男子寮の風呂を出た廊下を駆け回る音がする。
裸足でぺたぺた、濡れて垂れ下がった髪からは水滴がぼたぼた。最低限のタオルを腰に巻き、水泳時にも使える大きなタオルのボタンの上一つだけをとめたマントで猛ダッシュしているのはギンジロウだ。
一緒に風呂に入った者の誰よりも早くフルーツ牛乳を取り、腰に手を当てて一気飲みだ。ココアは置いていないので代用品である。
続いて、就寝用のジャージを着たカゲトラがやってきた。自分の牛乳はキープしておきながら、わしわしとギンジロウの髪をタオルで拭いてやる。
「歯はしっかり磨くんだぞ。虫歯になったら大変だからな」
「お前は俺様の母ちゃんかよ……」
などと、文句を言いつつも髪を拭いてもらうときは散発後の洗髪のように夢心地だ。うっかり眠ってしまいそうになるのを、頭を横に振って目を覚ます。そして、服を着替えて歯を磨く。

場所は寮の中心にある男女共用の談話室へと変わる。
「いやいや、ウチのオカンでもあんなうるさないわ」
「だってあいつ、お前のいないときは俺様ばっか注意するんだぜ?」
「そりゃ災難やなぁ……」
同じ悩みを持つスズネとギンジロウ。悩みの種がこちらに向かってくるのが見えたので、話をやめる。愚痴大会を開くのもいいが、好物のカレーを食べたり、ココアを飲めばどんなこともすっきりする。
明日は日曜日で授業もウォータイムもない。食堂も開いているが、せっかくなので何人かを誘って軽食のある純喫茶スワローへ行くことにした。


翌日、何故かスワローは臨時休業だった。スズネはとぼとぼと食堂に向かい、カレーを注文する。一方、ギンジロウはカゲトラを捕まえて調理室に連れ込む。
「俺様のためにスペシャルなココアを作れ!」
「……は?」
調理室のドアが閉められる。ドアと体で出られないように挟むけれども、下駄の歯を含めても頭一つ分と少しの身長差のせいで全く圧迫感が感じられない。背伸びしてさらに見上げている様子に呆れ、カゲトラは動こうともしない。
材料だけは準備したからとギンジロウカスタムスペシャルココアの再現を頼む。ミルクと粉砂糖たっぷりで胸焼けを起こしそうな激甘ココアの上に、チョコレートソースのかかった生クリーム。さらに、マシュマロがこぼれそうなほど埋め込まれている。甘党すらもその甘さには震撼するという、殺人的甘さのココアだ。
「これができたらお前にココアの命名権をやるぞ。どうだ、ありがたいだろう! ……もぐ」
マシュマロの袋の口がいつの間にか開き、中身がごっそりと減っている。
命名権などをもらってもありがたくも何ともなかったが、黙々とカゲトラは作業をしていた。ホイップクリームにチョコレートソースを垂らし、ようやくマシュマロが入れられるようになったが、すぐそばにあった袋がない。

「あー! 返せよ俺様のマシュマロ!!」
「今食べてどうするんだ」
カゲトラはマシュマロを奪い取り、届かない位置まで手を上げる。背伸びをしたり飛び跳ねたりと騒がしいが、どう足掻こうと届かない。悪知恵を働かしたギンジロウは椅子の上に立ち、手を伸ばす。
「そんな所に下駄のまま立つと危な……ほらみろ」
片手でバランスを崩したギンジロウを支え、もう片手で宙に浮いたマシュマロの袋をつかみ取る。どちらにも被害がなかったのは幸いだが、これでは作業に集中できない。
「お前にも特別に一つやるよ」
持っていたマシュマロを一つ差し出され、口にしてみる。噛めばやわらかく、舌には甘みを感じる。懐かしく優しい味だ。
「だから俺様にも一つよこせ!」
結局それが言いたかったのか、言葉に甘えて食べるのが大きな間違いだった。だが、約束通りマシュマロをあげなければならないと委員長としてのプライドが顔を覗かせる。
「これで最後だからな」
マシュマロを一つだけ残し、袋に封をした。
「あむ」
差し出した手を下ろす前に人差し指の第一関節辺りまでをくわえられる。両手で逃げないよう手首をつかまれ、指紋をなぞるように舐められる。
「おい、俺の指まで食べる気か」
「らってゆび、おいひぃ……」
ココアパウダーに砂糖、クリームに隠し味のはちみつなどに触れた指がよほど甘くておいしいのだろう。指をくわえたままでうまく喋れない様子を見ていれば怒る気も失せてしまう。こうなれば気が済むまで舐めさせてやるしかない。
いや、指などよりもあの激甘ココアを平気で口にするあちらの舌の方が何倍も何倍も甘いに違いない。指を口から離し、代わりに舌を差し込んでみればどうか。きっと熱いココアの上でやわらかくなるマシュマロのようにお互いが溶けてしまうだろう。
(……昼間から何を考えているんだ! 俺はクラスの模範になるべき委員長だろう!)
どうも指を舐めさせる行為は何かを連想させる。カゲトラはくわえさせていた指を引っこ抜き、エプロンに煩悩を隠した。冷たい水で手を洗えば熱もなんとか収まった。

手を洗ってから数分。ハーネスの生徒達がいい香りに釣られて続々と集まってきた。さらには一部女子の手伝いも入り、クラス全員分のココアを作ることになってしまう。
マシュマロは目を離した隙に残りものと思われたのか、女子達がおやつに食べている。止める間もなく胃の中に入れられ、クリームに乗せられることはなかった。
その代わりにスペシャルなココアとしてラテアートがリクエストされる。粉を入れて甘さを調整してお湯を入れてアレンジすれば完成のはずが、予想以上にハイレベルな技術を要求されることになるとは誰が思っただろうか。
「たまにはココアもいいですわね」
「うん、おいしいね! この時期にもぴったりだよ」
などと、クラスメイト達はおいしそうに温かいココアを飲んでいる。それなのに、何故素人がこのような過酷な作業をしなければならないのか。
「まだか? 俺様は喉が渇いたぞ」
「俺にはこれ以上無理だ。今度スワローに行ったときでもマスターにやってもらえ」
突き放すように渡されたココアはすっかり冷め、アイスココアのようになってしまっていた。どんな言葉が返ってこようとも無理なものは無理だ。
「尻……?」
「ちゃうちゃう、これはハートや! 逆にして見てみい、ハートやろ!」
向きが悪かったらしく、スズネがツッコミのフォローを入れる。偶然にもクリームの混ざり具合がハート形に見せたらしい。ココアは冷めているのに何だか頬が温かかった。
(絵は失敗したけど喜んでるし、練習してみるか……)
あれだけめちゃくちゃな注文をされたのに、コップが大きいからと両手でココアを持って上目遣いをされれば不思議と憎めない。ギンジロウにクリームのヒゲができているのをティッシュで拭いてやる。そもそも、好きでもない相手にこんなに世話を焼くことはないだろう。

数週間後、カゲトラカスタムスペシャルココアと名付けられたココアには、マシュマロの代わりに猫やうさぎ、数か月後にはLBXのラテアートが浮かぶようになった。
2013/12/08

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