神威島で起きたもう一つの事件、ディ・エゼルディが暴走するという悪夢は学園に残る英雄達の手によって終わりを迎えた。
港から本土へと向かう、少女二人を乗せた定期連絡船。これはその中で交わされた会話とその裏側を明かすものである。


――最初は純粋な好奇心だった。彼の授業に興味を持ったことで仲良くなり、彼が示した理想の世界に共感した。敬愛は愛慕から崇拝へと変わり、それが彼女を狂気へと走らせた。

約一年前、代理戦争を行っていた神威大門統合学園に現れたセレディ・クライスラーは世界のあるべき姿を説いた。
背伸びしても黒板の一番上まで届かないような小柄さながら、まるで演説のような授業内容に一部の生徒は深く感銘を受けた。
事件の首謀者であるナタリヤ・コヴァルスキもその一人だった。彼女は特に家が貧しいわけではなく普通の生活を送っていたが、LBXで代理戦争をすることで世界平和を保つという世界の在り方に少しばかり疑問を持っていた。

授業後、クラスメイトがセレディのいる教卓を囲みながら口々に年齢や好物、恋人の有無など下らない質問をする中でナタリヤは一つのことを考えていた。
周りは質問のネタが尽きたらしく、自分の番が回ってきたかと思えば時刻は次の授業開始五分前だ。何ともタイミングが悪い。
せめてウォータイム終了後の放課後にでも質問できればと廊下を追いかける。無事質問の約束を取り付けたので、そのお礼に家庭科で作ったクッキーを持っていくことにした。

「失礼します」
社会科準備室には初めて入る。他の教師は放課後も職員室か寮にいることが多く、物置き同然となっている。壁には歴史上の人物の肖像画が飾られ、地球儀や世界地図、大昔の道具のレプリカなどがあった。
「狭いですがどうぞ、座って下さい」
全体的に茶色い部屋で見るセレディの青い髪は鮮やかで、一輪の花のようにも見えた。
散らかった室内の奥にある革張りのソファまで案内され、コーヒーが出される。古いカップだったが大切に扱われているらしく、よく磨かれていた。
「気軽に何でも聞いて下さいね」
向けられた笑顔に緊張も解け、ナタリヤはゆっくりと口を開いた。


「私の力になりたい……ですか」
「はい。私でも何かできることがあれば嬉しいです」
「今は普通に勉強やウォータイムを頑張れば道は見えてきます。君までこちら側に来ることはありません」
セレディは角砂糖の数を増やし、苦く忘れられない過去を振り返る。
話の中では自分の経験を軍人だった祖父のものとし、テロリストである事実を隠したうえで作り物の過去を語った。
世界を変えるために戦っていた祖父は戦争に全てを奪われ、絶望のまま無念の死を遂げた。残された彼は自分にできることを探し、飛び級を繰り返し教師になり、祖父の考えを伝えたかったそうだ。
彼女自身もウォータイムで何人かをロストに追いやったことがあるし、これからもそれは続く。もしかしたら親友や自分も戦いの中でロストするかもしれない。これが現実の戦争だと考えるとぞっとした。彼の言う「こちら側」には正直なところ、行きたくなかった。
「……と、重い話はここまでにしましょうか。私はウォータイム以降はここにいますので」
「ありがとうございました。それから、渡したいものが」
クッキーを渡すつもりが、話に聞き入りすぎて完全に忘れていた。セレディがドアの前で立ち止まったので渡そうと駆け寄るが、足元に土器のレプリカが転がってきてバランスを崩してしまう。
「おっと危ない、綺麗なお顔に傷がついたら大変です」
転ばずに済んだものの、抱き締められるような体勢になっている。体と体の間にクッキーが挟まり、嫌な音を立てた。
「すみません、クッキーが……」
「構いませんよ。割れても味は変わりません」


◇◆◇◆◇◆


その夜、ナタリヤはベッドに入って今日のことを思い出していた。
周りにいる同年代の異性は実年齢より子供っぽいと思っている。
そんな中で出会った彼の存在は異質なものだった。今まで接してきた子供にも大人にも当てはまらない、そこが奇妙でもあり魅力的だった。
親友よりも小柄であり、男にしては色白で髪も長く、大きい目と長いまつ毛に小さい手、高く可愛らしい声は中性的でむしろ、自分の方が男っぽいと思った。大人っぽいけれどもあまり男性的ではない彼に、事故とはいえ抱きとめられた感触は温かく優しかった。ずいぶんと小柄なのに結構な力をしていたことに驚きもしたが、軍人の家系ならば鍛えているのだろうと納得した。
しかし、妙に大人びて見えたのも悲しい過去があるからだと、疑うことはなかった。
考えれば考えるほど、彼の優美さとどこか人間離れした無機質な美しさに惹かれていった。

