世界が生まれ変わるまでのカウントダウンはもう始まっている。
ワールドセイバーと世界連合がお互い最高の状態で戦うための猶予期間の夜。経歴を全て嘘偽りで飾り立てた神童と異端児を冠した名を与えられた少年が最後の夜を共にした日。
青く美しい水平線のような髪を横向きに寝ていれば邪魔だからと流し、後頭部の逆毛を指に巻いて弄ぶ。続いて遮るものがなくなった頬をつまんでみる。赤ん坊のようにもちもちとやわらかく弾力性のある皮膚だ。夢と現実の狭間の時間は過ぎたが、まだ触れる肌が温かいのは子供体温のせいか。
長い長い時を生きたゆえにコンピューターそのものを頭に埋め込んだかのような広く深い知識、残虐で非道なことを平然とやってのける異常なまでの冷酷さ、常軌を逸し、まるで理解不能な考えと老人特有の狂った執着心……いずれも見た目だけでは信じがたいが、これらを考えてみると彼の正体が実年齢九十歳の老人というのも納得がいく。
ゆりかごで眠る天使は心と体の時が狂った不安定で歪な存在。寄り添う賊徒も幼い頃から戦争により人生も心も狂わされ、仮想世界の殺戮と復讐に狂いながらコントロールポッドという棺で眠ることになる。
現実にこうして触れ合えるのだからこの幼い姿は幻覚でも何でもない。戦禍の中、土が血を吸い込むようにキョウジはセレディと出会い、その当時からこんな体をしていたのを覚えている。同じ少年兵のようにも見えたが、それにしては身綺麗すぎる。戦場で精神がおかしくなったせいで幻覚を見たのかとさえ思った。
しかし、何故このような体になったのかは聞いていない。神や魔の信仰が残る地域もあるが、現代にこうした呪いで姿を変えることはありえない。十中八九薬の影響か度を過ぎた人体改造なのだろう。

背中を向けて寝ていたセレディが目を覚まして寝返りをうつ。小さな手が伸び、短い指が絡んでくる。醜い老人の手ならばへし折っているところだが、成長前の体を味わうのはそれなりに悪くない。
「ここから先は有料だぜ」
「お代はこれから私が統べる世界の一部、これでいいかな」
猫をかぶった丁寧な口調も本性を現した高慢な口調も吐き気がする。別に支配者になりたいわけではなく、この腐りきった世界に刺激が欲しい。破壊と殺戮のような強烈な刺激が欲しい。飢えて狂って暴れ出しそうな破壊衝動を満たして欲しい。この男なら望むものを全て与えてくれると思って雇われたのだから。
最初は金との性欲処理のため割り切っただけの関係だからと言い聞かせていた。しかし、気付けば底のない深みに堕ちて抜け出せなくなっていた。
それは狂人と長く過ごしている間に狂ってしまったからか、それとも親子愛とは違う別の愛情からなのかわからない。しかし、今となっては答えを知ることもない。
優秀すぎる劣等生が金持ちの老人に買われて退屈しのぎに働いている。仕事はむしろ楽しい。十年以上を過ごした前の主人と比べれば数倍の金がもらえる。高価すぎて手が出せなかったLBXも無償で手に入れられる程の。
代償として何もないちっぽけで隔離された島に飛ばされ、ガチガチの規則に縛られた。寮と学園(主に保健室)を行き来するだけの、ウォータイム時以外は退屈すぎて気が狂いそうな毎日が待っていた。
最初に配属された国は小国。積極的に領地を制圧しようとしなかったし、何より胡散臭い司令官と「腐れ縁」だからとやけに絡んでくる小隊長が気に食わなかった。定期テスト前になると保健室にミミズが這ったような字で書かれたノートやまっすぐ折られていないプリントを持って来られ、部屋で勝手に勉強会を開かれるのが鬱陶しかった。
領地を得るも守るもどうでもいい。新しい国に所属を移されれば一方的な破壊によって爽快感を得られ、時々強い者とも戦う機会があった。抱き心地の良さそうな女や妄信的な男も仲間にいるというのに悪趣味なことに付き合わされるのは相変わらずだったが。

「俺は金さえもらえれば構わない。別に支配だの独裁だのはどうでもいい」
あと数日で全てが終わる。成功しようとも失敗しようとも金はもらえる。だが、この男は瀬名アラタには勝てない。勝てるわけがない、この先は破滅だ。利用されたと見せかけて適当なところで捨ててやる。今度こそ眠っただろうセレディに勝ち誇った視線を送り、キョウジは枕元の明かりを消した。


