カランコエ

 私は、ずっと、ヨノワールを待っていた。
 何日が過ぎただろうか。この数日のうちに、周りのお墓を訪れる人が何人かいた。それ以外は、私の生活は何も変わらなかった。日中は、雲の流れを眺めたり、近くの木にやってくる小鳥を観察したりして過ごす。夜になると、山中の霊園であるらしいここは、満天の星空を眺められた。この体になってからも、眠ろうと思えば眠れるようだ。眠っている間に消えてしまったとしても、今の私は誰にも気づいてもらえないんだろうな、と思うとあまり眠る気にはなれないけれど。
(ヨノワールは、きっと生きてる。ヨノワールが私を置いてどこかに行くはずがない)
 私は、地面に寝そべって、空を見上げる。真っ青な空は澄み切っていて、じっと見つめていると、空に落ちてしまいそうな奇妙な感覚に陥った。
(今日はいい天気だなぁ、朝方はすごい雨だったけど)
 雨が降っているときは、近くのバス停の簡素な屋根の下で雨宿りをすることにしている。雨も私の体に触れられないのだから、濡れはしないのだけれど、やはり自分の体をたくさんの雨粒が通り過ぎていくのを見るのは、気分の良いものではなかった。
 眩しくなり、ごろんと寝返りを打つ。横に向いた私の視界に、黒いものが映る。丸いお腹に、見慣れた黄色のギザギザ。赤い大きな一つ目。
「…!ヨノワールっ!」
 跳ね起きた私は、すり抜けてしまうことも忘れてヨノワールに飛びついた。しかし、手にはいつぶりかのあたたかな感触。
「ヨノワール、触れてる…!」
 じわりと目頭が熱くなる。相変わらず涙は出なかったけれど、ヨノワールは私の様子を見て察してくれたのか、いつものように頭を撫でてくれた。
「よかった、ヨノワール、よかった、また会えた…」
 ぎゅっとしがみつく私の背中を、ヨノワールが優しくさする。死んで以来初めての温もりに、家族との再会に、私は久しぶりに心の底から安堵した。
 しかしそれも束の間、先の不安が私を襲う。
「ヨノワール、あのね、私、これからどうしたらいいかわからない…」
 ヨノワールは少し考え込むような仕草を見せた後、私を抱き上げた。驚いてバランスを崩しそうになった私は、慌ててヨノワールにしがみつく。
 私の体勢が安定したのを見ると、ヨノワールは目の前に自分の片手を差し出した。
 黒い穴が、空中に生まれる。その黒色はどこかで見たような、けれど思い出せない。
「あの世に、つれていってくれるの?」
 ポケモン図鑑に載っていたヨノワールの生態を思い出しながら、彼を見上げる。
 しかしヨノワールは首を横に振った。どこに行くかの疑問は解消されなかったけれど、私は彼を信じていた。彼がつれていってくれるのなら、きっと安全なところだ。
 彼は私をしっかりと抱え直すと、目の前にぽっかりと開いた黒い穴に滑るように入っていった。
 
***
 
 穴を抜けると、そこは真っ黒な世界だった。自分のことも、ヨノワールのことも見えなくなる。どこか嫌な感じがして、怖くて体が竦む。
 私を抱えていたヨノワールはそれに気づいたのか、私たちの周りに火の玉を生み出してくれた。ぽっと青白い明かりが灯り、ヨノワールの顔が見えるようになる。心配そうな目で私を覗き込むヨノワールに、ありがとう、と微笑み返した。
 真っ暗闇の中をしばらく進むと、遠くに茶色く四角い物が浮かび上がった。それはどんどん近づいて、はっきりと見えてくる。
「これは…扉?」
 ヨノワールに抱き上げられたまま、目前に迫った木製の扉を見上げる。闇の中に浮かび上がった扉はどこか異様で、だけどどこか懐かしい雰囲気を感じる。
 ヨノワールは、開けてみなさい、と言いたげな表情で燻んだ金色のドアノブを指差した。恐る恐る、私はドアノブに手を伸ばす。

 触れた。

 がちゃり、とドアノブが回る音がする。開いた扉の先に広がったのは、生前の私が暮らしていた自室。
 驚きのあまり、言葉を失う。一瞬の後、ヨノワールに問いかけた。
「これは、本物…?」
 しかし彼は、残念そうに首を横に振る。
 ヨノワールは、滑るように扉の中へと進む。そして、部屋の中央あたりに来ると、私をおろした。
 自由に動き回れるようになった私は、きょろきょろと周りを見渡す。ベッドも、クローゼットも、机も、カーテンも、すべて私の部屋と同じ見た目をしていた。
 恐々と、ベッドのふちに触れてみる。
「!…さわれた!」
 いろんな物をすり抜けてばかりだった指先に、ベッドが触れる。柔らかく弾力があり、だけど表面の布はパリッとしていて少し硬い私のベッド。
 歓声を上げた私は、カーテンや机をぺたぺたと触り、意味もなくパカパカとクローゼットを開いたり閉じたりしてみる。クローゼットの中にも、どうやら生前着ていた服が入っているようだ。
「ヨノワール、ぅ…」
 一通りの家具を触り終えた私は、もう一度ヨノワールの体に、ぎゅむっと抱き着いた。ヨノワールは、私の背中をとんとんとあやすようにたたく。彼の大きな手つきは、やはりとても優しい。
 ふと、思い出したように、ヨノワールは私から体を離した。
 そして、私の前に何かを差し出す。
「これは…?」
 赤みの濃いオレンジ色の、ラッパのように開いた小さな花。何本か束ねられたそれは、まるでお祝いのブーケのように華やかで、幽霊の私には場違いなほどだ。お墓には、白や黄色の菊や百合ばかり供えられていたのに…
 それを見て、私の墓前に供えられていた青い花のことを思い出した。
「もしかして、ヨノワール、私のお墓に、青い花供えてくれてた?」
 私が尋ねると、ヨノワールは驚いたように微かに目を見開いて、頷いた。
「そっか、じゃあきっと、入れ違いになってたんだね。私がここにいないと思って、他のところ、探しに行ってくれてたのかな」
 ヨノワールは頷く。優しい彼のことだから、きっと慌てふためいて探し回ったんだろう。幽霊になった私が寂しがってやいないか、と。
「ふふ、あなたがいてくれてよかった。私、あなたがいないと、生きていけないかもしれない。…あっ、私もう死んじゃってた!」
 一人でくすくす笑い出した私に、ヨノワールから少し困ったような雰囲気が伝わってくる。昔のようなやりとりが嬉しくて、私はヨノワールに、もう一度抱き着いた。

カランコエ
(幸福を告げる)

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