まっさらの姫君 | ナノ
ロそれぞれの心情


「ちょっといいかな?…お隣さん?」
 カフェの前に着くとカルム君はもう来ていたらしく、きょろきょろと都心にうろたえている私は、怪訝そうな顔で呼び止められた。
「この間の研究所では…ありがとう」
 私がカルム君の代わりはいない、と言ったことに対してだろう。カルム君は照れ臭そうに笑うと、「俺は親を引き合いに出されてばっかりで…あんな風に言ってくれる人、いなかったから」と言った。やっぱり、カルム君から薄っすらと感じていた劣等感のようなものは、それが原因だったのか。
「ごめん、それだけ言いたかったんだ。立ち話もなんだから、カフェに入ろうか」

 カフェに入ると、見覚えのある赤髪が、美しい女性と話していた。
「フラダリさんと…」
「もしかしてカルネさん…?」
 女性の方は、カルム君が知っているようだった。どうやら、有名人のようで、カフェにいる数人の客も、心なしかざわついている。
「いいかいお隣さん、フラダリさんはホロキャスターって映像データの受信装置をつくったフラダリラボのトップだ。カルネさんは、知って…いや、知らないか。世界的にすごい人気の、大女優さんだよ」
 知りませんでしたと言う前に、カルム君は言い直してくれた。私が記憶喪失であることを知ってくれている人がいるということは、とても心強い。
「でも、どういう組み合わせなんだ…?」
 私とカルム君が聞き耳を立てると、フラダリさんとカルネさんの会話が始まった。
「あなたのデビュー作での少女の演技、とても素晴らしかった。いつまでも若い役を演じたいとは、思いませんか?」
「おかしな質問ね。若さイコール美しさとは限らないし、なんでも変わるのよ。おばあちゃんになったら、それを楽しみつつ演技したいわ」
 本当に、おかしな質問だ。そんなこと、願っても叶うはずがないのに。まるでそれが叶って当然かのように、フラダリさんは言う。
「いつまでも美しくあるのが、女優として選ばれたあなたの責任なのでは?」
 その言葉に、カルネさんは笑顔のままで少しだけ寂しそうな表情をする。フラダリさんはそんなカルネさんを見て、少し苛立たしげに続けた。
「…わたしなら世界を一瞬で終わらせ、あらゆる美しさを永遠のものとするかもしれない。世界が醜く変わっていくのは堪えられません」
 なんの話をしているんだろう、この人、怖い…
 私が無意識のうちにカルム君に縋り付くように近づくと、カルム君は少しだけ慌てたような声で、「大丈夫、大丈夫だよお隣さん、例え話だと思うよ」と言ってくれた。
「おや、ナナシさん」
 気づかれた。…私は知らず知らずのうちに、フラダリさんに苦手意識を抱いていた。
 フラダリさんは私の様子には気づかずに、笑顔で続ける。
「こちら、カロスが誇る大女優のカルネさんだ。その演技で多くの人を感動させている…つまり自分以外の誰かを幸せにするために生きている」
 カルネさんの顔から一瞬笑顔が消えた。私はその言葉に、違う!と叫び出したい気持ちだった。だけど臆病な私にはそれは叶わず、できることと言えば、曖昧に首を縦に振るだけだった。
「ああ!みんなそのように生きれば世界は美しいのに!…では失礼します」
 カルム君の隣を通り抜けて、フラダリさんがカフェを出て行く。しばらくして、カフェ内の異様な空気が静まった。
「…あなたたちは?」
 カルネさんが、端正な顔をこちらに向けて尋ねてくる。
「オレはカルムです。あの、名前…似てますね。で、こっちは…」
「ナナシね。さっき聞こえたもの。二人とも、ステキな名前、それになんてステキなポケモンなの!」
 カルネさんは先ほどのやりとりなどなかったかのように、朗らかに笑って接してくれる。そのことに安心しながらも、私の脳裏にはフラダリさんの言葉がちらついて離れなかった。
「あたしも、ポケモン育ててるの。いつか勝負しましょうね!」
 そう言い残して、カフェを後にするカルネさん。
「そっか…ポケモントレーナー同士ならみんなと戦えるってことか」
 カルム君が、隣で小さく呟いた。
 カルム君は私を向き直ると、その黒い目をいたずらっ子のように輝かせて、言った。

「そうだ、お隣さんに一言。オレとキミで、どっちが強くなるか競争しないか?」

「…へっ?」
 突然の宣戦布告に、開いた口が塞がらない。間抜けな声を出して固まった私を、カルム君はくすくす笑いながら見ていた。
「キミはアサメに来たばかりで旅立ったけれど、お隣さんだし、競い合うのも面白いだろ。…もっとも、オレは負けないけど」
 そう言って笑ったカルム君の顔からは、もう先ほどのような、劣等感は感じられなかった。

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