スノードロップ
(体が、熱い…) 私は真っ黒な空間に立ち尽くしていた。 どこを見ても黒。黒。黒。 それも、夜空のような澄んだ黒ではない。濃い泥や墨をそこらじゅうに塗りたくったような、執拗で、粘っこい黒に、あたりは包まれていた。 カーン、と金属と金属がぶつかるような音が響く。その途端、私は立っていられないほどの頭痛に襲われた。 「ぅ、ぐ…っ」 うずくまって、痛みに耐える。その間にも、カーン、という音が何度も何度も聞こえる。その音がする度に、私の頭痛は激しさを増した。 呻き声を上げながら、耐えて、耐えて、どのくらいの時間が経ったか。気づくと音は止んでいた。 まだじんじんと痛む頭を押さえながら、ゆっくりと立ち上がる。 「ここ、どこ…?」 自分の体すら見えないほどの真っ暗闇の中、周囲を見回す。 ふいに、遠くにぼんやりとした明かりが灯った。 纏わり付くような闇から逃げたくて、縋るように、明かりの方へ向かう。水の中を走ろうとしているかのように体が重い。 ようやく光が近くに見えてきた。 「あれは…」 目を凝らすと、光の源の姿が見えてきた。光を放っていたのは、一本の真っ白な木だった。 木に近づこうと一歩踏み出すと、また音が聞こえてきた。さっきよりも近くで、カーン、カーン、と何かがぶつかり合っているようだ。 ぶり返してきた痛みに顔を歪めながら白い木に目を遣ると、誰かがその木に釘を打ち込んでいるのが見えた。
*** 「ぅ、…」 体がぎしりと軋む。頭痛がまるで警鐘のように私を苛む。 うっすらと目を開くと、目の前に大きな赤い一つ目があった。 「よの、わー、る」 彼の名を呼ぶと、喉が潰れたように掠れた声が出る。 ヨノワールが心配気に私を覗き込んでいる。覗き込まれている?どうやら、私はベッドに横たえられていたらしい。 「あれ…?私は…?」 起き上がろうとしたが、うまく体を動かせない。ひどい悪夢を見てしまったのか、疲れ切っている。ただの恐怖というよりも、信じられないような気持ちや絶望が勝っていたのは覚えているけれど、他のことは何も思い出せない。大切なことだったような気は、しているのだけど。 枕元の時計を見ると、時刻は16時44分。窓の外はもう日が傾いていた。 ヨノワールは私の頭をそっと撫でると、部屋の外に出て行く。その足取りがあまりにもふらついていて危なっかしく、慌てて止めようとしたけれど、体は鉛のように重くピクリとも動かなかった。 (ああ…病気のヨノワールに逆に看病されてしまうなんて、また迷惑をかけてしまった…。気づかないうちに看病疲れが溜まってたのかな、気をつけないと) ヨノワールが、やはり覚束ない動作で、部屋に入ってくる。その手には、俯くように咲いた小さな白い花。 (そうだ、一輪挿し、スイセンの、作ろうと…) ぼんやりとした頭が、無意識に記憶を辿ろうとする。 けれど、それも長くは続かなかった。 ヨノワールが花瓶にその花を入れたところで、私の意識は途切れた。
スノードロップ (あなたの×を望む)
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