ある冬の金曜日の昼休み、職員室にて。 武田シルビアは椅子に座り、最近の関心事について考えていた。一つは年下の新任教師、もう一つは日曜日の朝に放送している特撮番組だ。 普段接する生徒達と変わらない年頃で学年を問わない選りすぐりを集めたクラスと、それが属する新しい仮想国を創り上げた若きカリスマに一目で心を奪われ、寝ても覚めても彼のことが頭から離れない。担任兼司令官と一般教師は接する機会が極めて少ない。朝と帰りの挨拶ができただけでも嬉しくてたまらないがやはりどうにかして近付きたかった。 連続して授業があれば用具の片付けは必要ないが、昼休みに運動場や体育館を生徒に解放するためにどうしても授業の片付けが長引く。四時間目の後は職員室に戻るのが遅くなってしまう。生徒は誰一人おらず、同僚達は皆昼食に出かけている。 時間が少しでも遅れれば食堂は込みすぎて座れる場所がない。四時間目に授業があれば多少寂しくても職員室で一人で弁当を食べることにしている。 そんな中たまたま気になる同僚がやってきた。一度言ってしまえば後には引けない、人がいない今しかチャンスはないと話しかけてみた。 「セレディ先生、今お時間ありますか? よろしければ少しお話したいのですが……」 「大丈夫です。何でしょう?」 振り向く姿は愛らしい青薔薇のよう、まさに花言葉通り神の祝福、奇跡の体現か。声音は天使の歌声のように耳に心地よく、次の言葉も忘れて聞き惚れてしまうほどだ。 「お話というのも、先生にしか頼めないお願いがあるんです」 思えばこれが初めてのまともな会話だった。シルビアが机の下で小さくガッツポーズを取っているとセレディが隣の机まで来て人形のようにちょこんと座り、弁当を広げだす。誰が作ったのか、見事な和食だった。 どこで覚えたのか小さな手で箸を完璧に使いこなす様子も知性を感じさせ、話しながらもつい見入ってしまう。 「ある特撮映画が見たいんです。恥ずかしながら俳優目当てで見ていたつもりがついハマってしまいまして、一人は恥ずかしいし生徒には笑いのネタにされそうで頼めず……そこで先生にご同行をお願いしたいわけです」 「ええ、構いませんよ。私などでよければ」 笑顔を浮かべる様子は日ごろの疲れやストレスを吹き飛ばし、見る人全ての心と体を癒す効果があるように思え、この後の授業にも気合いが入る。さっそく約束したことを手帳に書き込んだ。 「次の日曜日に映画とご飯ですね、楽しみにしています。それでは私はこれで」 セレディは弁当箱を片付け、椅子の高さを元に戻して職員室を出る。公民は公民でもどのような授業をしているかはわからないが機会があれば見学してみたい。 昼食終了のチャイムが鳴る前に頭を仕事モードに切り替え、五時間目の体育の授業の準備をする。今回の授業は体育館での跳び箱のテストだった。 「説明はこれだけだ。何か質問があれば……」 ここで一人の女子生徒が口を開いた。 「テストの質問じゃないんですけど……セレディ先生とデートって本当ですか?」 どうやらたまたま職員室奥で新聞を印刷していたらしく、会話が聞こえていたという。デート、という言葉にざわめく生徒達。言葉には出さないもののもう少し年が近ければと考えるけれども、誰も彼の本当の年齢を疑わない。 「あの子、いや、セレディ先生は年下だ! いくら君たちと変わらない年で教師をしているとはいえ法律的には未成年……デ、デートなどではなく仕事の大事な話をするんだ!」 明らかに動揺しているのが見えたが、からかった一部の生徒に片付けを全部するように言い、テストは始まった。 そして運命の日曜日がやってきた。 雪はまだ降っていない。待ち合わせ場所にはしゃがんだセレディの後ろ姿が見える。服装は冬らしくキャメルカラーのダッフルコート、ジーンズ、えんじ色のマフラーと私服だったが美しく切り揃えられた青い髪を見れば間違えるはずがない。 早く着いて暇だったたらしく、散歩中の犬とじゃれあっている。 犬は顎の下を撫でられると転がって腹を見せ、垂れ下がったマフラーを噛んで引き寄せると顔をべろべろと舐め始めた。