今朝は四人で寝ていたはずの女子部屋にはジェシカ一人しかいなかった。ラン、アミ、アスカは朝早くからどこかに行ってしまったようだ。決して遅い時間に起きたわけではないが、いい夢を見ていたのでなかなか起きられなかったというのもある。朝食を作るには時間は十分にあるのだが、今日はもう一仕事があるのだ。
昨日スーパーマーケットで買ったお徳用と書かれたキャンディの袋を片手にキッチンへ向かい、何やら珍しい光景を見た。
三人はキッチンで何か料理――おそらくチョコチップクッキーを協力して作っているところだった。朝食を作ろうと思ったら大部分の場所を占領されていた。なので空いた場所でトーストを焼きながら何をしているのか聞いてみる。
「今日は女の子にとっての一大イベントなんだから、チョコくらい手作りしないとね!」
「俺たちでもできるところを男子に見せてやるんだぜ!」
空手に燃えるランやボーイッシュなアスカでさえ今日は女の子だ。女子三人が張り切っているのは何を隠そう、バレンタインデーなのである。
むしろ珍しいのはジェシカの方だ、なんてことも言われた。恋愛イベントには目を輝かせる彼女はチョコレートではなくお徳用のキャンディを持っているのだから。
と、いうのも日本とA国のバレンタイン事情は違うようだ。お互い大きなカルチャーショックを受けつつもそれぞれのバレンタインデーの過ごし方を話した。
日本では基本的に女性から男性へ義理または愛情を伝えるためにチョコレートを贈る。ホワイトデーには男性がお返しをしなければならない。
しかし、A国では男性が女性に花やカードを贈るという。それ以外、例えば学校などでは多くの友人にお菓子を渡すこともあるそうだ。そのためにジェシカはキャンディを買ってきた。ちなみにホワイトデーはない。

どうせなら自分も、ということでジェシカは三人の隣でマカロンを作り始める。三人はクッキーがちょうど完成したので次はマフィンに取りかかった。
三人だけでは難しいものには少し手間取っていたけれども、彼女の参加で無事完成したようだ。CCMで記念写真を撮ったあと、それらを赤とピンクの入れ物に入れて男子部屋に届けた。
この時期になると男子が異様にそわそわする、なんていうけれどもここではほとんどの者が普段どおりだった。LBXのメンテナンスをしていたりテレビを見ていたり、やけに気合いを入れた格好とギラついた目で女子を見る者はいなかった。それでも嬉しそうに義理チョコに群がっていたのだが。
平常心を保ち、義理チョコとわかっていても内心大喜びのバンとカズ、感動のあまり号泣し、センシマンがセンシガールから「義理」と大きく書かれたチョコレートをもらったときのことを語りだすヒロ。人生初のバレンタインチョコ(もちろん義理)にユウヤも大喜びだ。その一方で今年は少なくて安心しているのはジンだ。キリトは不在だったのでチョコレートを預けた。

「やったーーーー!!!」
男子部屋のドアが閉まると同時に、抑えていた喜びの声が聞こえてきた。一つ隣の女子部屋に戻り、ランが大成功と言ってハイタッチを求める。二つの手を鳴らす音がしたが、三つ目はなかった。
「次はホワイトデーか、何もらおうかな? あれ、どうしたのジェシカ……」
調理中は踊りだしそうなくらい張り切っていたけれども、今は肩を落としてため息を吐いている。友チョコを渡されても食べようとしなかった。
「日本のバレンタインって……」
バレンタインデー当日の男達は頑張って作ったお菓子をもらって食べるだけで他は何もしない。日本人には見慣れた光景だけども、A国人の彼女からするとそれが奇妙で仕方なかったそうだ。
「A国だとレストランとかで食事をしたり、芝居を見に行ったりするのよ。レストランの予約はいつも争奪戦なんだから。それから男は一年で最もロマンチックな日を演出しなければならないの!」
ホワイトデーのお返しもいいけれどA国式バレンタインとやらも素敵だと言う話をしていると、ドアが開く音がした。
真っ赤な薔薇の花束を抱えた男の影が見える。ここの男子には今日になってもそんな話をしなかったが、その中に情趣を解する者がいてくれたとは。
「ほら、こんな風に! そこで彼は私をさらっていくの……」
妄想に酔いしれたジェシカは待ってましたと言わんばかりにその影の方に向かっていく。そろそろこのシチュエーションも見飽きたのだろう、三人は何も言わなかった。
「……間違えた。隣か」
新しく来たばかりで慣れないから部屋を間違えただけだと、キリトは花束とともに去った。

