八月某日、暑い日が続く夏のことだ。ディテクターに代わり、オメガダインに対抗するための電力を確保するため、NICSやダックシャトル内では自主的な節電が行なわれていた。一日のうちで空を飛ばない数時間は、室内ではエアコンはおろか扇風機も動かない。そのときはもちろん照明もないので外の光を取り込み、なんとか一日を過ごしている。
今はなるべく薄着になり、皆で配られた数枚の紙を合わせてあおぐことにした。汗で服がべったりと貼り付き、気持ち悪い。ほんの数時間の辛抱なのだが、これが何日も続くとさすがに体に応える。だが、世界を守るためにこの苦しい行為は必要なのだ。

「あ、暑い……限界だ……」
「バンさん、僕もです……」
男子部屋のベッドの上でバンとヒロの二人はぐったりと横になっていた。横に置いていたペットボトルの中の水はすでに飲み干され、太陽の光を反射している。部屋の照明がなくても明るいが、そこには直射日光がギラギラと射している。あまりにも暑いので、ついに二人は上の服を脱ぎ始めた。この部屋に女子はいない、そのためにジンも仕方なく了承した。
さらに強くなった太陽が窓から差し込み、一番奥のベッドにいるユウヤの髪の周りに天使の輪が浮かび始めた。二人は暑さのあまり上半身裸に、ジンですら暑くてベストを脱いでいる。それに比べてユウヤの格好は、いつものゆったりとした緑の長袖の上着に黒い長ズボンと、中にも結構着込んでいた。

日が通り過ぎたベッドからジンはユウヤのいる場所に移動した。日光が黒い髪に当たり、すぐさま熱を持ってきた。一瞬日光を浴びた髪でこの熱さだ、ユウヤのズボンはそれ以上に熱くなっていた。
ジンはユウヤの肩にそっと触れると、声をかけた。
「その格好じゃ暑いだろう、上一枚くらい脱いだらどうだ」
ユウヤは顔面蒼白のままにこにこしていた。ジンの声かけを無視することは今まで一度もなかったが、今回は返事どころか反応の一つもなかった。
「……ユウヤ?」
またぼんやりと何かを考えているのかと肩をぽん、と軽く叩いてみる。ユウヤはにこにこしたまま真横に倒れた。何事かとバンとヒロも駆け寄った。
「大変です! ユウヤさんが目を開けたまま気絶してます!」
「水だ、誰か水を持ってきてくれ!」
暑さも寒さも感じない場所で九年間も過ごし、両親が生きていた頃や去年の夏はクーラーの効いた部屋で過ごしていたために、体温調節の方法がわからないユウヤにとって暑さは対処のしようがなかったのだ。
と、男子部屋では朝からこの騒ぎである。


一方の女子部屋は初めから誰もいなかったかのようにもぬけの殻だった。自主節電とはいえ、何も外出禁止ではない。電気が使えない間にランとジェシカは買い物を楽しんでいた。外でアイスを食べ、お土産にアイスをいくつか買って戻ってきた。
買ったものが入っている紙袋を部屋に置き、ドアが開けたままの男子部屋にアイスを届けに入った。が、この先は言うまでもない。

「早く服着ないとあたしが二人の分も食べるからね!」
「す、すみません! 今着ます!」
ユウヤは綺麗な水色のアイスを眺めていた。宝石みたいだと感嘆していたが、アイスはどろどろと溶けだしてきた。ジンに早く食べるように言われると、頭が痛くなったのか目をぎゅっと瞑っている。その間にも溶けたアイスは手の上を伝っていった。

買い物のついでにジェシカは海の様子を見てきたという。今シャトルを停めている場所から一番近い海はまだ朝だというのにぎゅうぎゅう詰めだったそうだ。この調子ではどこの海も同じようなものだろう。
任務がない日くらい海で遊びたい、そんなことをずっと前から言ってきた。せっかく買った水着も披露するチャンスがない、いや、海に行こうと思えば行けるのだがあの人口密度には耐えられない。そして、どこかに空いている海はないかという話になった。
「あるよね、ジン」
バンが突然ジンに笑いかけた。ジェシカが身を乗り出して聞くと、バンはジンの家のプライベートビーチに行けばいい、と答えた。ジンの祖父がリゾート用に買った常夏の無人島にある海のことだ。バンはそこに一度連れていってもらったことがある。
「すまないが今の季節は人が多いだろう。貸切には……」
今は真夏だ。多くの人々が涼しい海を求めてそこに集まってくる。人が何人いようとジンの権限で貸切にすることは可能だが、突然海に行けなくなった者達の気持ちを考えると諦めるしかない。
「プライベートビーチ? それよ!」
ジェシカはNICSのプライベートビーチのことを思い出した。ほぼ無償に近い形で尽くしてくれる従業員達にも休暇は必要だ。そういうわけでNICSの従業員専用の海があった。貸切とまではいかないが、他の海と比べると断然人は少ないだろう。
丁度放送が鳴り、電気が使えるようになったので早速行くことにした。