翌日も、そのまた翌日も毎日のようにナタリヤは社会科準備室に通った。
それがバンデットや謎のLBXの襲撃に緊迫する中の一つの癒しであり、日課となっていた。
授業、LBX、世界情勢の他にプレイベートなことも何でも話し、休日には遊びにいく仲にもなった。
入浴を済ませて親友のマヤと談話室に行くと、こんな会話が耳に入った。
「昨日部屋に女連れ込もうとしたのがバレてめちゃくちゃ怒られてさー」
「でも個室だろ? バレなきゃヤリ放題じゃ……っと、女子だ。やめやめ」

寝床に入ってからもずっと何かを考えていた。
教師と生徒の関係とはいえ、年の近い男女が密室にいていいものか。手が触れることや頭を撫でられることなど、接触はゼロではない。
まず第一に教師が生徒に手を出したことが公になれば即首が飛ぶ。そもそもそうしないのは自分が一方的に好意を持っているだけであって、相手にとってはただの教え子の一人でしかないのだ。
若い教師や教育実習生に群がる女子生徒の中には先生と付き合いたい、などと言う者もよくいる。冗談であることも多く、その後どちらも忘れてしまうのがほとんどだ。そして関係も壊れることはない。
(明日、言うだけ言ってみよう)


社会科準備室での密会は続いた。
古い紙や木のにおいに混じり、コーヒーの香りがする部屋の中でナタリヤは静かに座っていた。入ったのはいいものの、どう切り出せばいいのかわからなかったのだ。
黙っている間にもセレディのカップに入れられる角砂糖の数は増え、ついには溶けきれず氷のように浮かび始める。それをスプーンですくって口へと運ぶ。
最初は驚いたけれども、もう慣れた。
少しだけミルクを入れたコーヒーで一息つき、口を開こうとしたところでセレディが先に尋ねた。
「今日はどういったご用で?」
「……好きでいてもいいですか」
好きです、とは言えなかった。はっきり思いを伝え、返事を待つことは許されないような気がした。
「それは、どういうことでしょう」
「先生を傍で支える人になりたいんです。私も一緒に戦って、あなたの理想の世界を作りたい……」
彼女の肩は震えていた。直接惨状を目にしたわけではないが、世界を変えるためには犠牲が必要なことも、自身や周りの人間が血を流すことも覚悟の上だ。
彼は肯定も否定もせず、不安を取り除くように彼女を強く抱きしめた。
(先生は、ずるい……)
たとえ許されなくても、危険なことだとわかっていても止められなかった。注がれる愛情も歪なものだと知りながらどんどん溺れていった。

それを機に、二人の関係は大きく変わった。
授業のある日は真面目に質問することも忘れず、それでいて恋人のように触れ合うことが多くなった。部屋の中だけではあったが、頭を撫でられ、肩を寄せ合い、手を繋ぐ仲まで進展した。
今までは静かな場所で話せるだけでよかった。思いを告げてからはそれだけでは足りない。それ以上の関係を求められれば全てを差し出してもいいと思った。
「いつも頑張る君にご褒美です」
駄菓子屋で買った大粒の飴玉が袋に入っている。ソーダ味のものを渡され、少しの間を置いて口に入れた。
「おや、炭酸は苦手でしたか……いや」
赤い瞳に映る彼女は親友にも誰にも見せたことのないような顔をしていた。
(今は甘い飴だけ与えて機嫌をとればいい。この女はそこそこ利用価値がある)
そのとき男が何を考えていたかなど、知るはずがなかった。

「もう少しこちらに来たらどうです」
「はい」
彼女は足を踏み外した。もはや体は言うことをきかず、言われるまま本能に従った。
肩に手を回されたと思えばそのまま頭を撫でられ、慣れないことに緊張して何をすればいいのかわからなかった。肩には力が入っていた。
おそらく女慣れしている彼にとっては何ともないことだろう。この先待っていることを考えれば、期待に高まる体温も速くなる鼓動も伝わらない方がおかしかった。
「今日はこれくらいにしておきましょうか」
少し怖くなったのか、彼女は無意識にスカートを握っていた。
生殺しのまま終わるのは嫌だ。幸せな明日は来ないかもしれないと、不安で鼻の奥が痛くなり首を振る。もう、どうなってもいいと思った。
「…………」
無言のまま見つめあい、先ほど以上に恥ずかしくなって目をそらす。小さく白い手が短い髪に触れ、握った手を解くように指が絡み、額がくっつく。
後戻りはできないと反射的に目を閉じ、息を止める。離さないように指に力が入ると、喉が思い切り音を立ててしまい、ますます恥ずかしくなる。薄目で見てみようと思ったが、もはやそれどこではなくなったのでやめた。
(こんな所で何やってるんだろう……)
少しの罪悪感はあったが、今の状況のことを考えるとすぐに忘れてしまった。
窓の外からは生徒達の楽しそうな声が聞こえていた。
「失礼しまーす……あっ、いたいた!」
「マヤ!?」
唇があと数ミリで触れそうなところで離れ、ノックの音にセレディが返事を返す。そのまま何事もなかったかのように席を離れ、少し助かったような気もした。


