夕暮れの空、雲の果てを望むかのようにジンはCCMの画面を眺めていた。ドアが開く音がしても、足音が聞こえても顔を上げずそれに見入ったままだ。花の蜜を吸っている蝶を捕まえるよりも注意深く後ろからそっと近付き、バンはジンの両肩に手を乗せた。
「何見てるの?」
寝耳に水の呼びかけにジンは驚いたのか、CCMを折りたたもうとして親指を挟んだ。後ろからひょっこりと顔を覗かせたのがバンだったので安心し、上がった肩を下ろした。彼に限って怪しいものを見ていたとは思えないが、この驚きようは逆にバンの方が驚いているようだった。
驚かせてしまったことを謝ると、ジンはさっきまで見ていたものを見せてくれた。唯一残っている家族写真だ。事故現場の近くに落ちていたのを届けられたらしい。一年前、A国に留学するお守りにと持っていくように執事から勧められたという。ないとは思うが、旅先でなくしたり汚したりしてはいけない。そういうわけでCCMに移しておいた。
写真には夫婦と思われる男女と小さな子供が真ん中に写っていた。真ん中にいるのがジン、左側のアロハシャツの男性はおそらく父親、右側の美しい女性は母親なのだろう。カメラに向かって皆、笑っている。
「ジンってお父さん似なんだね」
「ああ、よく言われた……でも」
一度見たら忘れないだろう珍しい髪の色は父親から受け継いだ。しかし、ジンは何かに気付いてほしいらしく途中で言葉を切った。確かに髪の色はそっくりだが、父親はよく日に焼けている。その隣の母親は色白の小顔で、瞳が赤い。
「顔はお母さんに似てるよね」
「バン君こそお母様によく似ているよ」
小さい頃から母親とは瓜二つだと言われてきたが、あまり父親に似ていると言われたことはなかった。それでも、彼から血を受け継いだのは確かだ。そうでなければLBXを託すはずがなかったからだ。
「でも性格は父さん似なんだ。ああ見えても父さん、昔は色々と無茶してたらしいから」
なるほど、とジンは柔らかく笑った。

ジンは寂しくても苦しくても泣かないように、感情を表に出さないように祖父から教え込まれた。そのために感情表現は他の同年代の者と比べてもまだまだ下手だ。だが、一年前と比べると表情はどこか柔らかくなったように思えた。二人で話しているとき、バトルしているときはすごく自然な表情になっていた。大切なものをいくつも失ったという心の傷はまだ完全に癒えてはいない。それでもなんとかやっていけるが、時々無性に寂しくなる。そんなときはこの写真を見ると言った。
寂しい、嫌だ、苦しい、そんなことを決して人がいる前で口にしないが、この小さな体はとんでもない使命を背負っている。両親や祖父の死、海道家の建て直し、世界の命運……こんなに小さな入れ物には収まりきらないほどの重圧に押し潰されてしまいそうになることもあった。弱音を吐かず強く生きようと誓っても、弱い部分は恋人になる前からバンにだけは全て見透かされてしまっていた。
ジンはバンの隣で控えめに手を伸ばしては引っ込み、また伸ばしてくる。まるでカメかカタツムリのようだ。これでは手が触れ合うのがいつになることやら。それに気付いたバンは、ジンが恥ずかしくて殻にこもってしまう前になんとかしようと手をつかんだ。
「少しだけなら……」
「うん」
そして太陽のように温かい手が重なった。でも、体全体の方がもっと温かいことを知っている。抱き締められたら、その体温に骨まで溶かされてしまうくらいに熱くなってしまうのだから。
バンにしても、ジンの低い体温は心地いい。普段はクールに振る舞っていても、心は誰よりも熱く燃えている。ライバルとして見せる燃え上がる闘志と恋人として見せる情火は見ていてこちらまで熱くさせる。後者はスイッチが入るまでに時間がかかるのが難点だが、それも趣き深い。
このまま寄り添って全てを委ねてしまいたい。でもこれ以上はいけない、歯止めが効かなくなる……まだ、夕方だから。大人の時間を迎えるにはほんの少しだけ早い。

手を離したかと思えば、手の平をすくってきて指の間に指が滑り込む。本当にいけない、絡もうとする指をすり抜けてなんとか免れるものの、今度は両腕が背中に回された。
「バン君、もう、いいから……」
こうなってしまえば腕を振りほどく方法があるだろうか。触れる熱に鎧を溶かされ、槍で心臓を貫かれるような身を焼く苦しみを知った。いっそここで衷情を訴えてしまえばいいのだが、温湯の中で心が揺蕩うばかりで余計に苦しくなる。
「俺も寂しいの」
俺が、ではない。「俺も」と口にしたのはバンがジンの思っていることがわかっていたからだった。笑顔の中に悲しみを少し混ぜ合わせたような複雑な表情がそう言っていた。
彼は何て感情表現がうまいのだろう。思ったこと、したいことを全てやってのける。誰からも制御されずに育ったからなのだろうか。楽しいときに笑い、悲しいときに泣き、怒ったときには相手が誰であろうと怒れる。倍以上生きてきた大人にも、自分の父親にさえも。それが何度も羨ましいと同時に憎いと思った。

昼と夜のようなコントラストが綺麗なジンの前髪が揺れた。しかし、体の方は全く動かない。柔らかい頬がむにっと押し当てられ、バンは強ばる体をほぐすように背中を上下にさすってくる。
他の仲間は違う部屋でくつろいでいる。だから誰もいない部屋にこうして二人きり、自分だけでなく他人の感情も感じ取れる彼相手に勝ち目はなかった。
「……僕も、寂しい」
「わかってる」
ここが世界で一番穏やかになれて、一番穏やかになれない場所。子守唄のようなそよ風が安らぎを与え、暴風のように押し寄せては呼吸も何もかもを乱していく。これが世界一の男の愛し方なのだとでも言うように。

恋人として過ごしたクリスマスイブ、親友、そしてライバルとして過ごしたクリスマス。それから一緒に年を越して……ジンは留学に行ってしまった。感動の再会から数ヶ月、久々にしたバトルや共闘、歓迎パーティー……どれも楽しかった。でも、何か足りない。何かが足りないんだ。それが先程の表情の意味なのだろう。
思えば再会までの間にまた一つ年をとった。バンはジンに去年の誕生日を祝ってもらったけれども、その反対はなかった。その頃のジンはイノベーターにいたからだ。
「今年もジンの誕生日祝えなかったね」
やっと仲間になったかと思うと、今度は遠い国に行ってしまった。せめて誕生日までは一緒に過ごしてくれればよかったのに、と何度思ったことか。
「遅くなっちゃったけど……ジン、生まれてきてくれてありがとう。来年も、再来年も、これから先もずっと祝うから」
海道家で行なわれた形式ばった生誕の祝いではなく、親友からの祝福を受けた。時期が早いか遅い、当日か遅れて祝うのかは問題ではなく、誰よりも心を許せる者からの生への祝福がこんなにも嬉しいとわかった。
何百年も何千年も前から受け継がれた命と、お互いの両親が巡りあったおかげで生まれて、LBXが発明されたおかげで出会った。発明した本人がその存在に疑問を持ってあんな事件までを起こしたが、それでもヒーローに憧れる人間の人生を変え、死の淵に立たされた人間に生きる希望を与えた。
かつてジンの両親がそうしたように、今度は頼れる仲間とともに失われつつあるものを守っていこう。そして、限りある生を大切に、そんな思いを込めて二人は大切なものを抱き締めた。

2012/09/14

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