まっさらの姫君 | ナノ
ロ三人で


「これは…一時的な興奮状態による血圧の急上昇ですね」
 ナナシは、輝きの洞窟でフレア団を全て倒した後、倒れた。
 ジョーイさんが、ナナシに点滴を打ちながら、オレを安心させるように優しい口調で言ってくれる。
 輝きの洞窟でのナナシは、明らかに様子がおかしかった。おそらく、採掘場を見たことで、記憶が呼び覚まされてしまったのだろう。
 迂闊だった…ナナシのおかあさんから事情を聞いていたのに、安易に誘うべきではない場所だった。
 オレが罪悪感で俯いていると、ジョーイさんはそんなオレを気遣ってくれたのか、笑顔で続けた。
「安静にしていれば治りますよ。大丈夫です」
「そうか…よかったです」
「彼氏さん、側で見守ってあげてくださいね」
「…はい」
 彼氏というくすぐったい勘違いも今は否定する気にならないほど、オレは自分を責めていた。
 ガラガラ、と音がして、カセキ研究所の研究員が入ってくる。
「助手クンが戻ってきたのは、キミたちのおかげだったんだってね、ありがとう。これを持っていきなさい、きっと役に立つはずだ」
 不思議な色に光り輝く石を受け取ると、オレはそれをそっと、眠るナナシの胸元に置く。
「それにしても…まだ幼い子をここまで消耗させてしまうなんて…」
 研究員は研究員なりに考えていたらしく、俯いて首を振る。
「ああ、そうだ。これ、やっぱりポケモンのカセキだったんだよ。…プテラっていうんだ。彼女に渡してあげてほしい」
 研究員はモンスターボールをオレに渡すと、気まずそうに去っていった。

 オレは、ナナシの過去を知っていた。ナナシのおかあさんから、オレだけが聞かされていた、過去だ。
 過去に、彼女はカントーで、炭鉱の採掘者の父親と、平凡な母親と、三人で幸せに暮らしていた。ロケット団という悪の組織をほぼ一人で壊滅させたという、伝説的なレッドという少年に憧れ、追いかけながら、彼女は平和に大きくなった。
 しかし、その幸せにも、終わりが訪れる。ロケット団の残党が起こした事件で、炭鉱の入り口が閉ざされてしまったのだ。
 充満するガスの中、死んでいく採掘者たちが何を思っていたのかは分からない。彼女の父親が掘り起こされた時、その手には家族写真のロケットペンダントと、ひみつのコハク…彼女がいつも大切そうに抱いていたプテラのカセキを、抱えていたらしい。

「ん…」
 ふと、ナナシが身じろぎする。うっすらと開いた黒い瞳は、何もうつさずに、ぼんやりと空中を眺めていた。
「ナナシ!目が覚めたのか!?」
 ナナシはオレに目をとめると、迷惑かけちゃったぁ、と申し訳なさそうに眉を下げて笑う。
「ごめんね、倒れるつもりはなかったんだけど…」
「無理もないよ。つらい記憶をいっぺんに思い出したんだから」

「ううん、私…おとうさんのこと思い出せなかったら、そっちの方が悲しいだろうなって、思ってたの。だからこうやって思い出せて、きっと、よかったんだよ」

「ナナシ、ごめん、守ってやれなくて、ごめん…」
 無理をして笑っているのと、本気で言っているのと、半々くらいか。ナナシの健気な微笑みを見ていると、悔しさで涙が出そうになる。
 ふと手の中のモンスターボールのことを思い出して、ナナシに手渡す。
「これは…?」
「キミがいつも抱いていた金色の石だ。プテラ、というポケモンらしい」

「…やっと会えたね」

 ナナシは父親の忘れ形見を前にして、泣きそうな顔でふにゃりと笑った。
「名前を、付けてあげてくれ」
 ナナシは顔を上げると、強い意志のみなぎる表情で、モンスターボールを握りしめた。
「フルサト。…あなたは私の、フルサトよ」
 その顔にはもう、迷いも悲壮感もなかった。強い人だ。オレはなぜか、胸のあたりがぎゅうっと締め付けられるような思いになった。
「思い出せて、よかった。おかあさんに全てを背負わせることにならなくて、本当によかった。…これからは三人で、がんばろう」
 ナナシはボールをこつんと額に当てて、目を閉じて笑顔を浮かべる。それは本当にきれいな微笑みで、オレの頬をあたたかいものが伝って、それを見られたくなくて。気づけばオレは、ナナシを抱きしめていた。

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