A国とアロハロア島を往復する定期船は穏やかな波に揺られ海の上を行く。多くの乗客の目的は第四回アルテミスが行われた聖地を訪れることだ。
旅の資金目的で参加したバトル大会はあまりにも張り合いがなく、船上でパーティーが始まる頃にはキョウジはすっかり夢の中だった。
研究施設を離れてからは例の悪夢も見ることが少なくなり、最近は快眠が続いている。それが災いしたのか寝過ごしてしまい、着いた所は地図にも載っていないような小島だった。仕方ないので降りたが、他に降りてくる客はいなかった。

桟橋を渡ると白い砂浜があり、細長く伸びた影を見上げれば生い茂る葉の隙間から太陽の光が降り注ぐ。海岸沿いに並ぶヤシの木には実がなっているものもあればないものもある。
ジュースの置かれたテーブルや青と白のビーチパラソルに、さらに進めば城のような大邸宅がそびえ立つ。どこぞの金持ちのプライベートビーチにでも入ってしまったか。
すぐにでも立ち去りたいところだが、次の船は夜まで来ない。
近くに街でもあれば適当に時間を潰せるのだが、他の建物どころか人影すら見えない。おそらく島全体がこの家の敷地なのだろう。
(見つかったら終わりだな……)
キョウジは一年前の神威島事件で顔が割れている。育った環境や年齢を考慮して罪は大人と比べると軽いものだったが、前科持ちということには変わりない。こんな所で下手な騒ぎを起こすわけにはいかない。
何か策はないかと草の陰から透き通った青い海を眺めてみる。だが、どう見ても泳いで近くの島に渡れる距離ではない。
気配なく亡霊のように首を締め背筋を撫でる死の幻想、ようやく自由の身になれたはずなのにあの男の影は消えない。忘れようとすれば余計に忘れられず、考えないようにすればふとしたきっかけで思い出す。血の赤と彼の目が、海の青と彼の髪が、愛機の黒と彼の狂気が混ざり合い、夢や幻覚の形で襲いかかる。
気配を消して息を殺し、このまま夜まで存在を気付かれてはならない。戦場で育ったキョウジなら決して難しいことではないが、時が流れるにつれて姿のない恐怖にじわじわと心を削られていくのはここでも同じだ。


(何だ……?)
それから一時間後のことだ。楽器の音に合わせて弾むように高く愛らしい声が聞こえてくる。聞きなれない言葉はこの地特有のものだろうか。
音を立てないように近付いて覗いてみればハンモックに揺られ、幼い少年がウクレレを弾きながら歌っている。
白地に水色のラインの入った半袖の服と青いハーフパンツに裸足、曲に乗って上下する足に合わせて揺れる逆毛。潮風に吹かれる青い髪は水平線のように美しく整っている。
その姿は、自分を捨てたあの男の後ろ姿とよく似ていた。
道連れにしようと呪い、殺したくてたまらなかったあの憎い男――いや、奴がこんな所にいるはずがない。奴は老人の姿で刑務所にいるはずだ。
(ならば、こいつは誰だ……)
頭ではいけないとわかっていても両足が命令をきこうとしない。呼吸をできるだけ長く止めながら足音を土に吸わせ、流れ出る汗を袖で拭う。実際にはほんの数十秒で近付ける距離だったが、恐ろしく長い時間に思えた。

あと少しで顔が見えるという距離で演奏が止まり、少年がハンモックから飛び降りると砂と水が跳ねる。声を出してしまったことで鳴いていた鳥が逃げだした。
「誰かいるんでしょ? 隠れてないで出ておいでよ!」
目を合わせないように木の後ろで身を隠す。考える間もなく護身用のナイフがあるポケットに手が入り込んでいた。
少年はきっとこちらを見ているのだろう。最悪の場合も考えているし、大人を呼ばれてしまえばおしまいだ。ならばそうなる前に姿を現すしかない。


太陽や咲き誇るハイビスカスにも負けない笑顔には邪気が全く感じられない。
大きく赤いツリ目はそのままだったが、少年は記憶にあるあの男よりも少し幼い姿をしていた。
「んっと……お客さま? わぁ、久しぶりのお客さまだ!」
目が合うと嬉しそうに少年が駆け寄ってくる。しかし、聖域に侵入した罪人が神の裁きを受けるかのように一歩もこの場から動くことができない。
少年はそのままキョウジに近付き、手を引いてどこかに連れていく。だが、人懐っこそうな笑顔を向けられても警戒心は消えない。あの男が笑っているときはいつもロクなことがなかったからだ。
「ねえ、せっかく来てくれたんだから遊ぼうよ! お手伝いさんと遊んでもつまらないんだ」

いずれにしても日が落ちるまですることがない。キョウジは砂浜に腰を下ろして少年の話を聞いてみることにした。
彼が何者なのか、恐れを抱くべき存在なのかは話の中で判断すればいい。
特に話すこともないので聞き役に回る。話の中で彼は由緒正しい軍人の家系の跡取りとして生まれ、飛び級を繰り返して大学に通っていることがわかった。
「今は予備役将校訓練課程ってのを受けてるんだけど、十八才になるまで軍には入れないんだって……つまんないの」
大学に設置された、軍や海兵隊の将校を養成するための教育課程のことだ。
彼の両親は軍にいてほとんど帰ってこず、授業や訓練のない日はいつも一人だ。一日中机に向かっていることもあるが、神童とはいえ遊び盛りなのは同年代の子供と変わらない。
「軍ねえ……それならあんた、強いのかよ」
「ふふ、どうかな。やってみる?」
少年は不敵な笑みを浮かべ、好奇心に満ちて輝く子供の目は訓練を積んだ兵士のそれへと変わる。
一方キョウジは彼と同じくらいの年には既に少年兵として銃を持って戦場を駆けていた。
司令官と呼んでいた男から戦いのイロハを教わり、時には年下の子供達に同じことを教える側となった。LBXはともかく、肉弾戦ならば負ける気はしない。
文武両道に育ち、将来有望な少年の実力を見てみようと脇腹に蹴りを入れる。まずは小手調べだ。
「子ども相手だからって手加減はダメだよ」
そんなつもりはない。では、一年ほど戦場を離れていたせいで体がなまってしまったのか。それともまだ、見えない恐怖が残っているのか。
いや、彼は知っているあの男とは似ても似つかない。体が鋼のように硬く頑丈なわけでもなく、動きもオーバーロードを使うことなく目で追える。何を恐れることがあるか。
「ねえ、そろそろ本気出してよ! でないとやっつけちゃうよ!」
「やだね。本気を出すのもあんたに倒されるのもごめんだ」
連撃を正面から受け止め、反撃の隙をうかがう。少年の攻撃には迷いがなく、本物の戦場に出たことがないとはいえこの年頃にしてはいい動きをしている。
キョウジは口に入った砂を吐き出し、素早く後ろに投げ込んで彼の小さな体を投げ飛ばす。
舞い上がった砂で視界が悪い。速すぎる頭の回転でもたった今起きたことが呑み込めず、体を傷めないように受け身を取るのが精一杯だ。
「ううぅ……悔しい……」
やけに遠く感じる空、水に濡れた髪に触れて初めて砂浜の上に倒れているのがわかった。十近くも年が離れ、体が何回りも大きな学生達にも負けなかったのにあっさりと倒されてしまい、少年は泣きそうな顔で唇を強く噛んでいる。
片手でも簡単に絞まりそうな細い首。それをつかむように触れれば彼は音を立てて息を吸う。同じ顔をした彼をここで殺してしまえばもう二度と奴の呪縛に苦しむことはないのかもしれない。体を前に傾けたせいか護身用の拳銃がポケットから落ちた。
(お前は俺が殺ってやる……)
喉まで出かかった言葉を飲み込み、キョウジはゆっくりと手を離す。この少年が誰であれ、殺してしまえばあの男と同じ所まで堕ちることを意味する。もうLBXでしか戦わないと誓ったあの約束を反故にしてはいけない。
拳銃をしまい、よくやったと少年の頭を撫でてやる。
「強いね、実際の戦場でなら死んでた。君も戦う人?」
「……昔は色々あった。今はこれで戦うことにしている」
研究施設から逃げる際に渡されたグルゼオンの予備機だ。CCMを構え動かそうとするが何故か反応がない。画面にはノイズが走っている。戦場ですら完璧に動かせたというのにどうしたものか。
少年は何十年も昔のロボットで遊ぶように手で持って飛ばすように動かし始める。もう一度動かしてみようかと思ったがそのまま遊ばせておいた。

