旅立ちの日。 私は鞄の中身をチェックして、帽子をキリッとかぶり直した。 鞄の中で、金色の石が仄かに輝いた。 「人生は当たって砕けろよ!」 そんなことを笑いながら言うおかあさんは、“不在”のお父さんに加えて娘まで旅に出てしまうことを、どう思っているのだろうか…笑顔の裏に隠された本心は、どうやっても、見つけることができなかった。 不安げな私の顔を見て何かを勘違いしたらしいおかあさんは、笑顔で私の背中を叩いて、励まそうとする。 「大丈夫よ、あなたたちはそう簡単には砕けたりなんかしないから!」 違う、違うんだよおかあさん。私は、こんな親不孝な娘にも優しくしてくれるおかあさんに、幸せになってほしくて。 言えない言葉は喉元に引っかかり、代わりに出てきたのは「…うん、がんばる」という自信のなさそうな言葉だけだった。 扉を開けると、お隣さんのカルム君が、出会いの日のように扉の前で仁王立ちしていた。 「ほら、今日から旅に出るんだろ。行くよ、お隣さん」 カルム君は、私のことを名前でもあだ名でも呼ばない。そのことが、私にとってはなぜか、寂しくもあったけれど、安心でもあった。私はここで、大切な人を作りたくない。何故だかそう思っていた。大切な人を失う悲しみを、記憶を失くす直前に、味わっていたような気がするのだ。だからこそ、カルム君といる時のこの距離感は、心地良い。 「カルム君、聞いてもいい?」 「うん?」 「カルム君はケロマツのニックネーム、何にしたの?」 「…ひ、ひみつだよ」 「あっ、待ってよ!」 走る速度を上げたカルム君に置いて行かれないように、私は走る速度を上げた。 風が気持ちいい。そよ風に撫でられた木々がかすかに鳴いている。花の香りが、どこからか漂ってくる。引っ越してきて間もないけれど、私は、この街が、好きだ。 その途端、ずきん、と、胸に痛みが走る。 あれ、おかしいな、私の心臓は健康だったはずなんだけど…気のせいかな?と考えながら、走るスピードは緩めない。 ふと振り向くと、おかあさんが、うずくまってペルシアンの体に顔を埋めていた。その表情は、アサメタウンを出るまでずっと、見えないままだった。私にとってもおかあさんにとっても、その方が、よかったのかもしれない。 旅の門出は、華やかなものがふさわしいから。 <* | #> しおり+ もどる |