■ トリトの癖

※トリト視点。トリトがストーカー※

「ナマエさんは、タオル生地よりもソフトボア生地のぬいぐるみの方を気に入っていた……冷たいものを食べるとすぐにこめかみがキーンとする……と」

ナマエさんとのお出かけ帰りのある日。

僕は白衣のポケットにおさまるサイズのメモ帳に、今日のナマエさんの行動から推察される好き嫌いを書いていく。

僕は女性と付き合ったことがなく、そもそも人付き合いをしたこと自体がとても少ない。
だからこそ、いざという時に不慣れなプレゼント選びに困らないように、こうしてナマエさんの好みを把握しておきたいのだ。

そのメモ帳にはナマエさんの住所や連絡先や家族構成、通勤経路や、じょ、女性の日……の周期までがびっしりと、しかし付箋でよく整理整頓されて書き込まれている。

ナマエさんのことが大好きな僕にとってはこれは手書きの聖書のようなものであり、相棒のポケモンたちと同じくらいに、決して手放せないものなのだ。

「おいトリト、何してるんだ?」

小声で独り言を言いながらメモを取りつつ歩いていると、ふと僕の数少ない友人の1人であるカガチさんと出会った。

「あっ……いえ、なんでもありませんよ!」

僕は慌ててメモ帳をしまうと、カガチさんの方に向き直った。別に後ろめたい気持ちがあったわけではない。……これはきっと、本心だ。

カガチさんは僕の数少ない大切な友人であり、そして……ナマエさんとも面識がある。つまりは、ライバルになってしまうかもしれない、ということだ。

「そうか?忙しかったなら悪いな、声かけちまってよ」

屈託無く笑う彼に申し訳なさを覚えつつも、ナマエさんは絶対に渡すものか……という気持ちがふつふつと湧き上がるのを感じた。

「そういえばよ、知ってるか?海開きで今週、小さな祭りがあるんだとよ」
「そう……なんですか?」

研究とナマエさんのこと以外には疎い僕は、そんなお祭りのことは全く耳にしたことすらなかった。カガチさんはさすがというか、やはり顔が広いのだろうか。

「先生、ナマエと仲良かったろ?」
「えっ、だ、だからなんですか?」

簡単にナマエさんのことを呼び捨てにできてしまうカガチさんに少しの嫉妬を覚えながらも、仲が良いと言われたことには少し優越感を抱いてしまった。

「……水着姿、拝むチャンスかもしれないぜ」

カガチさんは僕の耳元で、爆弾発言をボソッと呟いた。
ナマエさんの水着姿を想像してしまった僕の顔には、だんだんと顔に熱が集まってくる。

「先生は本当にウソがつけないタイプみたいだなぁ……デートのお誘い、頑張ってこいよ?」

カガチさんはそれだけ言うと、ひらひらと手を振って雑踏の中へと去って行った。

しばらく放心してそれを見ていた僕は、我に返って慌てて海開きのお祭りの日程を検索する。そして、生理周期を管理する女性向けのアプリを開いた。

「あ、わ……どうしよう。かぶっちゃってるよ……これじゃ誘っても来てもらえないかもしれない」

咄嗟に両手で頭を抱えた僕は、生理周期管理アプリの画面を開いたまま、携帯を取り落とす。

「あの、これ、落としました……!?」

携帯を拾ってくれた見知らぬ人が、ふと画面を目にしてしまったのか、少しギョッとした顔をして僕から離れていく。
押し付けるように渡された携帯の画面を見ていると、隅の方にヒビが入っていた。
僕は、携帯を拾ってくれた人にお礼も謝罪も言えないまま、呆然と立ち尽くしていたのだった。

「はぁ……今日はなんだかついていない日だな」

もう帰ろう、と思って帰路へ方向転換すると、ぴろん、と気の抜けた通知音が鳴った。
割れた画面の中で、「ナマエ」というメッセージアプリの名前がやけにきらきらと輝いて見えた。