そこにシルビアが声をかけるとセレディは犬に舐められてずれた黒縁眼鏡を直しながら振り向いた。 「犬、好きなんですね」 「ええ、実家にも犬がいるんですよ。それでは行きましょうか」 犬にお別れをして二人で商店街を歩いているとハンバーガーショップの近くを通ることになった。キャラクターグッズを集めていても手を出せなかったケースの中のおもちゃが眩しいが、もう少し高い店で食事をすることにしている。 「あ、これって今日見る映画のキャラクターじゃないですか? あの店よりこっちにしませんか?」 「そうですけど、本当にいいんですか?」 「はい。何だかおもちゃを眺めていらっしゃったので」 その言葉にシルビアは少し恥ずかしくなる。が、せっかくの機会なのでおもちゃつきのセットと普通のセットを注文して座る。 「おや、子ども向けのメニューもあるんですね」 セレディの生まれ育った国ではあまりお子様メニューは浸透していない。今いるような店にはこうしたメニューもあるが生まれてから今まで食べるどころか見たこともなかった。 実家では豪勢な料理が振る舞われ、戦場では食事のほとんどが携帯食料で時々盗んだものや戦利品の食材を口にした。ワールドセイバーの活動拠点でももちろん出てこない。 「こういうメニューは女性や高齢者にも人気なんですよ。ほとんどの店では年齢制限があって頼めませんが、あそこの洋食屋では誰でも頼めるみたいです」 窓から見える洋食屋。高齢者でも食べられるということで少し気になったが、ここで食いついてはいけない。適当に話題を切り替えるとシルビアもそれに乗った。 「……ええ。それで、物心がつく前にLBXを両親から。あの頃は命と名前の次に親からもらうのがLBXだったとか」 それが2042年。話は大嘘だったが、何を聞かれても答えられるように話は作ってある。 「それが訳もわからず突然没収されて、何か悪いことをしたのかと……」 「事故が起こったみたいですね。それからしばらくして強化ダンボールが発明されて今の形に」 LBXの開発当時にそれを模してフルスクラッチしたものをテーブルの上に置いてみる。形はファントムの外装をはがしたディ・エゼルディに近いが色は青い。 「見たことのない機体ですね」 「販売が禁止されていた頃に我慢できず、自分で作ったんです。名前は……」 LBXを操作するにあたって必要のないCCMも出してみる。体一つで思い通りに動かせるが、怪しまれないようにCCMで動かしてみる。 「あ、残りこれだけですが食べますか?」 テーブルの上を歩かせていると無意識にCCMなしで動かしてしまったらしく、LBXがポテトをほしがるような動きをしている。 「く、ください!」 思わずポテトに飛びついてしまっても敬語だけは崩さない。Sサイズのポテトでは物足りず、ずっとMサイズのポテトが気になっていた。手が口に動くたびに視線も同じように動き、目でほしいのを訴えているように見えた。 幸せそうにポテトを口に放り込む姿、頬についたケチャップが何とも可愛らしい。学園内とは違って(外見だけは)年相応の子供のような仕草をするセレディを見ていれば、同僚や恋人というよりもむしろ年の離れた弟か甥と一緒にいるように感じた。実際は何世代も離れた年の差だったが、そんなことは知るはずもない。 しばらく雑談をして約束の映画を見に行くことにした。 雪が降ってきたためバスを使い、シルビアは向かいの窓を眺めている。そこに七十か八十そこらの老人が傘を畳んで入ってきた。席は全て埋まっている。これは席を譲らなければならないと考えていると数秒の差で隣に先を越された。 「おじいさん、どうぞ」 「ありがとうございます。小さな紳士さん」 老人はお礼に袋に入った飴をセレディに渡して座るが、もう少し詰めれば小柄な人間なら座れそうだ。シルビアが感心する反面、セレディは表情には出さなかったがこの姿では年下の老人にも席を譲らなければならないことに不満だった。 