは濃紫色。二つの頭は部屋の蛍光灯の下で光の輪を映し出した。 やっと外に出られた、と喜ぶ二人は勢いよく箱の中から顔を出した。 「な……何だ!?」 彼は驚きのあまり腰を抜かした。 「「ここどこ?」」 まるで双子のように声を揃え、顔を見合わせながら二人は言った。捨て犬のように顔と両手を出す二人の幼い子供達。それがいきなり箱の中から飛び出すものだから、彼の驚きも相当なものだった。 「一体どういうことだ……ダディ!」 下を見ると、小さな子供達がこちらを見上げている。視線を向けると一人はにこっと笑い、もう一人は視線を逸らした。 「お兄ちゃんだあれ?」 そのうちの一人が彼に向かって言った。 「ボクのことか? ボクは神に愛されている男、神谷コウスケだ」 二人より少し年上――おそらく七、八歳くらいの少年は言った。清らかで美しい金髪を頭の上で一つに結わえ、紅赤色と菫色の二つの色を宿す、神秘的なオッドアイ。見る者の心を惹きつけてやまない艶やかな佇まいは、黙っていればまるで地に舞い降りた天使のようだ。 「もしもしダディ? え? 勉強はしているよ。ボクはもうすぐLBX工学を学びに留学するんだからね……そうだ、荷物に変なものがまぎれていたんだ……これは一体どういうことだい?」 コウスケは電話口で何か言うごとに、いちいち髪を掻き上げたりと、本人は自分の電話姿でさえも美しく見せているつもりなのだが、見ている側にはよくわからない動作をする。二人は宙をふわふわと舞う髪を、顔全体を動かし追いかける。 「あ、ちょっとダディ!? だから荷物が……」 どうやら、話の途中で電話が切れたようだ。コウスケの髪はだらりと力を失い、重力に従って垂れ下がった。 「全く……キミたちのせいで愛しのダディからの電話が切れちゃったじゃないか!」 怒るコウスケの姿に二人は首を傾げる。二人は何が起きたのか全くわかっていない。そもそも電話が切れたのは他に理由があるのだ。 「つまんないから他のところに行こうよ!」 「うん」 そんな事はお構いなしに二人は部屋の外に出ようとする。ドアノブに手をかけると、着ていた後ろの襟首をつかまれた。 「キミたち、このボクを誰だと思っているんだ? ボクは神谷重工会長の一人息子なんだぞ? それをつまらないと言うとは礼儀がなっていない」 神谷重工、の言葉に二人は振り返る。振り返った先にはコウスケが柳眉をひそめながらこちらを見ている。 「ぼくは海道ジン。この子はともだちの灰原ユウヤっていうの」 コウスケは急に手を離し、目と口を大きく開く。そして、しばらく百面相をした。 「海道センセの、孫……」 ただの迷子の子供だと思っていた者達は、自分の敬愛する父の上司である海道義光の孫とその友人であった。そのステータスは自分と比べても雲泥の差。コウスケはすぐさま高慢な態度を改め、二人に跪くように首を垂れた。 「ぼくたちはおじいさまとちがってそんなにえらい人じゃないよ。LBXを見にきたの」 周りの大人達の自分に対する異様な程の敬意はともかく、年の大して変わらない子供からの敬意を払われるなど、うんざりする。敬語も変な礼もいらない、友達として対等に扱ってほしいという意味を込めて言った。 「ならば、特別にボクが案内しよう。ダディには叱られるから内緒だぞ」 「わあい!」 病院着のままはしゃぐ二人の姿を、コウスケが追いかける。その様子は兄弟のようにも見えた。 「こら、そこは……」 自動ドアが人の姿を感知し、開いた。ドタバタと普通ならしないような足音に、社員達は一斉にドアの方向を見る。そこにいたのは保護者のように道を塞ぐコウスケの姿と見知らぬ子供が二人。警備ポットも警備員も全く反応しなかった。一体どんな手段でネズミ一匹立ち入れないような、セキュリティの厳しいこの建物に立ち入ることが出来たのだろう。 「ボクの客人だ。ダディには内緒だぞ!」 それだけ言って、コウスケは二人をLBXの製造場所に誘導しようとする。しかし、ちょこまかと動き回る好奇心旺盛な二人に全く手が付けられない。 「LBXどこかなあ」 「こっちじゃない?」 二人はどんどん奥へ進んでいく。自分でも広すぎて道に迷うこともある程だ。一旦はぐれてしまえば、合流するのは難しいだろう。なんとか自分から二人を離さないよう、コウスケは策をめぐらせた。 「二人とも、ストップだ」 コウスケは立ち止まった二人に歩み寄る。片手ずつ手を繋ぎ、LBXの製造室まで向かった。 「わーすごーい……」 「いっぱいだね……」 ベルトコンベアーを流れるLBXの部品と完成品。完成品の多くはずんぐりとしたモノアイのLBX。 中央のテーブルの上には異形を放つ二つのLBXがほぼ完成に近い状態で置いてある。どちらも王者のように威厳を称え、最後の仕上げを待っていた。 「左はジャッジ、右はジ・エンペラーと言うそうだ」 「ジャッジ……ぼくのLBXだ……」 ユウヤが製造場所のガラスにぺったりと手を付け、顔を覗かせる。続いて同じようにジンもテーブルの上のものを見詰める。機械が上から現れ、二体を覆い隠す。二、三秒何かをした後はその下から完成した二つの機体が姿を現した。 「そうだ。コウスケお兄ちゃんのLBXは?」 コウスケはポケットに手を入れると、自分のLBXを二人に見せた。角を頭から生やし、胴体から少し離れた所に浮いている透き通った紫色の羽が美しい、名は決して「天使」を表す事のないLBX。コウスケ本人はそれを知っているのか否か…… 「ボクのLBX、ルシファーだ。美しいだろう」 二人はいずれ自分のものになるLBXから目を離さず、当然コウスケの話も聞いていなかった。 機械は二体をどこかに持ち去り、二人の目の前から消えてしまった。それでも、二人の顔から笑顔だけは残っていた。 時計を見ると祖父との面会の時間は刻々と迫ってきている。ジンはコウスケにその事を伝えると、コウスケは運転手を手配してくれた。 車の中、病院までの長い道のりで二人は言う。 「とくべつなプログラム、ユウヤならごうかくできるよ!」 「うん。ジンくんもエリートプレイヤーにぜったいなってね!」 行きと違い、道路は車も比較的少なく穏やかだ。窓から見えるのは、トラックの中では見る事の出来なかった広い広い道。 「じゃあ、ぼくたちがゆめを叶えたらいっしょにバトルしよう! やくそくだよ」 運転席からは見えない後部座席で二人は指切りをした。 それから九年後の未来、数々の大会で優勝を収め一流のLBXプレイヤーとなった海道ジンと、特別なプログラム――二人が想像していたものとは真逆の非道な人体改造により強化人間となった灰原ユウヤは、LBX世界大会アルテミスで運命の再会を果たすこととなる。 二人がそれを知るのは、もう少し先の話―― 2011/10/30作成 2012/04/02修正 ← 目次 → TOP |