その帰り、マヤがこんなことを尋ねてきた。
「最近綺麗になったね。好きな人でもできた?」
「まさか」
親友には言えなかった。この話題はここで終わり、二人の興味は他へと移る。
後ろの方から聞こえてきた黄色い声に振り返ると、学園の有名人の姿があった。
「星原ヒカルか……すごい競争率だな」
「だよね……顔もかっこいいしアルテミスで優勝したなんてすごすぎるよ」
しばらくして社会科準備室のドアが開き、セレディが出てくる。ヒカルを囲んでいた女子生徒達は一斉に場所を移動した。反応がある相手の方がいいのだろうか。
「セレディ先生もすごい人気だよね。大人みたいに頭がいいのに昨日何もない所で転んでたし、普段は私たちと変わらないのかな」
「そうかもな。今日もありえないくらいコーヒーにミルクと角砂糖入れててさ、茶色くなって浮いてるのをバリバリ食べて……」
マヤがニヤニヤしていたのでナタリヤは途中で話すのをやめた。ここでボロを出してはいけないと思ったからだ。
「職員室じゃブラックで飲んでたよね。素を見せるってことは……ふーん、そういう関係だったのか! 大丈夫、誰にも言わないよ」
「別に変な関係じゃない。質問にも答えてくれるし面白いから話してる、それだけだ」
「でも絶対脈あるって! つきあってみるのも面白いかもよ」
一瞬見抜かれたのかと思い、背中を嫌な汗が伝った。浮かれるマヤの言葉を否定し、嘘をついた罪悪感に部屋に戻るまで口を閉ざしていた。彼との関係はそれが最後だった。

しばらく公民の授業はなく、いつもの部屋を訪れても誰もいないか別の教師がいるだけだった。
会いたいと電話やメールをしてみたが届くことはなく、悪い噂を聞いた。
今までの優しさは全て演技だったとわかった。失望というよりも絶望だった。
二人きりで触れ合うときは好きだとも愛しているとも言われなかった。大人の真似事などまだ早かった。捨てられても嫌いになれなかった。何でもいいから力になりたかった。
温もりを思いだせば涙があふれ、何も知らなかった頃よりずっと苦しくなった。
本性を現した男は彼女を見ていなかった。テロリストから世界を守るためには戦わなければならないと、恋心を捨てた。
「あんなの、誰が行くのよ。バカみたい」
マヤがエゼルダームの同士を募る放送を聞いて小声で呟いた。行ったところで元の関係に戻れる保証もない。あの男の仲間になれば命を落とし、親友を手にかける可能性だってある。
「ああ、バカだよ……救いようのないくらいにな」
その言葉は誰に言うわけでもなく、彼女自身に言い聞かせていた。怒りの色を含んだ低い声は、悲しく哀しいものだった。


◇◆◇◆◇◆


エゼルダーム司令室。セレディは部下の生徒達と協力者が現れるのを待っていた。
ドアが開き、入ってきたのはジェノックから一人だ。
「結局あの女、来ませんでしたね」
「私の本性を知って怖気ついたんだろう。使えない駒など必要ない……と、風陣カイト君か。歓迎するよ」
彼はセレディの渡した制服には着替えなかった。あえて紺色の制服のまま戦わせるのも面白いと、ジェノックの生徒達が絶望する様子を想像していた。
「ところであの雌犬とはどこまで……?」
ウォータイムまでは時間がある。嫉妬心剥き出しの様子でシャーロットが問いかけた。
「何も。夢見る女に合わせるのは疲れた」


そのときはエゼルダームことワールドセイバーと戦うことや、世界連合の結成にも納得していた。ナタリヤが考えを改めたのは戦いに敗れ毒ガスを食らう直前と、あまりにも遅すぎた。死の間際に世界を呪い、自分の選択を後悔した。
誰もが憑りつかれたように世界のため平和のためなんて青臭い理想論を振りかざしたが、本心では自分が可愛くて仕方ないのだ。
犠牲なしに世界を変えることはできない。どうせ死ぬのなら彼の元で戦って死にたかった。
「こんな世界、クソ喰らえだ!」
遺言のように叫び、彼女は意識を失った。