◇◆◇◆◇◆


砂浜にシャトルを停め、各部屋で水着に着替えた。新しい水着を買ったというランは赤とピンクが可愛らしいショートパンツの水着と、胸元には大きなリボンが付いている。ジェシカはチャーム付きの黄緑のビキニと頭にはサングラス姿だ。二人はまずパラソルの下に入った。
続いていつか泳ごうと水着を買っておいたというバンとヒロが出てきた。残りの二人はというとジンはパーカーと半ズボン、ユウヤにおいては蒸し暑そうな普段着だ。二人は別のパラソルの下に入った。
いち早く海に入ろうと準備体操をしているバンとヒロに呼び声がかかった。
「ちょっとそこの二人、これ背中に塗ってくれない?」
「あたしもお願い!」
ジェシカが手渡したのは日焼け止めローションだった。
二人はパラソルの下に連れていかれ、大丈夫と言われるまで後ろを向かされた。砂浜に寝そべって日焼けをする人々、サーフィンをする人々、さらにはバーベキューをしている人々が見えた。
「もう大丈夫よ」
振り返ると、とんでもない光景が広がっていた。前だけを水着で押さえて隠し、ほとんど裸に近い異性がうつ伏せになっているのだ。後ろ全体を見渡して満遍なく塗ろうとしても、視線はある一部分に集中してしまう。そのために背中が他と比べて白くなった。お互い隣を見れば同じように白くなった背中が見えた。
「なーんか背中がベタベタするなあ……」
「ちゃんと塗ってよ? 女の子の肌は紫外線に弱いんだから」
背中に塗りすぎた分を他の部分に回し、満足するまで塗らされた男子二人は、泳ぐ前から筋肉痛になったと嘆いた。
「楽しそうだね」
「そうだな」
短く言ってジンとユウヤは近くで買ってきたジュースを飲んだ。そして一息つくとジンはポケットから何かを取り出した。水色のキャップの付いた白い容器、メンズ用の日焼け止めだ。
「これを塗っておくといい。日焼けすると赤くなって痛むからな」
長い間日光をまともに浴びられなかったためにユウヤのそれに対する免疫はジン以上に低い。ぺたぺたとお互いの顔に日焼け止めを塗り合い、二人の顔は一層白く透き通るようになったと思えた。
その間も四人は水をかけ合ったり泳いだりと楽しそうだ。シャトル内の冷蔵庫から持ってきたらしく、すいか割りまでを始めた。そして、割ったすいかを二人の所にまで持ってきてくれた。
海に入らず、遊んでいる人々を眺めるのも二人にとっては退屈ではない。初めて見るものが多く、とても興味深いのだ。

しばらく眺めているうちに、海についての話になった。お互いに十四年の中で少しだけある思い出を語った。海に行くといつもカニばかりを追いかけていたジンと、砂山ばかりを作ってたユウヤ、何だかよく似ていると思った。海で泳いだ話はしなかった。
話が進むにつれてユウヤの足先がもぞもぞと動き始めた。何をしているのかと思えば、ジンの反応を確かめながら足を投げ出して砂を盛り上げている。
「そうだジン君、お山作ろうよ」
海といえば泳ぐより砂山作りが一番、ユウヤはそんな表情をしていた。二人は砂を集めて大きく積み上げた。山を崩さないように注意してトンネルも作った。その辺で拾った木の枝を挿し、貝殻を貼り付けて立派な山、むしろ城を作った。イメージは海道邸らしい。
「カニ山帝国だよ! ジン君が皇帝で僕は召使い」
何だそれ、と恥ずかしそうに笑うジン。そのすぐ近くで笑い声が聞こえた。
「あっちでもお山作ってるね」
顔を上げるとコブラが砂の上で寝ていた。誰が言い始めたのか四人は体の上に砂を乗せて何かを作っている。ヒロはここでも器用さを発揮していた。左右対称になるように砂の量を細かく調整し、形を整えている。
「あれは何をしているんだ?」
「センシマンガールを作っているみたいだよ」
ジンが向こうを指差して言うと、ユウヤはすかさず答えた。まだ砂を積み上げている段階なのに何故わかるのだろうと首を傾げたが、よく見れば砂に描かれた設計図があった。
砂の像が完成に近付くにつれバンとジェシカは腹を抱えて笑っていた。盛りに盛られた砂の胸が男の体の上にあるのが面白くてたまらないようだ。
「ちょっと、こいつスタイルよすぎ! なんかムカつく!」
砂をバケツに入れて戻ってきたランは奇妙なラインを持った山にチョップを叩き込んだ。右の山に続き左の山も平たく潰れ、呻き声とともに砂が流れ落ちた。
「これくらいで十分よ!」
とどめに腹の上にバケツの中の砂を全部ぶちまけた。
「ああっ、僕の力作がぁ……」