翌朝、体のだるさが取れないままキョウジは目を覚ます。目覚まし時計は胸糞悪かった朝に叩き壊したせいで動かない。これで抱き収めかというくらい相手をしてやったのだからセレディも起きてこない。
白衣の下に隠すように置かれた冷たい拳銃。何十年も愛用されているためか傷も多いがすごく大切にされているのがわかる。弾数は六。
海の色をした髪に隠されたこめかみに銃口を当て、試しに引き金を引くことを考える。こんな物一つで、ほんの一瞬の行為で人が簡単に殺せると。十数年前に見た悪夢のような血の海が蘇った。
「勝手に触るな」
気配なく背後に回られ、逆にこめかみに銃口が押し当てられる。あの時の戦場で感じたものと同じ静かで恐ろしい殺気。命令に従わず銃を向けられたことは何度もあったが、これには本能的な恐怖を感じ両手を上げる。冷や汗が銃口の型のついた部分を伝い、呼吸も鼓動も荒くなる。
「今度触ったらお前の頭は弾け飛ぶ」
「はいはい、わかりましたよ」
セレディは起き上がって拳銃を仕舞う。馬鹿みたいに平和な学園でこれから誰かを撃つのだろうか。計画を邪魔する者か、もしくは裏切った同胞か。
この偽善教師は虫も殺さぬ顔して戦場で多くの人間を殺している。それと同じようにウォータイムで敵機体を何の躊躇いもなくロストさせた。そして何事もなかったかのような顔で教壇に立ち、純粋な生徒に接していたのだからどこまでも歪んでいる。

公民の授業はしばらく自習、第一ここ数日間は通常授業どころではなく朝から夕方までどこのクラスも騒がしくてたまらなかった。保健室は怪我人や病人以外立ち入り禁止だった。
誰も彼もが戦場へと勇み、エゼルダームを滅ぼしにやってくる。生徒達に与えられた仕事は一人残らず殲滅し、世界の行く末を見届けることだ。
しかし、世界連合の前にエゼルダームは壊滅状態となる。同志達が次々と倒され、あろうことかキョウジは不要だからとセレディにゴミクズのように始末された。その後はもうアラタとオーバーロードの使い手同士決着をつけようとか、そんなことはどうでもよくなっていた。
多くのエゼルダームの生徒達が捕まる中、キョウジは逃げ延びた。そして怒りと憎しみで我を忘れるほどまで復讐に狂い、戦場で死体の持ち物を漁るようにロストしたLBXからパーツを奪い、倉庫から盗んできた工具で修理した。部品は山のようにある。本物の戦場での命がけの逃亡生活に比べれば今のサバイバル生活などごっこ遊びのようだ。
腹が立つほど愛らしく作られた人工の体をバラバラにすることを想像しながら修理用の部品が得られそうにないLBXの四肢を切断し、心臓に見立てたコア部分を貫いて解体する。静かな森で狂ったような笑い声をあげれば、周りで雨天時にもらった携帯食料の食べ残しをつついていた野鳥が逃げていく。
使えそうなものは穿り出し、呪詛のように憎い男の名前を呟きながら死体の血肉を我が物とするように部品をねじ込んでいく。

ふと嫌な過去が頭をよぎった。幼い頃に拾われた傭兵組織のボスの下で少年兵として働かされた十年と少し前のこと。彼は多くの戦災孤児の里親になり、一流の傭兵の手ほどきを幼い子供達に与えた。貧しく不自由な共同生活の中で時折親子愛のようなものを感じさせることもあった。
師匠であり父親のような彼を目の前で殺したのがセレディだった。何もここから逃げたいとも殺して助けてほしいとも言わなかった。仕事だから殺しただけと。そして、皮肉にも慕っていた人物を惨殺した相手に死と隣り合わせの極貧生活を抜け出せるような大金で雇われた。
あのとき逃げなかったのは逃げても行くあてがなかったからだ。学のない者は学校に行けず、まともな職に就けない。生きるためには戦うしかない。戦って殺し、いつかは戦場の土と化すのが戦場を生きる者の運命だ。
新しい雇い主からは仕事の紹介だけに限らず、読み書きや計算、戦禍から免れる家、飢えや栄養失調からも解放される食事、温かい寝床が与えられた。
セレディの幼い姿は日常生活でも戦場でも他人を欺き油断させるのに役立った。純粋な子供特有の残酷さを持たず、歳を食った狡猾な老人の残虐性が戦場では際立っていた。そのことから仕えていた老人よりも遥かに年上だという事実を後で聞かされてもさほど驚かなかった。
それ以来、ただの性欲処理のつもりが趣味の悪い要求に付き合わされていたことに気付いた。偽物の人肌の温もりに触れ、わずかながら機械化されていない心音を聞いた。そこを貫けば不死に近い体でもひとたまりもないだろう。木の中心を心臓に見立ててから深く突き刺してやった。

結局、キョウジはアラタにもムラクにも、セレディにも誰にも敵わなかった。無理矢理開花させられた不完全なオーバーロードは道連れどころか肝心なところで効力を失ったのだから。
そして断末魔のように憎い男の名を叫び、ガスを吸い込む前にオーバーロードの反動で意識を失った。機体とともに砕け散った復讐の化身も毒ガスで死んだはずだった。どこまでも情けなくあっけない最期を迎えろ、先に綾部と地獄の底で待っている。これを最期の台詞にするつもりだった。


