ある夏の夜、寝苦しさに目が覚めた。この熱帯夜ではクーラーの許可が下りるかと部屋の温度計を見たがあと一度足りなかった。
万全の警備のある学生寮だが、夜間窓を開けっぱなしにしていれば何があるかわからない。安全のためとはいえ、閉めきった部屋はとてつもなく暑い。中途半端な時間に起きてもすることがない。散歩に出かけようにもこの時間は基本的に外出は禁止されているし、トイレ以外で部屋の外にも出られない。ベッドで横になっていればそのうち眠れると思ったがこの暑さだ。
星空でも眺めようと窓を開けようと思えば、一定の気温になったらしくクーラーの電源が自動的についた。これで寝苦しい夜ともしばらくのお別れだ。ムラクはカーテンを閉めてベッドの上に体を預けた。
その直後、窓をノックする音が聞こえた。まず二回、しばらく間を置いて今度は四回。空耳にしては数が多すぎる。
不審者ならば通報、学園の者ならば注意をすればいい。これも業績に入るらしいが、このときは純粋な好奇心でカーテンの隙間から覗いてみた。
ノック音の主がこちらを見ながら歯を見せて笑っていた。
「なんだアラタか。こんな時間にそこで何をしている?」
「ラボの帰り。ムラクこそ窓の外なんか見て何してたんだよ」
まさか暑さで眠れず、気温が上がってクーラーが使えるのを期待していたなんて言えるわけがない。適当に話を濁し、仕方ないなという表情で会話を続けるように促す。個室ならば誰にもわからないし、迷惑をかけることもない。
「……少しだけだからな」
「やった!」
すかさず人差し指を立てて声を抑えるようにさせる。

唇の動きで何を言っているのかがわかればよかったのだが、さすがにそうはいかないのでなるべく小声で言葉を交わす。テンションが上がるごとに声が大きくなるアラタを制するために常に立てた人差し指を見えない位置に置いておくのも忘れない。
(メールアドレスでも聞いておけばよかったか)
変な時間とはいえ、遊びに来てくれたのは嬉しい。しかし、毎日これが続くとなると精神的にまいってしまう。
小声でも聞こえるようにとアラタはどんどん身を乗り出してくる。体を支えるために添えられた手だが、機械用の油が手形となりべったりと窓に付着する。これはさすがの彼でもまずいと思い、ティッシュで汚れを落としてからあまり汚れていない右手の指先だけを窓に添える。
この瞬間ムラクは何も言うことなく左手の手袋を外し、指先と指先を窓ごしに重ね合わせた。
戦火を幾度となく交え、言葉よりも武器をぶつけ合う二人だがお互いの手の温かさと感触は知らない。それでも手はこんな冷え切って硬いガラスよりもずっと温かくやわらかいのだろう。
あれから数分、外気とガラスに触れて冷たかった指先が体温で少し温まってきた。まるですぐそばで触れているかのように温かい。それでも硬い感触が触れているのがただのガラスなのだと伝えてくる。
今は体温を想像するだけでいい。触れるのは指先だけでいい。願うなら国境のない場所でたった一本の指が触れるだけでいい。それ以上のことは望まない。

指先を重ねたまま陰る月の裏に感情を隠して小声で会話を交わす。
窓という国境が隔てる二人の距離は指先が重ねられるくらいに近くて、体温を感じられないほどに遠い。今の段階ではお互いの生を、熱さを感じられる唯一の場所は戦場しかない。


「ん? 雨だ」
月が隠れてしまった曇り空。消えかかった外灯が照らすのは決して消えない二人の距離。
学生寮に申し訳程度の屋根はあるけれども、斜めに降る雨の前ではどうしようもない。みるみるうちに制服の色が深海のような濃い青色に変わっていく。
「ここにいては風邪をひく」
小さな声では雨にかき消されてしまう。しかし、大声を出せば他の部屋の生徒達が何事かと起きてくるだろう。
明日少しでも話せたら、叶うかどうかもわからない願いを見えない星に託す。また冷たくなってしまった指先を離し、手を振った。

自分で選んだわけではないが二人は敵対関係に置かれている。友情やそれ以上の感情を抱くのも本当はおかしいのかもしれない。どちらにも大切な戦友はいる。この先は異なる目標のため激突することは多く考えられる。どちらかが先に倒れることだってありえる。
アラタは水たまりを蹴って走りだす。ムラクは手形を残さないように窓を拭いてからカーテンを閉じる。
「他の奴には絶対に渡さない。お前を倒すのは俺だ」
これはどちらが言ったのだろう。激しい雨は声をさらったまま教えてくれなかった。

12/27一部修正
2013/09/10

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