続いてビーチフラッグをすることになった。人数が多い方が面白いらしく、ジンとユウヤの二人も誘われた。丁度砂山作りも終わったところだ、少しくらい日陰から出てみようと思い、ルールを聞いた。
ビーチフラッグとは、数人で旗を取り合う競技らしい。本当なら五本旗を用意する必要があるがどうにも他で使用中らしく、一本しか借りられなかった。
「……服が汚れるんじゃないか」
洗い流せる水着か汚れても構わない服の着用が推奨されているというのはこのためか、ジンは辞退しようとした。ユウヤがまず引き止め、そこにバンが入ってくる。親友と幼なじみに言い寄られれば心が揺らぐだろう、二人はそれをわかっていた。
「そうだ、LBXですればいいんだよ! これなら文句ないよね?」
「さすがですバンさん!」
これなら服も汚れないと、弱いところを的確に、まさにこの言葉が今の状況を表していた。ついにはジンも折れ、参加することになった。
まず始めるに至って、多少ルールを変更する必要がある。人間の場合は約二十メートルの距離を開けるが、その四分の一の五メートルまでに減らした。ただ走って旗を取るだけの勝負なので重さに差がある武器や盾も外してコース外に置いた。あとは人間がするものと変わらない。

周りはいつの間にか人が集まっていた。近くにいた者に合図を頼み、各自LBXを後ろ向きにしてうつ伏せに寝かせて待った。
合図とともにミネルバとジャンヌDが他より数秒速く飛び出した。機動力を重視したストライダーフレームの機体はやはり速かった。ナイトフレームだが重い武器がない分トリトーンも素早く続いた。しかし、コースの途中に設置されていた落とし穴に、他の三体も砂に足を取られだいぶ苦戦している。
「こ、これはまさにセンシマンスペシャル……灼熱の砂浜地獄の……あ!」
リュウビのしっぽを踏んだペルセウスが倒れた。後ろから抜かそうとしたエルシオンもそれに巻き込まれた。しっぽに二体を乗せてずりずりと引きずるリュウビだったが、最終的に別の落とし穴に落ちた。
ミネルバとジャンヌDの接戦になり、ミネルバがわずかな差で旗を華麗に先取した。まさかの落とし穴に納得がいかず、二戦目が始まった。今度はジャンヌDが旗を獲得した。
喉も渇いてきたのでここで一旦休憩、観客からもらったジュースを六人は飲み干した。観客がバトルが見たいと沸いたので、三戦目は何でもありの試合となった。
スタートと同時にエルシオンとペルセウスが雪辱を果たすかのようにミネルバとジャンヌDに飛びかかった。一方、無駄な交戦を避けようとトリトーンとリュウビは間をすり抜けた。一メートルを越えたら落とし穴がある、二戦の間にそう確信して注意深く、だがなるべく速く駆け抜けるように足を進めた。それに気付いた四体は戦闘を止め、追いかけてくる。
ここで一番厄介なのは速いうえに二丁拳銃で遠距離と近距離攻撃を使い分けるジャンヌDだ。先程旗を取られたこともあって攻撃がそこに集中した。団子状になった五体をやり過ごそうとトリトーンは粘着ジェルを伸ばした。観客もいることだ、縛りおいておくだけでは味気ない。身動きの取れない機体を一体ずつ宙に打ち上げ、仕留めていった。
しかし、エルシオンやリュウビはそうもいかなかった。盾でジェルを防ぎ、それを捨てて旗を目がけて走っていく。ここでエルシオンが穴に落ちた。追ってこないように二体は穴に向かって各々の必殺ファンクションを繰り出した。
「僕が絶対旗を取るんだ!」
そう意気込むと少しでも軽く、そして速くするためにリュウビは武の剣を地面に突き刺した。続いてトリトーンはシーホースアンカーを横たえた。お互いが徒手となり、スピードもほぼ互角――大接戦の末、旗を勝ち取ったのはリュウビだった。