ドアを見ているだけでは部屋の区別が付かない。今度こそ正しい部屋に足を踏み入れると、バリバリだのもぐもぐだの何かを食べている音が聞こえる。
「おかえりキリト! 『義理チョコ』おいしいから食べようよ!」
「いらないよ……甘いもの嫌いだし彼女に悪い。それよりコーラが飲みたい」
義理だろうが本命だろうが食べるつもりはない。ある言葉のあと凍りつく空気の中、義理は余計だと後ろから鋭い声が入る。
「いらないなら僕が全部食べちゃうよ」
「好きにしな。その代わりコーラ買ってきてよ」
そう言ってユウヤを部屋の外に追い出す。コーラ、といっても何でもいいわけではない。ダックシャトル内にもコーラはあるのだが、あれはまずくて飲めないそうだ。適当なものを買ってきて頭からかけられるのは嫌なのでユウヤはしぶしぶ外に出かけた。


◇◆◇◆◇◆


――例のコーラはこの辺りでは見かけなかった。仕方なく隣町まで行こうとバスに乗り、交通費とコーラ代をあとで請求しようと考えた。背が低いのでぎゅうぎゅうに押されて息苦しい。他の乗客の吐く息や熱気を直に浴びて頭がくらくらしてきた。
そんな中、見慣れたしま模様と花の香りを感じた。
「なんで君がこんなところにいるの」
「それはこっちのセリフだよ」
お互いに悪態をつきながらも満員のバスなので押されて寄り添うような姿勢にされる。キリトの鎖骨辺りに顔を埋めながら、こんな場所でも背が高いといい空気を吸えるんだろうな、とユウヤは上を見上げた。潰れないように高く上げられた薔薇の花束を見ると棘がなかった。
隣町に着いたがまだ降りなくていいと言われたのでしばらく一緒にいた。
いちいち精算時にあたふたするのが目に見えているからと、金は払ってくれた。

そこからしばらく歩いて広い場所に到着した。石がたくさん並んでいたのでそこは墓地だとわかった。たくさんの墓石を通り過ぎ、一つのそれの上にキリトは花束を置いた。
花束はこの世を去った恋人へのものだった。墓石に刻まれた始まりと終わりを迎えた年の期間の短さにショックを受けたのもあったが、それ以上に愛の意味を持つ赤い薔薇は自分のためのものではなかったことがつらかった。あらかじめ抜かれた花の棘が心臓に刺さったかのように胸が痛かった。
何も言わないままバス停でバスが来るのを待った。運よく二人席が空いていたので座り、ユウヤは追い出されたときに持っていたチョコレートを食べることにした。夕食には物足りないけれどももう少したてばおいしい食事が待っている。

「……大切な人だったんだよね。僕にもあの人の話、聞かせてよ」
「なんで」
「だって、君があそこまで好きになるくらい素敵な人だったんだから僕も知りたいの」
恋人を失ってから今に至るまで封印していた幸せだった日々の話。彼女の死後の話は聞いたけれど、生前の出来事は知らない。時間とともに記憶が薄れていくのなら、鮮明なうちに多くの人に話して覚えていてほしい。
真面目な話でもうんざりするほどのノロケ話でも何でも構わない。ユウヤはクッキーを食べる手を止めて静かに聞き入っていた。
これが今まででキリトが一番長く話をしていた気がする。LBXでバトルをしているときともまた違って、輝いている。

