■ トリトとチャンピオン

※トリト視点。設定は友人から拝借。※

ホウエンチャンピオンにして、ホウエン地方に伝わる伝承のポケモン、カイオーガを手持ちに入れているという謎の少女、ナマエさん。
そんな人と僕が並び立つなんて恐れ多い、と本来ならば思っていたはずだった。……本来ならば。

『あっ、いつもすみませんうちの子が…!』
「い、いえいえそんな…気になさらないでください…」

遠慮がちに頭を下げるナマエさんに、僕は慌てて手を振って応える。
なぜ僕とそんなすごい人がこうして側にいるのかというと……

「マリッ!」
『こらマリルリ、白衣はおもちゃじゃないよ』

彼女の手持ちポケモンたち、特にマリルリが、なぜか僕とラッキーに異様に懐いているのだ。
マリルリを軽くたしなめて僕に謝るナマエさんは、とても控えめで大人びた女性で、僕よりも年下だとは到底思えないくらいだった。
僕はナマエさんに一言断ると、いつもの特製ポケモンフーズをざらざらと器に注ぐ。マリルリたちが喜んで飛びつくのを見て、ナマエさんは柔らかい微笑みを浮かべている。それを見て心臓が跳ねるような感覚になり、僕は頭の中にいくつもの疑問を浮かべながらも目を逸らす。最近、このような症状が頻発しているのだ。確かに研究に打ち込んではいるが、生活リズムに乱れはないし、心当たりが全くないので困惑している。……それに、この症状が起きるのはなぜか、ナマエさんの前でだけなのだ。

『本当はこの子にも、あげられたらよかったんですけど』
「そう、ですね……」

寂しげに目を伏せて一つのモンスターボールを撫でるナマエさんは、きっとカイオーガのことを言っているのだろう。確かにこんなところで伝承上のポケモンを出してしまうと大混乱が起きるだろうし、カイオーガの特性である「あめふらし」も相まって、マリルリやラッキーのように簡単には戯れられないのだ。
悲しげに俯いてしまったナマエさんを見ていると、心がずきりと痛んだ。ナマエさんの悲しげな顔を見るのはこれが初めてではないはずなのに、どうしてか、その日は、一歩踏み出してみたくなってしまったのだ。

「ナマエさん、あ、あの……っ」
『はい?』
「その……この近くに、プライベートビーチが、あるんです。えっと、その、そこに……ご一緒しませんか?」

ぽかんとした顔でこちらを見ているナマエさんに、僕は慌てて「カイオーガのことですよ!」と訂正を入れる。
ナマエさんは控えめな微笑みを浮かべると、「是非ご一緒させてください」と答えてくれた。その返答になぜか安堵した僕は、ほっと溜息をつく。

「それではまた、この日時に……」

■■■

そして当日。
僕は約束の時間よりも30分以上早く待ち合わせ場所に着いていた。

「さ、さすがにこんな時間に来るわけないな……どうやって時間を潰そうか」

自分でも、どうしてこんなに心が逸るのかが分からない。しかし、どうしてか今日は早くから、何も手につかないほどにそわそわしてしまっていたのだ。
近くに時間を潰せるような喫茶店がないかと探していたら、控えめな色調のワンピースとつば広の日除け帽をかぶった彼女が、マリルリと一緒にきょろきょろしながら歩いてきた。

『あれ、トリトさん?』
「あっあっまだ全然待ってないですよ!そんなそんな!」

まさかこんな早い時間に会いにきてもらえるとは思っていなかった僕は、挙動不審になって聞かれてもいないことを先々答えてしまう。早々にやらかしてしまった。
よく見てみるとナマエさんはいつもよりもお淑やかな服装で、いつもと少し雰囲気が違う。これから行くビーチの白い砂浜や青い海がとてもよく似合いそうで……いや、僕は何を考えているんだ。今日は決して、そんなつもりで誘ったわけではないのに。

「で、では行きましょうか……」

ふとナマエさんの方へ手を伸ばしかけて、ぶんぶんと首を振る。どうして僕は今、自然と手を繋ごうとしたのだろうか。分からない。知りたい。僕にはこの気持ちが研究者としてのさがなのか、それとも他の何かなのか、判断がつかなかった。
思考を振り払うようにして歩き出した僕に続いて、ナマエさんとマリルリがついてくる。
僕が一日だけ貸し切ったプライベートビーチは、もう目前だった。