が、大歓声の中リュウビは旗を持ってどこかに行ってしまう。砂浜に並ぶパラソルの下をくぐり抜け、カニ山帝国などと名付けた砂山の前に立った。頂上には木の枝が刺さっている。それを抜いて旗を差し込んだ。新しい国を完成させるためにどうしても旗が必要だったそうだ。


◇◆◇◆◇◆


夕食はバーベキューに参加することになった。ビーチフラッグを見ていた観客がいいものを見せてくれたお礼にと、ごちそうを振る舞ってくれた。お腹いっぱいになるまで食べた後は月が出るまでバトルを楽しんだ。
その夜、ジンはまだ着替えずにいた。眠れないので散歩にでも出かけようと思いベッドを出た。頭を空にして砂浜と海の境界上を歩いた。これ以上境界線は越えなかった。
ここから遥かに遠い海で両親は眠っているが、海は世界中のどこであろうと繋がっている。海で両親を失い、皮肉にも海の付く姓をもらった。ジンにとってそれは切っても切れない存在だ。
ジンは海に足を浸して静かに目を閉じた。生命が生まれて還る場所にまた来てしまったと、ひとりでに息衝いた。
閉じられたパラソルの下に昼間に作った砂山――だったものがあった。それは波が当たって半分くらい崩れていた。そういえばあれから旗を返していなかった。だから旗を流されないうちに取った。
そこから数歩歩くと、遠くの方で何かが流れているのが見えた。しばらく眺めているとその「何か」がこちらに流れてきた。水流に全てを委ね、手足も動かさずラッコのように浮かぶそれは人影のように見えた。
「おーい」
聞き覚えのある呼び声に近寄ると、今度は声の主――ユウヤが遠くに流された。なかなか戻ってこない。
こんな時間に、こんな所で一体何をしているのか、ユウヤがクラゲのように流されていた。幸い溺れているのではなかったが、この時間の遊泳は危険だ。次に見付けると同時にトリトーンのジェルでユウヤを引き上げた。
「あんな所で何をしていたんだ?」
「何って……泳いでたんだよ」
何を着ているのかと思えば、実はこっそりと水着を買っていたらしい。彼いわく初めての水泳を楽しんでいたそうだが、あれはどう見ても流されていた。昼間に泳ぐ人を見ていたけれど泳ぎ方がよくわからないと、一番楽な姿勢で浮かんでいたそうだ。
「僕に泳ぎ方、教えてよ」
水着がないからダメだと言うジンにユウヤはかなり痛い質問をした。
「もしかして泳げないの?」
「そ、そんなわけないだろう!」
明らかに動揺していたジンだったが、純粋なユウヤは疑わずにそれを信じた。昔は父と一緒に泳ぐ練習をしたり、万一のために着衣泳を執事から教わった。泳げないのではない、ただブランクがあるだけだとジンは主張した。
陸と海の境界を二人で走って越え、ジンは両手を差し出した。昔父からバタ足を教わったことを思い出しながらユウヤの両手を支えた。
バシャバシャと音を立てるが、水しぶきが飛ぶだけで前に進まない。もっと音を立てたほうがいいのか、足を静かに動かせばいいのか考えているうちに何かぬるぬるしたものを踏んだ。
「うっ……」
ぬるぬるした魚が服の中に入って暴れまわっているような気持ち悪さに後ずさり、そのまま派手な音とともに転倒した。そこは浅かったので大事には至らなかったが、全身がずぶ濡れになった。

服が濡れてしまったので練習はここで中断、そろそろ陸に上がることにした。しかし、立ち上がったのはジンだけだった。ユウヤはというと、体を半分浸したまま海が恋しいのか悲しそうな目でじっと海を見詰めている。
「ユウヤ、また明日にしよう」
手を引いて立たせようとするものの、腰が抜けてしまったかのように動かない。服さえ濡れていなければもう少し付き合ってやれたのだが、この際仕方ない。あれこれと理由を説明し、乱暴にならないように引き上げようとした。が、途中まで引き上げたところで二人の血の気は引いてしまった。
濡れた体は潮風に吹かれ、さらには今の状況の深刻さに体温が数度下がったようにさえ思えた。沈黙のまま二、三秒が過ぎた。ジンは目どころか顔全体を逸らし、ユウヤは股間を押さえてしゃがみ込んだ。通りで立てなかったわけだ、二人で転んだ拍子に水着が流されてしまったらしい。
「そ、そんなつもりじゃなかったんだ! すまない!」
このまま波に攫われてどこか遠くに消え去ってしまいたい、そう言いたげにユウヤはさらに縮こまった。
「……僕のせいだ。探しにいってくる」
あれはただの事故だというのに責任を感じたジンは、パーカーを脱いでユウヤに渡すと付近を探し回った。まずは足が付く範囲で、それでも見付からなかったので少し奥の方へ進んでいく。あまり海やプールに泳ぎにいったことがなく、正直泳ぐのは得意ではない。ジンにしては珍しいことに恐怖が増してあまり先には進めなかった。
ここからはトリトーンの出番だ。底に沈んで魚につつかれていた水着を見事に取り戻し、ユウヤの元に届けた。
「ありがとうジン君! そうだ、これ直すのを手伝ってよ」
これ、というものは両手に乗せられたどろどろの砂でいいのだろうか。見たところ、砂の中に貝殻や木の枝がある。それは昼に作った砂山、いや、砂山だったものと言う方が正しいのだが。
「また立派なお城にするんだ! 今度はバン君たちもこのお山で一緒に……」
波が来るたびに積み上げられた砂は流されていく。ついには山の周りの砂をかき集めだしたが、それも流されてしまった。どんなに頑張って山を作り上げようとも、押し寄せた波が周りの穴に溜まっていくだけだった。
「……ねえ、見てないで手伝ってよ」
波はどんどん砂を持ち去っていく。山が城のように立派にならなくても構わないから、せめて二人の思い出の小山だけはここに留めておきたかった。一度崩れ落ちても立ち直れる、自分がそうだったからとユウヤは砂を集めて必死に戻そうとしていた。
その一方で、どんなに偉大なものだっていつかは衰退を向かえる、かつて栄華を誇っていた海道家がそうなのだからと崩れゆく砂山をジンは黙って見守っていた。
代わりに体で波を受けても横からいくらでも流れてくる、手で波を払ってあっちに行けと言っても聞いてくれない。さらにジンも見ているだけで何もしてくれなかった。国を捨てて一人で亡命する君主、このときユウヤの目にはジンがそんな風に冷たく映った。
「ジン君は……どうしてつらくないの」
ユウヤはいつもより低い声で怒ったように尋ねた。どうして何かを失ってもつらくないのか、一年前にバンからも同じようなことを聞かれたことがあった。
「……どうしようもないんだ。僕たちの両親やおじい様、そしてこの山も……もう元に戻ることはないんだ」
二人は多くのものを失った。出来ることならこれ以上大切なものを失いたくはないだろう。ユウヤだってもう小さな子供ではない、それくらいのことはわかっている。だからこそ砂山が全ての終着点の海に還るのを見届けようとしていたのだ。
ジンは一年前の冬のことを話した。多くの大切なものを失ったが、彼のために戦ってくれる新たな友を見付けたということを。それを落ち着いた口調で話した後、こう語った。
「僕には君が、君には僕がいる。他にも大切な仲間がいるだろう」
四人の新しい仲間、頼りになる大人達、バトルで関わった人々のこと……閉ざされた場所にいた頃には決して出会えなかった。現に直面している悪は存在するが、この世界は決して悪意に満ちた世界ではない。この一年に出会った人々はほとんどがいい人だったのだから。
ユウヤにとっては全てが、ジンにとっても世界にはまだまだ驚かされることが多い。もっと世界中を旅して様々な物事を吸収して、空っぽの容器を知識の水が溢れるくらいにいっぱいにしたい、そう思うユウヤだった。

急に何を思ったのかユウヤは波が来ない場所まで走っていき、新しい砂山を作り始めた。目立たない場所だったが、ここなら崩れることはないだろう。
かつて砂山があった場所は少しだけ膨らんでいた。それが唯一の存在を証明していた。そして、その膨らみも徐々に流されて、仕舞いには跡形もなくなってしまった。そこは元の平らな砂浜に戻ったので、小さく「さよなら」とだけ呟いた。もう悲しくはなかった。


次の朝早くに来てみると、丁度砂山があった場所に奇妙な物体が流れ着いていた。海草が絡み付いたそれはぬるぬるしていたためにジンは触るのを嫌がったが、ユウヤはそれにゆっくりと触れてみた。
興味深そうに海草をめくってみると、そこから陽を受けた眩しい虹色の光が反射した。少し驚いたが、日陰に持っていって眺めてみるとそれは薄い桃色をした巻き貝だった。綺麗だから他の皆にも見せてあげようとシャトルから出ているはしごを上った。
「ねえジン君、これ、海の神様の贈り物かな」
砂山を作ったときのように何だそれ、と言おうとしたが、やめておいた。ユウヤの優しさに触れた海の神とやらがお礼にくれたんだ、そう返すことにした。

2012/08/01

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