『先生、海開きのお祭りの日は予定は空いていますか?』

ナマエさんからのメッセージの内容は、まだお誘いとは判断しきれないものだったけれど、僕は完全に舞い上がってしまい、その場で小さくガッツポーズを作ってしまったのだった。

「僕は空いています。よければお祭りにご一緒しませんか……と。」

これじゃあ水着姿目当てだなんて思われないかな……と少し躊躇ったあと、僕は思い切って送信ボタンを押す。しゅいん、とまた気の抜けた音がしてメッセージがナマエさんの元へと送られた。これでもう、後戻りはできない。

「あっ……僕、水着持ってないや」

■■■

「トリト先生、水着持ってなかったんですね〜」

めでたくデートのお誘いを受けていただいた僕は、海開きのお祭りの直前……つまりナマエさんの生理前のある日、ナマエさんと買い物に出かけていた。

「えっ、あっ、あの、この機会に買いに行きたくて、えぇっと、その……!」

僕はナマエさんの水着姿目当てだと思われないように慌てて言い訳をするけれど、当のナマエさんはあまり気にしていないようで、「これなんかどうですか?」と僕にどんどん水着を運んでくる。

「ぼ、僕……服選びのセンスが無いんです……」

ナマエさんが持ち寄ってくれた水着を見比べた僕は、その違いがいまいちわからずに、項垂れる。
するとナマエさんは目を輝かせて、水着を持ち上げた。

「じゃあ、私に選ばせてくれませんか!?先生がこれ着てるところ、全部見たいんです!」

直球な言葉に顔が真っ赤になる。
しばらく口をぱくぱくさせて放心したあと、僕は頷いた。
そして、長時間にわたる、ナマエさんの僕の着せ替え遊びが始まるのだった……。

数時間後、ようやく決まった水着を持ってお会計を済ませ、ナマエさんの元に戻る。
僕はふと、ナマエさんの表情がいつもより少しだけ強張っていることに気づいた。

「ナマエさん……?あの、そういえば、生理前の体調はいかがですか?」
「全然大丈夫なので気にしないでください!……って、え……?」

ナマエさんの目が、驚きに見開かれる。

「なんで先生が、生理前のこと知って……!?」

まずい。と思った。
しかし口から出てしまった発言は取り返せない。
何も言えないまま立ち尽くす僕には、一秒一秒がまるで数時間のように感じられた。

そしてナマエさんは、おずおずと口を開く。

「もしかして……その、そういう研究もあるんですか?」

よかった。僕がナマエさんの生理周期を把握していたことはバレなかったようだ。後ろめたい気持ちなんて、本当に、これっぽっちもないけれど。

「えっあ……そう!そうなんです!」
「なるほど、それでだったんですね」

見ると、ナマエさんは恥ずかしげな顔で、気丈な彼女にしては珍しく俯き加減でいた。僕は、今さらながらに、改めて自分のデリカシーの無さを痛感する。

「あの……体調が優れないようでしたら、カフェにでも入って休憩しませんか?」

ナマエさんは僕の提案に異論はないようで、黙って頷いてくれた。

■■■

その日の夜、僕の自室でのこと。

「ナマエさんの男性水着の好みはモノクロ系……ナマエさんはコーヒーには砂糖は入れないけど紅茶には砂糖を入れる……ナマエさんはパンケーキを切り分けるのがちょっと苦手……」

いつもの研究レポートのように、今日のナマエさんの好みなどをメモ帳に書き留めていく。

「すー……すー……」

熱心にメモを取る僕の側に置いてあるのは、以前ナマエさんに贈ったぬいぐるみとお揃いのぬいぐるみだ。
その中に仕込まれた盗聴器の受信機から、かすかに寝息が聞こえてくる。可愛らしいそれは、ナマエさんのものだ。

「ふふ……おやすみなさい。ナマエさん。明日も、明後日も、ずっと見守っていますから」

こうして今日も、僕の一日が終わる。

あなたを覚えてしまった

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