「さあ、ここですよ。……出ておいで、みんな」

僕の呼びかけに応えるように、モンスターボールが震えて、僕の手持ちポケモンたちが飛び出してくる。特にヒトデマンは久しぶりの海が嬉しかったのか、砂を撒き散らしながらはしゃいでいる。
ナマエさんを見ると、おろおろしたような顔で一つのモンスターボールを握りしめていた。その側にはマリルリが、付き添うように不安げな顔でナマエさんの様子を伺っている。

「ナマエさん。……大丈夫、ここなら誰も見ていないし、雨が降っても構いませんから」

ナマエさんに顔を近づけて、覗き込むようにして尋ねると、ナマエさんは慌てたようにモンスターボールを取り落としかけた。その顔がほんのりと赤いのを見て、僕は初めて自分とナマエさんの距離に気づく。ばっと距離を取ると、ナマエさんはモンスターボールを握りしめたまま俯いてしまう。

『あ、あの……この子、出します、ね』
「!……は、はい!」

ナマエさんがゆっくりと手をかざし、そのモンスターボールのボタンを押すと、目の前が眩ゆい光に包まれる。その光がおさまった後には、ホウエンの伝承の壁画からそのまま抜け出してきたようなポケモン……桃色のカイオーガがそこにいた。
それと同時に、空は晴れたままだというのに、ぱらぱらと雨が降り始める。
カイオーガは僕を一瞥すると、僕には全く興味がなさそうに、ナマエさんの方を向いた。

「この子が、カイオーガ……いや、でも、文献に載っているものとは色が違うような……?」

僕が考え込んでいると、ナマエさんが一歩前に進み出て、カイオーガの頭をそっと撫でた。

『この子は、希少個体なんだそうです。私なんかがこの子に出会えたなんて、本当に奇跡としか言いようがないんです……ホウエンチャンピオンになれたこともそうですし……』

ナマエさんが俯きがちになるのを見て、僕の中で何かがはじけた。
ナマエさんの肩をつかんで顔を見ると、慌てたように目を逸らされる。

「だ、誰がなんと言おうとナマエさんは!と、とても素敵な人です……からっ!だから、“私なんか”なんて悲しいこと、もう、言わないでください……」

僕の言葉を聞いたナマエさんは、逸らしていた目をおずおずとこちらへ向ける。
カイオーガと寄り添っているその背にはマリルリの手が添えられていて、ナマエさんとポケモンとの信頼関係が伺える。こんなにもポケモンに深く愛情を注いで、ポケモンからも愛情を向けられる人間が、素敵な人でないわけがないのだ。

ナマエさんの肩をつかんでいた僕の手に、そっとナマエさんのあたたかい手が添えられて、僕の心臓はまたどくりと大きく脈を打つ。
……そうか、これは。

『あ、あの……?ありがとうございます』
「ひぇっ?!あ、は、はい!」

考え込んでいた僕の顔を覗き込んだナマエさんの柔らかそうな頬に朱が差しているのを見て、僕は初めて自分がどんなに恥ずかしいことを言ってしまったのかを知ることになる。

「あ、ああああの!今のはそのっ、違くて……いや、違わないんですけど!」

慌てて手をぶんぶん振るしか能が無くなってしまった僕を小馬鹿にするように、カイオーガがふんと鼻を鳴らす。マリルリは楽しげにナマエさんの後ろで飛び跳ねて、ラッキーがその隣で小躍りしている。

『いえ、その、トリトさんのお気持ちはよく分かりましたから、あの……』

本当にありがとうございます、と消え入りそうな声でナマエさんが言う。
耳まで真っ赤にして俯くその姿を見た僕は、ああここが貸切でよかった、こんなに可愛いナマエさんを他の誰にも見せたくない、だなどと馬鹿なことを考えていた。

晴天の空の下、本降りになり始めた雨が二人を濡らしていた。

初めて運命があると知った

[ prev / next ]
第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -