今から約四年前、私が八十六歳だった頃の話だ。
ワールドセイバーにとって脅威とされていたディテクターのテロ活動やミゼル事変も集結し、世界は平和への歩みを見せていた。我々の活動は沈静化されたと報じられているが、今はただ雌伏の時であり、真の「世界平和」への準備を進めているのだ。
一つの組織が世界を統制し、逆らう者には粛清を与える。異なる思想を持つ世界各地の支配者たちを全員抹殺し、戦争を起こすことも平和を保つことも全て意のままにする。
いつの世も終わらない戦争を通して生まれた思想を持つ者たちが集まり、今から約五十年前に創設されたのがワールドセイバーだった。
私を含め、創始者や古参の多くはかなりの年齢になる。戦死、病死、老衰等多くの同志が夢半ばにして斃れていった。人員の入れ替わりの激しさや素顔を隠した匿名性から新入りや地位の低い者たちは所属する部隊の指揮官以外の上層部のことを知らない。それぞれの部隊が独立した組織のように動くことで、ワールドセイバーは亡霊のように実体の不明瞭な組織とも言われるようになった。

イノベーター事件の黒幕とされた海道義光の死後、次世代の人工臓器オプティマがようやく認可された。誰かの死を待つこともなく臓器移植が可能になり、病に苦しむ少女が今では姉と共にLBXバトルを楽しんでいる……そんなニュースを見た私はそれに目をつけ、一度目の手術を受けた。
平均寿命をとっくに超えた老体に今更そんなもの、などと人は笑っただろう。しかし、今までの安物の人工臓器とは違う、本物と変わらない完璧なそれのおかげで喀血や全身がねじ切れるような内部の痛みに苦しむこともなくなった。
それでも刻々と迫る死への恐怖を感じて願ったのは地に足をつけて歩ける体、朽ちることのない少年の体、そして支配神として相応しい永遠の命と、次第に自分の身体に対する欲望はエスカレートしていった。
アンドロイド製作に携わっていた元オメガダインの研究者を雇い、生身の肉体強度を超え自己修復機能を極限まで高めた人工皮膚組織の培養に成功した。
そして、当時は実現不可能とされていたオーバーロードを覚醒させ、イノベーターが開発したCCMスーツの原理を利用して大脳からの信号を直接送らせることでLBXをはじめあらゆる機械を制御することも理論上では可能だという。
もはや車椅子や部下の介護に頼ることや戦場で四肢や内臓を失うこと、いや、死すらも恐れることはない。

そんな夢の体がもうすぐ手に入る。今日は気分が良く久しぶりに日の光でも浴びてみようと近所の公園に出かけてみた。
木陰でパンでも食べようと袋を開けた。鳥が食べこぼしを求めて集まってくる。平和なものだ。
一口かじったところでどこからか足を引きずった犬が鼻を動かしながらこちらに歩いてきた。茶色いダックスフントだ。
そのときは何とも言えない不気味さと同時に妙な親近感を感じた。
犬の年齢はわからなかったが、円形に脱毛した皮膚は膿んで異臭を放ち、かさぶたを掻き毟ったのか所々出血している。後ろ足は重いものに踏まれたように折れて変色しており、骨が浮いていることからしばらく何も食べていないと思われる。こちらに近づきながらもあちこちに頭をぶつけているところを見れば目も見えていないようだ。
私は半世紀近くの傭兵生活で四肢はおろか多くの内臓が機能不全に陥った。
瓦礫の隙間から射す夕日を眺め、戦場を駆けた部下と誓いを立てた翌日、加齢で鈍った判断力が災いし、両足が一瞬にして置物と化した。結果、半身不随が原因で戦線を退き、組織の頭脳一本で過ごすこととなった。
そこに小学生くらいの子どもの集団がやってきた。五人が逃げられないよう犬を囲み、一人が石を持っている。投げた石は面白いように当たり、悲鳴を上げた犬はその場に倒れた。
それから犬は何度も転んだり頭をぶつけながら私の車椅子の下に逃げ込んだ。利益のない争い事には関わるつもりはないというのに嫌なものだ。
「じいさん、そこ邪魔だ! ってか、聞こえてんのか?」
「逃げたって無駄なんだよ、バーカ」
さすがに人に向かって石は投げられないのか、彼らは大声で汚い言葉を吐き続ける。
これではせっかくの食事もまずくなる。周りの者は全員見て見ぬふりを貫き、余計に気分が悪い。
だが、ここは戦場ではないこともあり、真昼の公園で死人が出れば大事件となる。
言葉に従ったわけではないがその場から離れようとすると、犬は気づいていないようで石をぶつけられて再び倒れた。
しかし、犬は立ち上がりふらつきながらこちらに近づいてくる。どいつもこいつもしつこいものだ。
「…………」
無意識に殺気が漏れていたらしく、子どもたちだけでなく木に止まっていた鳥も逃げ出し、ベンチでは母親に抱かれた赤ん坊が泣き始めた。犬は車椅子の下でかさぶたを掻き毟っていた。
くだらないやりとりで食欲がすっかり失せてしまった。食べかけのパンを捨てるつもりで犬に差し出すと喜んでしっぽを振り始めた。
どうせ放っておけば死ぬ、それなのに何故か捨て犬を拾う形になってしまった。