そうこうしているうちに映画館の前でバスが停まった。 例の特撮映画は公開して日も浅く、しかも休日で人は多い。見にきていたのは島の家族連れや二、三人の若い女性に中年男性と世代も様々だった。 料金表を見れば十八才以下の学生と六十才以上は割引と書いてある。元の姿では堂々と割引を受けられるのだが、財布から料金を出すシルビアの横でセレディはどうすればいいのか首を傾げている。一応教師なので大人料金を支払う、でいいのだろうか。 「学生さん? ならこれだけでいいですよ」 差額を返され、念のために偽造した身分証を出す。 料金表には「学生」と書いてあるが本来学校に行っている年齢ならば職業は問わないこと、エリート揃いの神威大門なら他より若く優秀な教師が一人や二人いてもおかしくないと係員は言う。どうやら前例があったらしく噂をすれば該当者のジンが現れた。 週替わりで上映される戦争と海をテーマにした1970年代前半の映画を見にきたようだ。 「亡くなった義理の祖父が僕と同じか少し若いときに見たそうで、僕も見てみようかと思ったんです」 あまりにも懐かしかったのか、セレディは当時のことに思いを巡らせる。この映画が初めて上映されたのは十才にも満たない頃だったか。戦争を知らず海とともに育ち、これからもそれが続くと信じていたあの頃だ。 「懐かしいですね。昔仕事で家を空けがちだった両親との数少ない思い出で、幼いながらも戦争について考えるきっかけとなった一つです」 それから十年くらい後に従軍し、この映画を見て衝撃を受けた。ここでも大嘘をついているが、戦争について考えるきっかけとなったのは事実だ。 「僕ももう少し早い時期に見ていればよかったです」 「いえ、今からでも遅くはありませんよ。今の若い人にももっと見てほしい」 話が弾んでもボロは決して出さない。シルビアが不思議そうな顔で見ていたので実家にあった古いビデオテープに収録されたものと付け加えた。 話しているうちに時間が来たのでジンとは別れ、番号の書かれた部屋へ向かう。薄暗い中家族連れの客が仲良く手を繋いで歩いているのが見えた。 と同時に温かくやわらかいものが触れる。手が当たってしまったかと思い、シルビアは反射的に引いてしまう。映画館限定のバケツに入ったポップコーンをこぼしそうになったがなんとか無事だ。 「……いけませんか?」 悲しそうな表情をしたセレディが上目づかいで見つめてくる。ここで断れば一生後悔する。会話ができただけでも嬉しいのに手を繋げるなど、大進展ではないか。 「と、とんでもない! 人も多いしはぐれたら大変ですよね」 席に座るまでの間だけだったが手を繋ぎ、飲み物を置いてポップコーンを分け合う。いつの間にかセレディが一人でバケツを抱えていたが構わなかった。 日本の子供向け番組はなかなか興味深い、退屈な二時間と思っていたのにうっかり童心に帰ってしまった。もう少し後の時代に生まれ、戦場に駆り出されなかったらこういったものも好きになっていたのかもしれない。 映画館を出ると日が沈むのが早いのもあって辺りは暗かった。バスから降りてからは折り畳み傘が一つしかなかったので相合傘をし、溶けた雪で濡れないように自然と寄り添うような形になる。 「そういえばまだ仕事が……でも、遅くなってしまったので寮まで送っていきますよ」 仕事が残っているのは嘘だ。まずは彼女をきちんと帰らせてからでないとこの後のことを見られるかもしれない。今はまだ、真の姿を見られるわけにはいかない。いざというときは消せばいいが、騒ぎになるのは間違いない。 「これでも体育教師、護身術なら一通り使えますので」 「いえ、女性を夜道で一人にするなんて男としてありえないことです。これでもうちは軍人の家系ですから」 仕事があるのにわざわざ来てくれたのは嬉しかったが、本当は複雑だった。手伝えることがあれば一緒に残ってあげたい。帰るふりをして追いかければ、と考えていたがシルビアもそこまで言われると折れてしまう。 バスで老人に小さな紳士と言われていたが、まさにその通りだと思った。