「明日休んだらもう呼びに来ないから」

 帰り際に笑顔で言い放った月島に佐伯は激しく動揺した。というのも彼、月島蛍は対佐伯にやめる≠ニ言ったらやめてしまうのだ。じゃあ明日、ちゃんと起きるんだよ。まるで母親のように念押しした月島へ手を振り見送りながらぼんやりと明日の起床時間を計算する。

「……留年は、よくないよなぁ」

 電源が切れたままの携帯端末を起動させ、ポチポチとアラーム設定を一つ増やした。
 翌日、けたたましく鳴り響く目覚まし時計とアラーム、インターホンの音も虚しく起床することのできなかった佐伯は、授業開始時刻から一時間半を過ぎたところで目を覚まし、慌てて身支度を整え家を出る。

「何で朝から走らないといけないんだ」

 寝こけてしまった自分へ悪態をつき、現在時刻を確認して足を止めた佐伯は諦めたように欠伸をこぼした。
 大半を歩いていたが、数分か、数十秒か走って進めば程なくして見えた坂ノ下商店という看板をぼんやりと確認する。目的地である県立烏野高校までは、もう少しと言ったところか。気怠げに携帯端末を開いた佐伯は迷うことなく行動出来ている自分に感心した。

 今日に至るまで幼馴染に迷惑を掛け続けた方向音痴は改善の兆しが見えている。──気持ち次第で変わるようなものでも、一朝一夕で変わるものでもないとは言ってはいけない。
 明日もそうとは限らない程度の些細な良い事でも、佐伯にとっては貴重な動力であるからだ。

「一の五、一の五……」

 忘れないようにぶつぶつと呟きながら佐伯は数分前のことを思い返す。学校までの道のり確認のついでに見た時刻は十時になるか否かであり、入学式の翌日からぎっしりと授業が入っているとも思えず、またもや無断欠席になるのではないかと頭を悩ませた。
 そもそも悪いのは寝坊した佐伯であるが、その事実からは目を背けて小走りでこれからの学び舎を目指す。

「遠い……」

 肩で息をしながらやっとの思いで校門を潜り抜けた佐伯は何とか下駄箱を見つけ出し、鞄に入れたはずの校内シューズを探すのを途中で諦めると教室の場所を知るために職員室を探した。
 さほど彷徨うことなく直ぐに見つけることの出来た教員の揃うその部屋のドアをノックし、ガラガラと開けた佐伯は途端に集まる視線をものともせずに言い放つ。

「昨日入学した五組の佐伯なんですけど教室ってどこですか?」

 登校時間に見合わないぽけーとした声で発せられた言葉に一瞬シン──と静まり返り、我に返った一人の教員が佐伯へ近づいた。

「君が佐伯君か! そろそろ来る頃かと思ってたよ」
「……はあ、そうですか」
「今日は僕が教室まで案内するので、覚えてくださいね」
「お願いします」

 佐伯はよく分からないまま相槌を打ち、にこりと笑った眼鏡の教員の厚意に甘えて後ろ付いて行った。


 数分か、数時間か。自分の席につくなり意識を夢の中へ飛ばした佐伯を呼び起こした月島は呆れ切った顔で佐伯を見下ろす。

「……折角来ても寝てたら意味ないでしょ」
「今日のボクは頑張った……」
「頑張っても遅刻してるんだけど?」
「起きたら時間との勝負に敗北してたんだ」

 このボクが走って来たんだから十分でしょ? 登校時に諦めたシューズを鞄から取り出し、投げるように床へ落として言う佐伯に月島はため息を吐いた。

「靴下洗うの大変だネ」
「ああそっか。めんどくさいなぁ」

 ズズズと音を立てて立ち上がり、大きく伸びをした佐伯が筆箱すら入っていない鞄を掴んだことを確認した月島は先に教室を後にした。月島を追い掛ける二つの足音が同じタイミングで止まったことに振り返った月島ははたと気がつく。
 大抵の時間をどちらか一方と過ごしていた月島は、二人が共通の友人であるかのような錯覚を起こしていたのである。事実、月島にとっては二人とも幼馴染関係であり、今まで一切会ったことがない方が不思議に思うほどには交流してきていたのだ。無理もない。

「あっ、ツッキーの幼馴染の! 俺、山口忠。えっと、よろしく」
「……佐伯柚木」

 ニッと笑った山口に首だけで頭を下げた佐伯は隠れるように月島に駆け寄る。こういうところは昔から変わらないんだな。漠然と過去を思い返した月島は階段を一段踏み外した。

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