それから数日後、先に目を覚ましたマヤが新聞を持ってきた。毒ガスだと思っていたものは何者かによって催眠ガスに変えられていたらしく、「生徒」は誰も死ななかった。
新聞の一面に神威島事件のことが書いてあった。多くの生徒が眠っている間に瀬名アラタや星原ヒカルなどが活躍し、セレディの操るディ・エゼルディを倒したそうだ。
島の英雄を称えるジェノック・ハーネスの集合写真が貼られ、その隣には警察に連行される老人の様子が写っている。記事を読み進めていくとその老人こそがセレディの本来の姿だとわかり、若い体を作ったオプティマのことも書かれていた。彼が老人であれ、犯罪者であれ、どんな判決を受けようとも失望しなかった。
(何も知らないくせに……)
新聞は捨てた。
彼女のセレディに対する思いは恋心を通り越して崇拝の域に達しており、今からでも何か力になれないかと考えていた。

あれから約一年、ほとぼりも冷めてきたある日、彼の半身と出会った。
運命が引き合わせたかのようにマヤがLBX塚からエゼルダームの使っていたコアパーツを持ち出し、それを追ってディ・エゼルディが部屋を荒らし回っていたのだ。
神は長い眠りから目覚めた。今こそ反旗を翻すときだと思った。
心臓を持ち去り、親友だったマヤが神をこの世に呼び戻した。ロストしたあの女になど、最後の最後まで戦っていた彼女の思いなどわかるはずがない。あれ以外心の奥底にあったもやもやの謎が解けたことで怒りが込み上げ、だが、これを機に世界を取り返せるのではないかと思った。
「あれはセレディ閣下の大切なものだ……『カエセ』」
生き残った彼女に与えられた使命は神とその愛機を蘇らせることだ。そして、理想世界を創るためにはあの体でなければ戦えない。
彼女はその日から狂ってしまった。彼は救世主であり創造者、世界を支配する神だ。
捨てられても裏切られても死んでもいい。そんなこと最初からわかっている。神に逆らう者は誰であろうと殺す。粛清を、死を与えなければならない。
気付いたらナイフを買っていた。親友やその仲間を本気で殺そうとしていた。
事情を知る彼らさえ始末すれば神が蘇り、神が裁いてくれると思っていた。
革命を起こすには多少の犠牲が必要だ。
人は血を見なければ世界を変えられない。腐りきった世界のままでは英雄など生まれない。だから、親友をかばい、立ちはだかった星原ヒカルの行動を理解したくなかった。
仲間など必要ない。彼女も一人ではない。利用され捨てられようとも、漆黒の魂がついている。

――計画は失敗した。
彼女はやはり間違っていた。
ヒカルの怪我は全治二か月、十針縫うことになった。親友は無傷だった。それどころか、彼女を許し、これからもずっと支えてくれるという。
孤独で戦い続けた彼にはそういう人はいたのか。警備員に連れられ港へ向かう途中、かもめ公園にある記念碑の前を通りかかった。
「ナタリヤ、見て。あの人のおかげで私たちは死ななかったんだよ」
学園に残った生徒達がシルバークレジットを出し合い、世界を守るために犠牲になった彼の腹心を悼む話を聞いた。
それに親友の姿が重なり、一歩間違えたら同じことになっていたと気付く。同時に、獣になりかけていたとわかった。
事件は大事にならず、彼女自身も被害者だったということにされた。
(私は神を、敗れた者の魂を穢した。とんでもないことをしてしまった……)
泣きながら公園を通り過ぎる彼女は罪の意識に苛まれ、力なくうなだれるしかなかった。


◇◆◇◆◇◆


「バカみたいな話だろ。救いようのないくらいあたしはバカだった。笑うならいくらでも笑えばいいさ」
「ううん、笑わない。そうだ、私もナタリヤを待つ間、アラタ君みたいに旅に出てみようかな」
ナタリヤも世界を変えたいと思っていた。そんな彼女も手段を間違え、過ちに気付き深く反省した。自身の愚かさと浅はかさに涙が止まらなかった。
こんなに泣いたのはいつ以来か。今にも崩れ落ちてしまいそうな彼女を親友は黙って抱き締めた。立場はすっかり逆転していた。
「こんなクソみたいな世界だけど少しずつ変わればいい、今はそう思ってる。それから、王子様と仲良くな」
「……うん」

その言葉を最後にナタリヤはバスへと消えた。
一方、学園を辞めたマヤはA国へと旅立ち、ある夏の日に湖のほとりでヒカルのよく知る人物と出会うこととなる。

2015/06/05

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