一流の軍人は幼くとも女の扱いも一流なのだろう。実際は経験によるものと老若男女の心をつかむ演技なのだが。 ◇◆◇◆◇◆ 「……ずいぶん楽しそうな『デート』だったな」 シルビアを寮に送った後、路地裏から声がした。やけに「デート」という言葉を強調しているのがなんとも嫌味のように聞こえる。 「あれがデートだと? 私はただ学園にとけ込むためにあの小娘の要求の一つ一つに応えてやっただけだ。好意を抱いている女など騙すのもたやすいからな」 危険な二人の邂逅。不穏さをより際立てるかのように猛吹雪が吹き付ける。 「あんなぬるい女遊びなんて消化不良だろ」 「そんなことはどうでもいい。キョウジ、傘は持ってきただろうな」 持ってこさせた傘を差し、ハンカチで髪に積もった雪を落とした。 「私は仕事が残っている。君にも見せられない、ね……」 セレディが邪悪な表情を浮かべると、それに合わせるかのように遠くの山から雪崩の音が聞こえた。天気がますます悪くなっていく中大仕事に出かけるのだ。 「いらっしゃいませー」 着いた先は洋食屋。知り合いはいないので堂々と仕事がこなせる。 まずは渡されたメニューに目を通す。酒やデザートも気になったが、この姿では酒は頼めない。デザートはセットについてくるだろう。 (ほう、これがあの……) 可愛らしく親しみやすい色をしたページにたどり着く。お子様ランチを中心とした子供向けのメニューが載っている。隅の方に大人の方でも頼めます、と小さく書かれていた。 色々な種類がある中、ある一品を見て衝撃を受ける。ハンバーグ、エビフライ、唐揚げ、ナポリタン、フライドポテト、オムレツ、仮想国の国旗が刺さったピラフ、ポテトサラダ、そしてデザートにプリンがLBX型の皿に乗せられている。飲み物はオレンジジュースだ。 「お子様セットB、エゼルダームの旗でお願いします」 少し待つように言われると店員が奥の方で何か話している。聴力もオプティマへの改造の過程で矯正しているので風雨や雷にかき消されずに聞こえる。 「あの子エゼルなんとかって国の旗がほしいって」 「あー新しい国だっけ? そのうち作っとくわ。適当になんとか言っておいて」 消滅したり吸収された仮想国の多くが今も根強い人気を誇るというのにエゼルダームは新しいせいか未実装。今は何を言っても無駄だとわかり、何でもいいと返す。 「今ないみたいで……ロシウスで大丈夫でしょうか? すみません、来週までには作っておきますので」 プリンをもう一つおまけしてもらったことで今は許すことにした。 料理自体はおいしかったものの、ピラフを支配するようにロシウスのフラッグピックが刺さっているのが気に食わない。 (どうせならジェノックがよかった。あそこには……) いや、最強の大国や力をつけてきた小国などいずれ滅ぼすのだからそのうちどうでもよくなる。選ばれた者だけがセカンドワールドを、そして現実の世界を支配するのだ。 ◇◆◇◆◇◆ 一週間後の昼。洋食屋にエゼルダームのある小隊が入ってきた。 「リクエストによりエゼルダームの旗が追加されました? 全くどこのどいつだよ、いい年してお子様セットなんか頼んだの」 手書きのポスターを指さして笑う男子生徒を女子生徒が一睨みで黙らせる。 「ちょっと、言葉を慎みなさい! セレディ様だったらどうするの!」 「崇高なお考えを持つあのお方のことだ。我々に悲しい思いをさせないようにお子様セットを召し上がり、自らあの旗を頼まれたのかもしれない」 そんな神聖な食事の光景が浮かんでくる。別の男子生徒が感動のあまり涙でメニューを濡らす。それに釣られて女子生徒もハンカチで涙を拭い、隊長が大きく鼻をかむ。失言をしたと感じた男子生徒はポスターに向かって激しく土下座を始めた。 「お前ら注文は決まっただろうな。俺は腹が減ってそろそろ限界だ」 中等部と高等部、それぞれ異なる学年の隊員をまとめる高等部三年の隊長が店員を呼んで、 「お子様ランチ四つ、旗は全部エゼルダームで!」 2014/07/09 ← 目次 → TOP |