ヤシの木の影はどんどんこちらに近付いてきている。海には夕日が浮かび、木を見上げると重くなった実がぶら下がっている。
「ちょっとそこで待ってて」
少年は家の方に走っていき、十分ほどで大きなヤシの実を二つ抱えて戻ってくる。おやつにしようと冷やしておいたもののようだ。
二人はハンモックに座り、上の方を切ってストローを刺してココナッツジュースを飲む。想像していたよりかは甘くなく、何とも言えない気分になるが飲めないわけではない。戦場で食べてきたひどい食事に比べれば十分おいしい部類に入る。
喉の渇きは潤された。飲んだらスプーンで果肉を食べるそうだが、そこまでの気力はない。
慣れない食べ物の口直しに飴を口に入れた。
少年は二人分の果肉を平らげたらしく、キョウジが飴を舐める様子をじっと見ているので新しいものを渡す。甘いものが好きなのか喜んで舐め始めた。

鳥や虫の鳴き声、心地よい波音、風に揺られた葉が触れ合う音、自然の奏でるオーケストラは時間を忘れさせる。二人が飴を舐め終えた頃にはすっかり辺りは暗くなっていた。
「すごく綺麗でしょ……おじいちゃんになってもこの海をずっと守り続けたいな」
月と星の優しい光が二人を包み込む。今日見た世界は平和そのものだった。
もし弟がいたらこんな感じなのだろうかとさえ思った。
親の顔を知らなければ兄弟の存在など知るはずがない。あの傭兵組織の中には年上の子供がいなかった。指導を受けるのも言葉を交わすのも年の離れた大人ばかりで、年下の子供達からは畏怖の目で見られていたのを知っている。
ワールドセイバーに入ってから知り合った年の近い仲間も弟や妹分とは思えなかった。
「あんたを見てると昔の知り合いを思い出すんだ」
「その人強い?」
「ああ、強い。一度も勝てなかった」
少年はもっと聞きたそうにしていたがこれ以上は語らなかった。物理的に鎖されたあの男に今は会えない、いや、もう会うべきではない。賢い少年も悟ったようで何も言わず遠くを見ていた。

ここまで言い、キョウジはある男の言葉を思い出す。
――人は獣にあらず、人は神にあらず。
賢くなりすぎた人間はこの世の全てを管理し支配しようとする。まるで神であるかのように。
大きな力を手に入れた人間は弱者を食らいどんな残酷な行いもいとわない。まるで獣であるかのように……
かつて世界の変革を望んだ男が遺した言葉は歌のように、神話のように遠くへと伝わった。
神との同一化を望み、人の体を捨て獣に成り下がったあの男の耳にも届いているのだろうか。
「あれ、お兄ちゃん怖い顔してる。お腹痛い? あのジュース、飲み慣れてない人にはきついかな……」
「……いや、何でもない。ただの考え事だ」
顔を上げると元気のないハイビスカスの花が目に入る。昼間にはどこもかしこも満開だったというのに、もうしぼんでしまったようだ。
「ハイビスカスは神に捧げる花。でも、一日でしぼんじゃうんだ。だから夕方にはさよならしなくちゃいけない」
少年の言葉で思い出したかのようにキョウジはハンモックから飛び降りる。
船着き場にアロハロア本島行きの船が来れば、次の旅に向かわなければならない。
「そっか、帰りのお船が来る時間だもんね。バイバイ」
「ああ」
船の影が遠く小さく見える。なんとなく、あれを逃せば二度とこの島から出られないような気がした。
砂浜に足跡を残し、誰もいない船着き場の看板にもたれかかって船を待つ。すると、少年が追いかけてきた。
船が着くまでの間だけと約束し、少年を傍にいさせてやる。
両親や上官の死、仲間の全滅、復讐の対象の破滅、何度一人になろうとも何も思わなかった。しかし、今日の別れは何かが違う。これが寂しいという感情なのだろうか。
いや、だからといってここに残るわけにはいかない。
ふとした衝動であの男に似た少年を殺してしまいそうになるからではない。ここはただの通過点だ。小さな地で立ち止まっていないで前に進む、そのためには新たな復讐の対象、いや、ライバルを「LBX」で打ち負かすことが必要なのだ。


思ったより早く船が到着した。
「本当にお別れだね……バイバイ、楽しかったよ!」
少年が思い切り背伸びをしているのに気付くと同時に頬に柔らかいものが当たる。何てことのない、この辺りでは親しい人にする挨拶だ。
キョウジのいた国にそういった文化はないので同じものは返さないが、手を軽く握ってやる。握り返してきた手は機械のように冷たいものではなく、温かく優しい人間の感触をしていた。

「クライスラー家の坊ちゃんを一日で手懐けるなんてお客さん、一体何者だよ」
「ただのLBXプレイヤーだ」
行きとは異なり小さな船だった。それを走らせるのはやけになれなれしい船員の男一人しかいない。君が悪いほど顔を近付け、テレビで見たことあるが思い出せないなどと言いだしたので頬杖をついて寝たふりをする。
何も考えないようにしていたのに唇が触れた場所が妙にむず痒くて落ち着かない。
思えば昔と比べるとずいぶん丸くなってしまった。
護身用に最低限の武器は持っているが、戦場からは完全に足を洗っていた。柄にもなく律儀に大人の言い付けを守っているなんて以前の彼では考えられない。
こうなったのも、ただの人として、そして純粋にLBXを愛するプレイヤーとして生きていくことこそがあの男に対する一番の背反だと思っているからだ。
どうせやるならどこまでものし上がる。形は違えど王者の椅子を奪い世界を見下ろしてやりたい。
どうせ本名だって覚えていないのだから、仕事用にもらった名前だけはこれからも使うことにする。仮にあの男が知ったとして、その方がわかりやすいだろう。


港で船を降り、アルテミス会場に向かう。大会の開催日以外は一般に貸し出されているため、そこらにいるLBXプレイヤーに片っ端から勝負を挑み倒していく。
聖地ならば少しはまともな対戦相手がいるかと思えば、全く話にならない。
収穫と呼べるものはアルテミスへの出場権を得られるアングラテキサスへのスカウトだけだった。


――そこに向かう定期船などなかった。
港中を見回しても昨晩の船員の姿もなく、地図を見てもやはり訪れた島と思われる場所は載っていなかった。
結局あそこで出会った少年は誰だったのだろう。ずっと夢の中にいたのか、忌まわしい記憶が見せた幻か、あの地に染みついたセレディ本人の過去なのか、それとも同じ血を受けた孫やひ孫の姿なのか。CCMの時計は狂っており、時代もわからなかった。
せめてファーストネームくらい聞いていればよかったか。いや、聞いたところでどうするのか。次は寝過ごしてはならない。今度こそ帰ってこれなくなる。
立ち寄った模型店で白い塗料を買い、過去と決別するように黒い愛機に塗っていく。それが白くなっていくにつれて暗く深い闇が消え、キョウジの心も少しずつだが洗われていくような気がした。

2015/05/27

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