バスを降りた人々は幸せそうにどこかに向かっていく。乗る人と降りる人が前後から行き来しては滞りなく流れていく。綺麗な川のような人々の流れとは対照的に心は淀んでせき止まる。自分から話せと言ったのに、つらいからもう話をやめてほしいなんて勝手だと思った。
短期間で次々と付き合っては別れることを繰り返したのではなく、期間が長く恋人の数が少ないというのが余計につらく思えた。たった一人をそれだけ大切にしていたと感じたのだから。
密会のように関係を続けていた頃に知らされた彼女の存在。男だろうと女だろうと行為の内容はあまり変わらない。妙に慣れていると思えばやっぱりそうか、なんて思ってもそれを承知で今も関係を続けている。
今日は彼女の名前を見た。どんな人だ、どこで何をしたと聞いても何も感じなかったが、名前を知っただけで、もやもやとした透明で実体のないものが黒い人の形になってきて首を絞める。まだ写真を見たことがないことが救いだ。
夜になるにつれて外もバスの中もお祭り騒ぎだ。しかし、その陰でユウヤは歯形を残したクッキーを持ったままひっそりと泣いていた。


◇◆◇◆◇◆


部屋に戻ると誰もいなかった。部屋の外から聞こえてくる楽しそうな声から判断すると今は夕食中なのだろう。
いつまでも置いているとよくないのでユウヤは食べかけのクッキーをかじり、これで今日は最後だとマカロンを半分ほど口にくわえた。挟んだ間から少しはみ出たチョコレートを溶かしながら独特の食感を味わっていると、その半分と唇を勢いよく奪われてしまった。
「もぐ、ん――――!?」
半分どころか全部のマカロンを奪い取られてしまい、驚きのあまり変な声が出てしまう。結局何も食べられなかったのでもう一つを口に入れた。
「もっと色気のある声出しなよ。それに目は真っ赤で鼻水ダラダラだし、食べかすまでついてる。……キスなんかするんじゃなかった」
「鼻水は出てないよ!」
鼻水は出ていなくとも少し前まで泣いていたので顔はひどいものだ。洗面所で顔を洗い、念のため髪を下ろしてとかし直していると奇妙なものが鏡に映っていた。
別人のように姿勢と髪を正し、スーツを着ているキリトの姿だ。いつも囚人のような格好をしている彼が正装に身を包んでいるのだから、おかしくてさっきの涙も吹き飛んでしまった。
「そんな汚らしい服は脱いでとっととまともな服に着替えろ」
緑のジャージは気に入ってるのに、と言おうと思ったが今から面白いことが始まる予感がした。ユウヤはパーティーのために用意してもらったオレンジ色のシャツと、白と黒の長めのジャケットを着て、いつもより背が高く感じるキリトを見上げて尋ねた。
「どこか出かけるの?」
「レストランだよ。予約したからキャンセルするのもめんどくさいし、当日だとキャンセル料を取られて金が無駄になる」
給料のいいオメガダインでテストプレイヤーをしていたため金に困ることはなかった。奮発して予約したのはNシティ屈指の高級レストランだという。毎年レストランの予約には必死だったから、恋人の死後もうっかり予約してしまったそうだ。
「別に君のためじゃない、俺のミスだ。あの子に比べたら君はこれだ」
何かがこちらに飛んできた。落とさないように両手で受け止めると、下手な蝶結びのリボンを巻いた薔薇の花が一本、棘は抜いてあった。リボンには無造作にホッチキスでカードが挟まれていた。それを見ると筆記体の英語で何かが書かれていた。
「……花を数えたら数が悪かったんだよ。一ダースって言ったのに」
キリトは目を合わせないように後ろ向きになった。せっかく姿勢がよくなった背中がまた曲がっていた。レストランに連れていってくれたり、わざわざ棘を抜いた薔薇にリボンとカードが添えられている。本当は優しいんだか優しくないんだか……
(ご飯食べたらジン君に何て書いてるのか聞いてこようっと)

2013/02/14

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