季節は秋惜しむ頃。傷は治り、毛の生え揃った姿を見れば若くていい犬のようだ。
自然に治らなかった足や目にはオプティマを使ってやり、この犬は生まれ変わった。
続いて私も体を作り替えた。小さな犬の体の一部と人間の全身、比べようのない時間と金がかかったが、目的のためなら何だろうと惜しまない。
新しい体にサイズを合わせた服を着てドッグフードを買いにいった。ビニール袋を下げて部屋に戻ると犬が飛びついてきた。これがこの姿での初めての対面となる。姿は変わってもにおいで覚えているのか、反応は変わらなかった。
私が歩くことを再び覚えたように犬にも芸を覚えさせ、拾った子どもたちにも触らせてやった。

犬の散歩が日課となった私はいつもの公園へと向かった。
ベンチで菓子パンを食べ、犬にはクリームのない端の方を食べさせた。と、そこに一人の少年が駆け寄ってきた。
「わぁ可愛いワンちゃん! お兄ちゃん、触っていい?」
少年はキラキラと目を輝かせながら犬と同じ目線になるようしゃがんで私の顔を覗き込んでいる。この顔には見覚えがあった。石をこの犬に二度も投げつけた奴ではないか。
「うーん……噛まないかな」
躾は完璧にしている。たとえこの少年が悪戯をしようと吠えもしないし噛みもしないだろう。彼の顔を知らない犬は顎の下を撫でられて嬉しそうにしっぽを振っている。
お互いのことを知らない彼らを愚かだと心の中で嘲笑った。
「ねえねえ! このワンちゃん、名前は?」
「レンジロウ、だよ」
そういえばこの犬には名前がなかった。そこで咄嗟に出てきたのが長年会っていない部下の名前だった。めったに呼ばないファーストネームを口にしてみて、久しぶりに顔を見てみたいと思った。
「ふーん、面白い名前……あっ」
突風が吹き、木陰で休んでいた老人の帽子が飛ばされた。すぐ上の木に引っかかってしまい、その木を見上げて困っている。
「ちょっとこれ持ってて」
少年に犬のリードを預け、私は木に登った。
老人に帽子を届けて少年の元に戻ると、再度のお礼の声に振り返る。遠くに見える老人は優しげな表情をしていた。
「君、老人や動物は大切に扱うものだ」
私は両手を後ろ手に組み、少年の前に直立した。仕事上老若男女問わず、動物すら巻き込んで殺したこともあったが柄にもない言葉を言ってみる。子どもっぽい口調をやめ、教師のように彼を諭すと言葉がすぐに出てこなかったのか、口を開けたまま視線を色々な方向に向けている。
「同じ目……そうか、お兄ちゃんは……お兄ちゃんは、あ、あのときのおじいさん!」
全くの素人で試してみた結果、肯定はしなかったが気づくのが遅すぎる。部下として採る機会があれば不合格だ。あのときも集団の中で気が大きくなっただけで根は優しいのだろう。だが、そんな性格をしていては過酷な戦場では生き残れない。
つい先日出会った老人が今日は少し年上の少年の姿をしていたなど、直接それを見た彼自身ですら信じられないのに誰が信じるか。彼が驚きのあまりリードから手を放して腰を抜かし、小声で一言謝って逃げるよう去っていくのは実に愉快だった。
今日の善行も世を欺き溶け込むためのものだ。私にとって不必要な行動は許されない。


それから数日、私はA国の刑務所を訪れた。
目的はMチップを軍事利用しようとしたオメガダインとの繋がりがあった元副大統領のアルフェルド・ガーダインを暗殺することだ。
ディテクターやミゼルによって計画が知れ渡り敗北したオメガダインだったが、ワールドセイバーにも属する政府の内通者から彼が計画を全て吐くという情報が流れてきた。これは対立しているニュースタンダードを潰す一歩を踏み出すにはいい機会だと思った。
軍・政治関係者等が面会に来るが、マスコミや一般人の面会は許されていない。小難しい話をする者ばかりの訪問に飽きてきたところで年若い勉強家が訪れるのはいい刺激になっただろう。
軍の名門である家の名を使って入り、話を聞いてから見せしめに殺した。獄中記として出版される予定だった原稿は公園で燃やした。
一仕事を終えた私は公園の水飲み場で喉を潤した。
そこに何か動くものの気配を感じた。すぐさまオーバーロードを発動させ真後ろに迫る球体を避け、正面に回って胸で受けた。
飛んできたサッカーボールを持って周りを見渡すと、先日犬をいじめていた子どもたちが手を振っていたので軽く蹴ってボールを返してやる。その中に例の少年もいたが、私の顔を見るや否や気を悪くして帰ってしまう。
人数が足りなくなったからとサッカーに誘われた私は暗くなるまで遊んだ。十代の頃を振り返ってみても、勉強と訓練漬けで友達を作って遊んだ記憶がない。LBXに触れたのも仕事のためで、まともに遊ぶのはこれが初めてだった。
本部に帰ってくると、部下の誰よりも早く犬がしっぽを振って出迎えてくれた。