テロ行為に加担したとされたエゼルダームの生徒達は洗脳の度合いによらず全員が強制退学処分、セレディは罪に罪を重ねて逮捕された。キョウジやカイトなど生徒達のことは年齢を考慮して詳細を報道されなかったが、この事件は世界中のテレビや新聞で大きく取り上げられた。

数ヵ月後、裁判が開かれることになった。
かつての同僚や教え子、各国政府の要人などが傍聴席に座っている。サイズの合わない白衣は差し入れにより新しいものに換えられ、裁判時の正装となっている。
今にも死にそうな車椅子の老人を今もなお神と慕う者はいない。世界を覆す力どころか、まともに立つ力すら残されてはいないのだ。
重々しい空気の中最後列の端の傍聴席からは甘い香りが漂ってくる。背もたれに体重を預け、足を組んで飴だけでなく裁判を舐めきった態度の者がいる。だが、視力を失いかけた老人の目には映ってなどいない。
今日も飴は甘くおいしい。安い値段でこんなにも幸せになれる。憎かった相手が法に裁かれ、どんな刑罰を受けるのなどに興味はない。これは暇潰しの高みの見物だ。
読み上げられた罪状は内乱罪に加え、別罪とされた殺人など数知れず。内乱罪では首謀者への刑罰は良くて無期禁錮、悪くて死刑、しかし裁かれる国に死刑制度はない。どのみち非合法な人体改造を繰り返し、無理矢理延命したようなボロボロの体では十年もつかどうか。

かつての同僚達は拘置所に次々と面会にやってくる。たくさんの差し入れで寂しかった独房もそれなりに賑わってきた。
九十を超えた歩けない老人が世界を掌握するには地に足を着けられる若い体が必要だった。人工臓器オプティマが実用化された直後に莫大な金を投じて偽りの体を作り、海と歩ける足、そして驚異的な力「オーバーロード」を望んで人工の体を手に入れた。
最初は全盛期を誇っていた青年期の体への改造を試みた。しかし、闇医者では手術の腕が悪く、かといって金で買った一流の医者は失敗を恐れて手術を行ってくれなかった。一度目の手術の成功から何らかの強迫観念にとり憑かれ、ついには赤を知らなかった頃と同じ少年の青を望んだ。一番幸せで純粋で綺麗だったあの頃の姿になろうと、心だけがどす黒く染まった体にメスを入れた。
麻酔が切れた時の痛みすら愛おしかった。海の「青」を望むなら他のもの全てを自らの手で「赤」に染め上げても構わなかった。血まみれのままで最高の体を見せびらかす姿は五十年来の腹心にすら奇異の目で見られていたが、彼は死の直前まで口には出さなかった。
そうして走馬灯のように駆け巡る狂気の九十年を振り返っていると次の面会者が入ってくる。
「これから刑務所で死ぬまで禁錮か。服で首でも吊ってるかと思えば意外といい生活してるじゃねえか」
差し入れには雑誌、食品、衣類、老眼鏡などがあった。クイズやパズル雑誌はすぐに解き終えてしまうが、文字数の多いLBXテクノロジーは飽きることはない。食品には菓子類や缶詰などがあった。
研究に没頭するあまり隈ができて落ち窪んだ目も、老眼鏡のおかげでなんとか面会者の顔が見える。彼はかつて自分が不用品として処分した男だ。
「そいつは俺からだ」
床に落ちて拾えなかったらしい包み紙と棒のついた飴をキョウジが手を伸ばして代わりに拾い、鉄格子の隙間から渡す。車椅子の車輪を回す音がし、皺だらけで血管の浮いた手が伸びる。拾ってやったのは親切心でも何でもない、飴が踏み潰されるか腐って捨てられるのが気に食わなかったからだ。
「あんたも俺と同じ、不完全な死に損ないだったな」
生きた屍の枕元に語りかけるための毒を含んだ言葉が深く深く突き刺さる。赤々と生命の色に輝く飴を一舐めし、とどめに弱り切った心臓を握り潰すように噛み砕く。
少しの痛みが走ったのは舐めたときに舌が切れたのだろう。鉄の香りと味が口の中に広がるのは生きている実感がした。
狂ったような執着も今となっては馬鹿馬鹿しい。自分を捨てておいて縋り付かれるなんて勝手なのもいいところだ。
「ま、綾部とジジイ同士地獄で仲良くしてろよ。俺はまだ逝きたくねえからさ」
これが最後にここで発されたキョウジの言葉だった。老いた耳には聞こえていたのかいないのか、セレディもしわがれた声でもごもごと譫言のように何かを言っていた。

青く美しく丸い世界は灰色に色褪せ、四角く切り取られた。美しく咲き誇った青い薔薇も日の当たらない場所で静かに枯れていくのだろう。

2014/01/12

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