それから四年後の冬、拾った子どもたちや犬は成長したが私の姿は変わっていない。
子どもたちは戦場で次々と成果を挙げた。その一方、犬はただの家庭用の小型犬で戦場に連れていけない。体も小さく力もなければ人を殺せるはずもない。戦場で愛嬌を振り撒いても相手にされない。金を積めば生物兵器として使えるかもしれないが、生憎そこまでするなら自分で戦地に赴いた方が早い。できることはせいぜい爆弾を持たせて突っ込ませるくらいだろうか。
私はベッドの真ん中で夢を見て足を動かす犬を冷えきった目で見ていた。
では、この犬を何のために拾ったのか。あの犬に自分の過去を感じた同情心か。いや、この犬は私とも同じ名を与えた綾部連次郎とも違う。自己を重ねていたなど、決してあるはずがない。弱者を憐れみ愛する心など戦場では必要ない。必要のないものは私に切り捨てられるしかない。四年間、馬鹿なことをしていた。

日本の財閥の家で執事をしているらしい綾部に連絡を取り、二人だけの同窓会を開くことにした。待ち合わせ場所は日本、海が近いトキオブリッジ公園を選んだ。
イノベーターも使っていたステルス機能のある戦闘機で日本の地に降り立ち、犬を散歩させながら彼の到着を待った。同行する子供たちは時間が来るまでボールで遊ばせておいた。
同じ海の近くにありながら気温は暖かかった生まれ故郷と比べると低く、新しく買ったダッフルコートを着てマフラーをしてきて正解だった。ファッションとしてかけてみた黒ぶち眼鏡は息で少し曇っている。
通り過ぎる車の窓ガラスに映る私の姿は中学生くらいの少年で、なかなかの愛犬家のように見える。
しばらく犬に引かれるまま歩いた。ソフト帽から白髪の覗く、質の良い服を着た老人が見えたところで足を止めた。
さて、昔と同じように試してやろうか。殺気立つにはまだ早い。だが久々の再会、これ以上衝動を抑えるのは我慢の限界だ――

「やあ、綾部」
綾部は私の生まれ変わった姿を一目見て言葉を失っていたが、上から下まで眺めると納得したような表情をした。驚いた彼の顔には皺が深く刻まれており、四年前の私同様に老いたものだ。
展望台から昼の太陽を眺めながらした会話や犬との戯れの中で、現役だった頃の記憶も蘇ってきた。こうして思い出話に花を咲かせるのもいいが、そろそろ時間だ。私は犬を放し、それと同時に腕を上げて控える子どもたちに合図をした。
殺気の消し方が甘いと指摘された途端、笑いが込み上げてくる。戦場を随分と離れていたそうだが合格だ。褒めてやろう。
子どもたちの中でシャーロットが犬を射止めた。すぐに犬は動かなくなったが、死角になるこの場所では鳴き声程度では騒ぎにもならなかった。
再び合図をして彼らが去った後、私は高台の公園の手すりに手をかけてトキオブリッジをくぐる神威島への定期連絡船を眺めた。あそこの学園では一流のLBXプレイヤーを養成する裏で生徒たちにERPによる管理戦争をさせているそうだ。
入学もしくは編入条件はLBX公式大会で三回優勝することだ。戦闘だけでなくLBXにも長けたあの子どもたちならば条件を満たすのは容易い。私はそこに教師として潜入し、内部から組織を潰す。
ワールドセイバーが世界を支配することで戦争のない世界を作る。そのためならば未来ある若者たちを何人犠牲にしても仕方がない。たとえ世間に疎まれ蔑まれようとも、私は私の意志を貫く。それが私の生きてきた理由だった。


私と綾部の間に絆がなかったわけではない。裏切った彼は今後必要ないと判断したから銃を向けた。引き金を引くことに躊躇いや罪悪感、後悔はなかった。
彼が死の間際にどんなことを思い、どんな顔で死んだのかは知らない。全てを失い、人体改造やオーバーロードの酷使で肉体にも精神にも負担をかけすぎた私の先はそう長くない。きっと真実を一生知ることはないのだろう。

2014/11/07

 目次 →

TOP




「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -